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 着いた場所は、山門と正反対に位置する裏門のそばだった。裏門は、一抱えほどの岩で両端を挟まれただけの簡単な作りをしている。昔は志之助も、このほとんど誰も通らない門のそばに、京の街で拾ってきた端板切れと粘土で掘っ立て小屋を作って住んでいたものだ。

 その門の、内側から向かって右の門柱に、烏天狗の一つは近寄り、その足元を指差した。志之助と悌念もそこへ寄っていく。

 そこに、二枚の陶器の破片が落ちていた。

 それを見た途端、志之助の眉が寄る。

「陶板呪符か。厄介だな、これは」

 粘土で修復しても、呪力が戻るかどうか、と志之助はぶつぶつ呟いている。その傍らで、どうやらそれを初めて見たらしく、悌念が訝しそうな表情を見せた。

「何だ、それは」

 口に出して尋ねられて、志之助はそこにいる人の存在を思い出したらしい。声がする方を振り返る。素直に不思議そうな顔をして。

 それから、呆れたようにため息をついた。ぽいっと彼の手元にその二枚の破片を放って寄越す。

「それ、くっつけてもらえます? 守護結界の媒体ですよ」

 つまり、それが真っ二つに折られてしまったのが、結界が消失した原因だったのだろう。とはいえ、人が踏んだ程度では割れないように保護されているはずで、そもそも、何かの事故であればもっと粉々に破壊されているはずだ。何らかの人為的な手が加えられたことは、疑いようもなかった。

 問題は、何故そんなことをする必要があったのか、だが。

 志之助は、折れた呪符のすぐそばに不自然に積み上げられた石の塔を見つけ、その前にしゃがみこんだ。一番上の石に指を乗せる。その石からは、わずかに残された呪力を感じる。

 どうやら、この塔が壊れた結界点の補助をして、かすかながらも、結界をこの地につなぎとめていたらしい。それで、山の霊力が暴発寸前で止められていたわけだ。

 ということは、明らかにこの呪符壊しの犯人は呪術の心得を持った人間だ。ただ、まだまだこの守護結界を引き継げるほどの法力は持っていないらしい。

 そこまで推理したところで、志之助ははっと顔を上げた。

「ちょっと待て、そこのガキっ!」

 初めて見るらしく、半分に割れた呪符を表裏をひっくり返しながら眺めていた悌念が、突然の志之助の乱暴な声に驚いて、顔を上げる。志之助の言葉と同時に、傍らにいた一つが素早い動作で飛び上がった。志之助の背後に当たる森の中へ突っ込んでいく。

 三つ数えた頃。森の中から若い男の悲鳴が聞こえてきた。烏天狗に追い立てられて、剃髪した頭をかばいながら出てきたのは、袈裟をまだ許されていない修行僧姿の青年だった。

 志之助より十歳は若そうなその青年は、飛び出していた石につまづいて、そこに膝を突いた。

 少なくとも、志之助は知らない青年だった。もちろん、比叡山の僧全員を知っているわけではない志之助だが、それでも、自分にとって厄介な存在となりそうな法力僧だけは、顔と名前が一致している。その顔ぶれに、彼はいない。

 その青年を見て、悌念は驚いたような声を上げた。

「そなた、珍香ではないか。何故こんなところにおる」

「悌念様っ!?」

 対する青年、珍香もまた、驚いている。何故こんなところに、というところか。

 どうやら、この珍香という青年が、結界破りの犯人らしい。でなければ、この場所に人がいるのを見て逃げ出す必要などない。志之助が呼び止めたのは、近寄ってきておいてこそこそと逃げ出す気配を感じたからなのだ。

 転んだまま、地に手を着いている珍香に、志之助はすてすてと近づいていくと、おもむろに懐に持っていた短冊の束を取り出し、ぺしん、と裸の頭を引っぱたいた。それこそ、ハリセンの要領で。

「何がしたかったかは知らないけど、山の守護結界解いてどうすんだ! これを元に戻すのに、どれだけの人に迷惑をかけるか、想像しなかったのかっ!?」

「けどっ!」

 反抗したい時期なのか、そういう性分なのか、まるで言い訳のように口答えをして、痛くもない、叩かれた頭を手で押さえて志之助を見返す。が、その途端、続く言葉を飲み込んだ。志之助のその視線に、射竦められていた。

 とはいえ、起こってしまったものは仕方がない。はぁ、と深くため息をつき、志之助は無理やり怒りを鎮めた。

 それより、人を待たせている。この場ですべきことを片付けて、早く戻らなければ。

「で? なんで解いたんだ?」

 だいぶ穏やかな口調になって問いかけられて、しかし、つい先ほど叱り飛ばされたばかりの珍香は、さらに縮こまった。まるで消え入りそうな声で、答えを返してくる。

「イタチに、呼ばれたんです」

「イタチ? ……あぁ、あれ」

 聞き返して、すぐに志之助は何かに合点がいったらしい。勝手に納得して頷いた。

 まだ事の次第を話していない珍香と、何がなにやらさっぱりつかめない悌念が、不思議そうに志之助を見つめる。
 次に口を開いたとき、志之助の視線はだいぶ穏やかになっていた。

「あれに気付くって事は、あんた、力があるんだね。それに、気持ちも優しい。その気持ちは忘れちゃダメだよ」

 まず、いいところを褒めて、しかし、志之助は逆接で言葉をつなげる。

「でも、やり方がまずい。守護結界を解くのは、最終手段だ。あんた、この結界を元に戻せるか、考えて解いた? 悪気がなくても、この事態は重罪に当たるよ。最悪、京の町が潰れるところだった」

 そのお叱りを、おそらく本人もわかっていて反省していたのだろう、珍香はうなだれて神妙に受けていた。

 一方、いまだにわけがわかっていない悌念は、叱責中の志之助に、焦れたように問いただしてくる。

「祥春。一体何を怒っている」

 問われて、志之助はこの人がわかっていないことはとっくに承知しているので、落ち着いて見返した。が、地に手を着いたままの珍香は、天台座主代理までも務める僧の問いかけに、驚いた様子だった。それは、志之助が悟ってみせたからこそ、言わなくともわかる現象だったのだと認識したせいでもあったのだが。

「悌念様、お気づきではないんですか?」

 あんまり素直な反応で、思わず志之助が笑ってしまう。

「あのイタチに気付くくらいなら、守護結界が解けたことだって、とっくに気付いてるよ。少なくとも、今の比叡にあんた以上の法力僧はいないから。諦めた方がいい」

「けど、あなたは気付いたじゃないですか」

「俺は特殊。さて、悌念様。何が起きたか、ご説明しましょう」

 自分が特殊だと、あっさり言ってのけられるほど自信が持てたのも、たぶん、この山を降りて生涯の伴侶を手に入れてからだったと、志之助は自分で思う。

 一方、だいぶ小馬鹿にされながらも、文句の一つも言えない悌念は、不機嫌そうに眉を寄せ、しかし、素直に聞く体勢になった。





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