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 この裏門には、ずっと昔から、イタチの妖怪が住み着いていた。それはおそらく、この地に天台宗総本山が開山されるよりも前からだ。

 志之助が初めてイタチに出会ったのは、まだ子供の頃だった。真面目に修行に励むことに飽きてきた志之助少年は、半分不貞腐れて、この裏門まで散歩に出かけてきていた。ちなみに、その時言いつけられていた仕事は放ったまま。

 イタチは、近づいてきた少年に、声を掛けてきた。

『少年、少年。ちょっと助けておくれよ』

 それは、幾分耳障りな、高い音の声だった。その頃にはすでに、幽霊も妖怪も精霊も見慣れていた志之助は、驚く様子も見せず、イタチと向き合っていた。

「助けるって、何をするんだよ」

『ちょこっとだけで良いんだ。ここの壁を消してくんないか? ほんの一瞬だけ』

 ここの壁、と言って、イタチはまるでそこに本当に壁があるように、コンコンと空を叩いた。しかも、なんと、二足立ちで。

 いろんな意味において、そのイタチは普通ではなかった。人の言葉を話す、直立に立つ、人に頼み事をする。そんな妖怪は、その時点での志之助には会ったこともなかった。

 ただ、そこに壁があることは、さすがに知っていた。なにしろ、志之助自身がその壁に軽く阻まれるのだから。

「どうして?」

『そりゃ、外に出たいからに決まってる』

「出られないの?」

『出られりゃあ、いつまでもこんなところに閉じ込められてないさね。何せ、九百年は長い』

 つまりそれは、ここに壁ができた当時から、閉じ込められているということで。そんな気が遠くなるような年数をさらりと言ってのけるイタチに、志之助は目を見張った。

 だが、何事にもできることとできないことというものはある。当時から聡明な少年であった志之助は、その頼みを叶えることによる問題点もちゃんと想像ができていたから、首を振った。

「結界を破るのはできるけど、僕にはもう一度作ることができないんだ。だから、無理だよ」

『そうか……。じゃあよ、お前、もっと強くなれ。で、この壁作れるようになったら、頼むよ。なら、良いだろ?』

「なるかな?」

『なるさ。お前、強い力持ってる。将来が楽しみだぜ』

 頼んだよ。そういって、イタチはふいっとどこかへ行ってしまった。

 次に会ったのは、それから一年後のことだった。季節も同じ時期。七夕の近づいた七月はじめ頃だ。

 その一年間で、志之助の身に起こった変化は、嵐山に古武術の師匠ができたことくらいで、その日は珍しく気が向いて山に帰ってきていた。

 といっても、法力としてはちっとも成長していなかったから、やはりイタチの願いをかなえることはできなかった。

 その後も、志之助は毎年同じ時期にイタチに会った。志之助から会いに来るわけではなく、イタチがこの裏門あたりに現れるのが、七夕直前のこの時期だった。

 それが五年続いた頃。志之助は、何故この時期なのかと不思議に思って聞いてみていた。

 その時、志之助はまだ十代半ばの年齢で、このあたりに掘っ立て小屋を建てて立て篭もり、すでに自分の身体を売って真言密教や陰陽術を身につける生活を始めていた。

 おかげで、雰囲気は実に妖艶に感じられたのだろう。イタチは少し心配そうに志之助を気遣っていた。

『おいらのためなら、そんな無茶すんでねぇよ?』

「違うよ。自分のため。負けたくないから。……ねぇ、何で七夕前なの?」

 聞かれた途端、イタチは寂しそうに俯いた。四足歩行動物らしく、珍しく四つの足で地面に立つ。尻尾がうなだれていた。

『おいらな。元はお星さんだったのさ』

「星?」

 それって、あの星?と、志之助はまだ青く眩しい空を指差す。それに、イタチはこっくり頷いた。

『牽牛っちゅう名前でな。お空に嫁さん置いたまんま。仕事で地上に降りていて、帰れなくなったのさ』

 イタチがいう話は、七夕伝説そのままの話だった。からかっているのかと思うくらい、そのままの。

「織姫と彦星の?」

『あ〜、そっか。地上じゃ有名だったっけ。じゃ、作り話と思ったろ、お前』

「ホントなの?」

『お前は、どう思う?』

 問い返された言葉に、志之助はその時、女性に見間違えられる美貌を子供っぽくきょとんとさせて、イタチを見ていたらしい。急に、イタチはけらけらと笑い出していた。

『信じるか信じないかはお前次第だぁよ』

 イタチの話は、それきりだった。

 その後も毎年志之助はイタチに会ったが、結局助けてやることはできず、志之助は山を降りた。




「その話を、そなたは信じたのか?祥春」

「信じましたよ。嘘を言っている目じゃなかったし、山を降りる直前には、なるほど、って思っていたし。けど、結局助けてやれなくて、それが少し心残りでしたけど」

 年を追うごとに、成長するごとに、志之助の力はどんどん強くなり、最後に会った時はすでに、この守護結界を張る方法も解明していた。が、それがかなりの大事業であることも同時に悟ってもいて。

 それは、志之助が今回、ありったけの法力僧をかき集めたことでも知れることだ。一人ひとりはほとんど役に立たない存在でも、力を合わせればそれなりの力になるはずだった。それに、志之助には心強い式神たちがついている。

「あぁ、そうか。明日は七夕なんですね」

 それで、イタチはまた裏門に現れたのだ。姿をみせなくなった志之助か、その代わりになれそうな能力者を求めて。そのイタチに会ったのが、頼みに応じて結界を解いてしまった珍香だった、というわけである。

 改めて七月七日という日の意味を思い出して、志之助は静かに気合を入れた。

「さっさと片付けましょう。明日の夜は自宅で過ごしたい」

 七夕の日に旦那様と離れ離れで過ごすなど、志之助には我慢できない。ただでさえ年に一日しか会えないというのに、九百年も嫁と離れ離れにされていた星を知っているから、なおさらに。

「珍香さん、反省、してますよね? その陶板呪符、直してください。今はとりあえず、この石塔に念をかけて結界点にしておきますから、後日置きなおしてください。この石塔じゃ、一ヶ月が限度ですから、なるべく早く」

「私で、直せますか?」

「やる気次第でしょ。……あ。今、陶板呪符を使えるのは、たぶん土御門だけですから、困ったら向こうを頼った方がいい」

 それは、志之助ができる最大限の助言で。それ以上は、彼が自分で解決しなければならない。自分で撒いた種は、自分で刈り取るのが筋というものだ。

 志之助は、珍香にそう指示をすると、彼が積んでいた石塔の前に座り、その頂点に指を当てた。口の中で簡単な呪文を唱える。

 ちょうど良く、志之助の背後に、本堂境内に置いてきた志之助の式神が姿を現す。どうやら、呼び集めた法力僧たちが集まったようだ。

「蛟。戻るよ」

 呼ばれて、蛟は再びそこに姿を現した。





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