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 守護結界を張りなおす。

 そんなとてつもない大事業を唐突に聞かされて、円権はまず、真っ先に座主代理の元へと走った。志之助が亡くなった座主の霊前に参りに来たこと、志之助が烏天狗まで操るほどの術者に育っていること、そして、その志之助に頼まれたことを、事細かに報告する。

 座主代理である悌念は、法力僧上がりの僧である。体躯は逞しく、体中に修行で作った傷跡を持つ。そして、志之助の幼少の頃の法力の師範でもあった。であるから、志之助の潜在能力は認めているところだったのだが。

 何しろ、相手が大きい。この山全部を守護している結界を、張りなおすというのだ。しかも、こんなにも唐突に。何かの深い理由が必要だ。

 したがって、悌念は、円権には志之助の望みどおりに法力僧を集めるよう指示をして、自分は一足先に志之助の待つ本堂前の境内へ向かった。

 志之助は、本堂の太い外柱に寄りかかり、自分の腰あたりを見ているらしく顔を斜め下に向けていた。そんな姿が、外の土を踏みしめ近寄っていく悌念の視界に映って見える。それが、だんだんと近づくにつれ、そこにいる人と会話をしている様子であることに気づく。

「じゃあ、この山を誰かが外から狙っているわけではなさそうなんだ?」

『たぶんね。こんなものすごい霊山の結界を破るんだから、外から狙われてるなら相当の思念が感じられるはずだし』

 志之助の会話の相手は、どうやらまだ子供に当たる、少年であるらしい。変声期を越えたばかりの若々しい声が、志之助の問いに答えている。しかし、その内容が、とても子供の力でわかるレベルではないのだが。

「とすると、内部か」

『悪意は感じないよ?』

「悪気は無くても、この状況は大問題だから」

『確かにねぇ。これだけの霊気を蓄えている山の結界を解いちゃったら、いつ暴走してもおかしくない』

「蒼龍、手伝ってくれそうかな?」

『状況、見に行って来ようか? 大車輪で向こうの仕事片付けてるはずだけど』

「ん、良いよ。焦らせて、蒼龍の仕事の邪魔しても仕方が無いし。手伝ってくれる気はあるってことだよね?」

『うん。ちょっと待っててやって』

 答えた少年の姿が見えるところまで近づいていた悌念は、その姿に驚いて、その歩みを止めた。驚愕に、目が自ずと見開かれる。

 向こうで、少年もまた、悌念に気づいたらしい。軽く首をかしげ、志之助を促した。

『志之助。誰か来た』

 促されて、志之助もまた、背後を振り返る。そこにいるのが、昔の自分を良く知る人であることに、どうやら気づいたらしい。ぺこり、と頭を下げた。

「ご無沙汰しております。悌念様」

 この山にいた当時、志之助から誰かに対して声をかけることなど、まずありえなかった。今は、志之助の方から穏やかな口調で話しかけることが出来る。時間というものは、こんなにも人を変えるものなのだ。

 志之助に話しかけられたことで、悌念はその驚きをとりあえず落ち着ける。あと五歩を自ら詰め、すぐそばに近寄った。

「久しぶりだ。元気そうで何よりだが。その少年は、一体?」

 そう。驚いたのは、それが少年だからではない。烏天狗を扱うくらいだから、少年の式神もいておかしくはないだろう。しかし、少年のその姿が、悌念には信じられない。金色の瞳を持ち、薄い色の髪を束ね、中国王朝の王族のような衣装に冠をかぶっている。それは、それ相応の身分を持つものであることを如実に表していた。人間風情が式神として扱うなど、恐れ多い存在だ。

 しかし、その主人である志之助は、気負った様子も見せず、くすりと笑って返す。

「私の式です。鳳佳。この方は、俺の法力のお師匠様」

『へぇ、志之助にも一応師匠がいたんだ』

「失礼だなぁ、相変わらず」

 挨拶をしない上に、なんだかとても失礼なことを言う式神に、しかし、志之助は特に咎めもせず、くすくすと笑った。それから、悌念に視線を向ける。

「誰も気づいていないんですか?」

 そこに、主語がない。問いかけられた悌念は、その言葉が何を指しているのかとっさに理解できず、え?と問い返してしまった。問い返された方は、呆れたように軽く肩をすくめる。

