カマイタチ
(2006年お盆限定SS)
東京都渋谷区。
ハチ公口だと混むから、という理由から、モヤイ像の前に待ち合わせ場所を設定されて、太郎は一人、突っ立っていた。
待ち合わせの相手は、高校時代の友人である文也と優、それに彼氏の正史。
一番に着いてしまったらしい。
そもそも、大学とこの待ち合わせ場所は、皇居を挟んで向こうとこちらという距離のため、微妙に所要時間が読めないのだ。
大学図書館に借りっぱなしの本を返し、少し読書をして出てくるはずだったのが、運悪く文学部の教授に捕まってしまい、友人との待ち合わせを理由にして逃げ出してきたため、こんな早い時間になった、というのが真相だ。
この場所は、太郎はあまり好きではない。
バスターミナルのせいもあるのだが、人の念が渦巻いてドロドロしてしまっているのだ。
普通渦巻く場所では念も四方八方に拡散するものなのだが、悪いことにここは高いビルに囲まれてふさぎ込まれてしまっている。
ついでに、今は8月半ば。
この世に残る守護霊たちの里帰りに乗じて、怨霊の活動も活発になる時期だった。
「あ〜。いるよ、ここにも」
高校生の頃に偶然知り合った陰陽師の指導によって、目をつぶる方法を習った太郎は、久しぶりに霊視力を解放して周りを見回し、ため息をついた。
駅の出口に、センター街の入り口に。
ハチ公側の辻など見られたものではない。
霊の姿から、生きた時代もまたまちまちだとわかる。
着物姿にモンペに学ランにセーラー服にスーツ。
今時の派手な服装をしている女の子は、渋谷によほどの未練があるのか、生きた人間のようにくっきり見えていて、まだ霊と人間の判断が付けられない頃だったら、人間に間違えていただろうと思うほどだ。
と、ハチ公口のほうから甲高い悲鳴が聞こえて、太郎はビルの角まで走り寄ると、そちらを覗き込んだ。
ちょうどハチ公の周りに、人だかりが出来ていた。待ち合わせの人たちとは明らかに違う雰囲気で、気になってしまう。
時計を確認すれば、まだ待ち合わせまで十分ほど時間があった。
周りを確認して、まだ友人が一人も来ていない事を確認すると、太郎は小走りにそちらへ駆けて行った。
人だかりの中心には、腕を押さえてうずくまる女の子と、彼女の連れらしい数人の男女、それに警察官が二人いた。
近くの交番から駆けつけたらしい。一人は無線を使って何かを話している。
うずくまる少女の足元に、小さな血溜まりができていた。
「カマイタチかねぇ?」
「でも、別に風も吹かなかったけどなぁ」
太郎のすぐ近くにいた野次馬の男性二人が話し合っているのを聞いて、太郎はそちらに声をかける。
「あの、すみません。何かあったんですか?」
「あぁ、俺らも悲鳴聞いて気付いたんで良くわかんないんだけどさ。あの子、腕怪我したらしいよ。通り魔かって言ってるけどさ、周りに誰か変なヤツいたか?」
「いやぁ、変な奴がいれば気付くだろ、俺らだって」
なるほど、それで彼らは、カマイタチかと言っていたらしい。
ありがとう、と礼を言って軽く会釈をし、太郎は周囲を見回した。人間よりも、霊を中心に。
「あ」
「見つけた?」
すぐ後ろから声がして、太郎はさすがに驚いて振り返った。
そこには、知り合いとなって久しい人が、立っていた。
太郎の肩に手を置いて、じっとスクランブル交差点の方を見つめている。
それは、太郎の霊視力に適切なアドバイスをくれた、この国でも一、二を争う実力を持つ陰陽師のカップルだった。
「土屋さん」
「お久しぶり。買い物?」
「えぇ、友だちと待ち合わせてて偶然。そちらは?」
「こっちも、仕事帰りに偶然。田園都市線から乗り換えで地上に出てきたら出くわしちゃった」
なるほど、納得して、太郎はまた先ほど見つけた方を見やった。
そこには、見える人にだけ見える、侍の姿があった。
よほど未練があったのだろう。剥き身の刀を携えて、虚ろな目で中空を見つめていた。
「彼女、霊に斬られるのが知覚できるくらいには強かったんだね。気の毒に」
「あれ、見えない人は斬られないですよね?」
確かめるように彼を見やれば、二人にこくりと頷いて返された。
つまり、その霊と振りかざす刀を知覚し、斬られた認識があって初めて、実際にそこに傷が現れる、想像負傷なのだ。
人間の頭と言うのは不便なもので、斬られたのだから傷が出来るはずだ、という認識が実際に深い傷を作ってしまうことがありうる。
太郎も初めて出くわしたが、心理学専攻である手前、そんな症例を著す書物をいくらか読んでいたので、混乱することなく納得できた。
「お盆だからな、しょうがない」
霊剣術師という職種なのだそうな、陰陽師の相棒は、霊視力こそあるが特に力も無い。太郎とあまり変わらないらしい。
その彼が、軽く肩をすくめた。
「どうするんだ? しのさん」
「もちろん、あの世へお帰り願いますよ。ほっといたらまた犠牲者が出ちゃうしね」
本来彼の仕事ではないはずだ。
通りがかりとはいえ、彼は霊能者ではない。実際、霊に対して行動のできる陰陽師などそうそういないらしい。
彼だからこそ、実に簡単そうに言ってのけるのだ。
太郎一人だったら、見つけても何も出来ずに手をこまねいていたはずだ。さすがに人に被害が出ては心配になってしまう。
彼が偶然通りかかってくれた幸運に、感謝もするというものだ。
「見物してて良いですか?」
「良いけど、何もしないよ?」
くすっと笑ったその表情に、一瞬見とれて。
ふと気がつけば、あれだけくっきりと現れていた霊の姿は、どこにもいなくなっていた。
「ね?」
彼が、何かしたらしい。が、太郎にはまったくわからなかった。
この人は、どこまで非常識な能力者なのか、底が知れない。
少し驚いて見つめてしまった太郎に、彼はくすりと笑うと、連れを見やった。
「さ、行こう。麟子さんが待ちくたびれちゃう」
「そうだな」
「加藤さん、またお店にいらしてくださいね」
ひらひらと手を振って、二人は連れ立ってバスターミナルの方へ歩いて行ってしまう。
遅ればせながら、ようやく到着した救急車に乗せられて、霊に腕を斬られた彼女も病院へ向かった。
集まっていた野次馬が、三々五々散っていく。
「ありえないよなぁ……」
おもわず呟く太郎だった。
やがて、どうやら呆然と突っ立っていた太郎に気付いたらしく、背後から声をかけられた。
「あ、いたいた、たろちゃん。こんなところでどうしたの?」
それは、本来の待ち合わせの相手である、文也だった。
珍しく太郎が呆然と呆けているのに、まだフリーターの彼は、かわいらしく首を傾げた。
もう二十歳を過ぎたいい男だし、別に美形でもない彼の表情が可愛いく見えるのは、多分彼氏に可愛がられている幸せがにじみ出ているせいなのだろうと思うが。
ともかく、そのほのぼのとした存在に、癒される太郎である。
「いや、なんでもない。もしかして俺待ち?」
「うん。委員長が暇そうにしてたよ」
行こう、と手を差し出されて、太郎は迷わずその手をとった。
体温の低い彼の手がひんやり冷たくて、気持ちがいい。
解放してしまった霊視力を再び封じる。
この時期は、やはりただ見えるだけの太郎には厳しい。いつもより余計に見えてしまうから。
「せっかく渋谷だし、服見に行こうよ」
「あ、俺、こないだ腕時計壊しちゃってさ」
「じゃ、それも。東急でいい?」
文也と比べればけして明るいとはいえない二人の連れを呼び寄せて、文也が先に立って歩き出す。
学生時代よりも元気で明るくなった文也に引っ張られて、太郎は二つ上の彼の姿に嬉しくなってくすくすと笑い出した。
死んでもなお未練を残し、生きた人間を傷つける霊に、同情しないと言えば嘘になるが。
太郎はやはり、生きて日々成長している人間の方が好きだから。友人たちと楽しくじゃれあいながら元気いっぱい生きて生きたいと思うのだ。
「なぁに? たろちゃん」
「なんでもないよ」
「もう、急に笑うから何かと思ったじゃない。変なたろちゃん」
ちょっと拗ねてずんずん先を歩いていく彼を、太郎はますます笑いながら、追いかけていった。
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