「天台密教の総本山がこれじゃ、日本の仏教界はお先真っ暗ですね」

「何だと?」

「あ、腹立ちました? ですよねぇ。図星指されて怒らない人、いませんから」

 人を怒らせて何が楽しいのか、志之助はくすくすと実に楽しそうに笑った。

 なんだかとてもからかわれている感じがするのだが、いかんせん、志之助を言い負かすだけの切り口が見つけられない。志之助がまだ比叡山で下っ端として働いていた頃から、一度として志之助に口で勝てた例がないのだ。最終的には、暴力に訴えていた。誰も彼もが。

 しかし、弟子であった当時ならともかく、志之助との間に何の関係も築けていない今、暴力に出るわけにも行かず、悌念は怒りを腹に収める。

「……何の話だ」

「山の守護結界。解かれてますよ、人為的に。内部の人間の仕業であることまではわかっています。十日ほど前からですね」

 それはそれは、見ればわかるじゃん、とでも言うようにあっさりと、言ってのける。だが、今日やってきてみただけではわかりえないはずの情報の数々だ。

 そもそも、十日ほど前、などと、どうやって知りえるのか。

「俺が呆れてるのは、結界が破れたことに誰も気付いていないこともそうですけど、その状態を十日も放っておけるところに、感心すらしちゃうんですよ。ここ、一応、天台宗の総本山ですよね? 恥ずかしくないですか? この状況」

 本格的に、呆れているらしい。それは、もしかしたら、この山で法力僧を束ねてきた、強力な法力を持つその人が、あまりにもとぼけた事を言うせいかもしれない。とりあえず、としても、山にやってきたばかりの幼い志之助に法力の基礎を教えたのは、この悌念なのである。その人がこれじゃあ、と呆れているわけだ。そこで、自分が師を超えるほど成長したのだ、と考えないところが志之助らしいところなのだが。

 さらに、志之助の言葉は続く。

「ついでに言うと、そろそろ限界ですよ。これ以上放っておくと、比叡山が千年近い年月をかけて溜めてきた霊山の力を溢れさせてしまいます。もともと無理やり押し込めていたんですから、蓋を開けたらどうなるか、想像に難くないでしょう?」

 そもそも、そんな大事に至る事態でなければ、志之助は放っておいたはずなのだ。普段は人の災難に首を突っ込んで勝手に助けることを趣味にしているとはいえ、この比叡山に限っては、できることなら手を出したくないのだから。

 そんな緊迫した事態であることを志之助に教えられて、悌念は目を見開いた。つまり、志之助が所属する法力僧をありったけ集めさせた理由は、そんな切迫事態だからなのだと、言葉で教えられてしまったわけだ。

「だが、伝教大師様の張った守護結界を、どうやって破ったというのだ」

「そんなこと、知りませんよ。俺が破ったんじゃないし。それに、結界を内側から破るのは、そんなに大したことでは……」

 言いかけて、突然、志之助はふっと後ろを振り返った。

 志之助の背後に、いつの間にか、漆黒の小柄な身体の生き物が立っていた。修験者の格好をして、烏のくちばしと漆黒の翼を持つ、その生き物だ。

 見やって、志之助は悌念に向けて手を挙げ、烏天狗に向き直る。その天狗は、額に大きな傷を持っていた。

 志之助と目を合わせ、なにやら会話をしているらしいが、声が伴わないから何が起こっているのか悌念には理解できない。

「そう。そこ、連れてってくれる?」

 やがて、志之助がそう反応を返した。烏天狗は大きく頷いて翼を広げ、横にいた少年は身を翻して姿を消した。

「葵。ちょっと、ここで留守番してて。人が来たら呼んで。蛟、乗せて」

 呼ばれてそこに現れたのは、平安武者の姿をした霊だった。頬に葵の葉の模様が浮き出ている他は、生きた人間とそう変わらない姿かたちをしている。

 そして、志之助の目の前に横たわる、長大な生き物の姿だ。伝承上の生き物、蛟である。

 あまりのことに、とうとう悌念は驚く気力すら無くしたらしい。呆然と、その姿を眺めていた。なんにせよ、人間の分際で蛟ほどの高位の神獣を使役するとは、なんとも非常識だ。

「悌念様。結界破りの現場、一緒に行かれますでしょ? 乗ってください」

 行かれますでしょ、などと言ってはいるが、志之助にとってはおそらく、蛟に乗っていくよりも、山の木々を伝って動いた方が手っ取り早いのだから、無理にでも連れて行く気なのだろう。尋ねる態度ながら、強引にその腕を取って引きずりあげた。

 志之助と壮年の僧を乗せた蛟は、烏天狗の案内を受け、宙へと舞い上がる。そして、悠然と空を泳いだ。





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