七夕 in Boston 1
(2005年七夕限定SS)
鐘が鳴る。
これから先の未来を共に歩む二人に、神の祝福を与えるように。
荘厳なる、鐘の音。
マサチューセッツ州ボストン市郊外に建設された、比較的大きな総合催事施設の一角に、文也は佇んでいた。
誂えてはあったものの、今まで一度も袖を通したことが無かったフォーマルスーツを身にまとい、その歳ではまだ似合わない、ホワイトシャツにホワイトタイ。
胸ポケットにも白いハンカチをはさみ、まるで通信販売のカタログからちょっと出てきてみたような、お決まりのスタイルだ。
ただし、背が小さいせいか、わざわざ誂えているにもかかわらず、服に着られている感が否めない。
文也の隣には、めっきり腰の弱くなった祖父が、杖を片手に立っていた。
欧米らしい立派な教会の扉が、重々しく開かれ、文也にとっては親友と言ってもいい、年上の友人が花嫁を連れて姿を現す。
普段のカジュアルウェア姿ばかりの印象がある彼だが、さすがは血統というべきか、白い燕尾服がよく似合っている。
背は低いが典型的な白人種の外見をした彼が手を引く花嫁は、こんがりと焼けた肌の色とウェーブのかかった艶のある黒髪が印象的な、黒人種の女性で、耳元に囁かれた新郎の甘い台詞に、少し恥ずかしそうにはにかんで笑った。
従来の人種差別問題などものともしない、似合いのカップルだ。
文也が高校を卒業したその年の7月。
専門学校の期末試験に追われて悲鳴を上げている恋人を日本に残し、文也は招待されるままに渡米してきた。
何しろ、まだローティーンだった頃にかなりお世話になった親戚である、友人の結婚式だ。
断れるわけはないし、送り出してくれた恋人も、俺も出席したかった、と嘆いていた。
実際、招待状は届いていたのだ。優にも。だが、試験をサボれない。
佐藤家では、招待を受けたのは祖父と文也だけだったらしい。
長旅で疲れた身体を、祖父の甥が家族総出で歓待して、休めさせてくれた。
実は、大学に入る直前の数ヶ月だけお世話になっていた家だが、その頃とほとんど変わらない雰囲気が、文也の心をリラックスさせてくれた。
さすがは友人を育てた家だ、というわけか。
ふと、隣に立つ祖父が、呟くように話しかけた。
「あの二人の子供は、きっと美人になるな」
「奥さん、きれいですもんね」
祖父の言葉に、文也は自分に話しかけられたかどうかも確かめずに、頷いて返した。
言われるとおり、女の子ならきっと絶世の美女になる。親戚の欲目かもしれないが。
「出来ることなら、お前の子供も抱いてやりたかった」
それは、子供、という言葉から連想されたものだったのだろう。
その言葉に、文也は一瞬言葉を失い、それから少し寂しそうに笑って返す。
「何を気弱なことをおっしゃっていらっしゃいますか。お祖父様には、まだまだ長生きしていただかなくては」
「ははは。いくら長生きをしても、お前の子供は望めまいよ。後は、祐樹に期待するさ」
え?と、今度こそ文也は驚いて、祖父を振り返った。
自分の血のルーツであるとは思えない長身が、老いた皺だらけの目元をさらにしわくちゃにして、慈しむように文也を見下ろしていた。
「男の性で子供を授かることは、どんなに最先端の医療技術でも難しかろう。その分、お前にはロボットという子供を作る力がある。それが何よりの救いだ」
その言葉はつまり、文也とその恋人が二人とも男であることを当然のように受け止め、ただ単純に自然の摂理の無情さを嘆いたものであったらしい。
だが、それにしても、この祖父の世代で、現代でも社会問題に取り沙汰されるような、同性愛という問題事項を、こんなにも柔軟に受け止められるとは。
少し意外だった。
「反対、されないんですか?」
「精神病院に入院していてもおかしくなかったお前を、この世界に引き止めてくれる人がいることに、どうしてわしが反対せねばならん? 彼には感謝している。家族ですら助けてやれなかったお前を、救い上げてくれた。礼儀正しい、気持ちのいい青年だ。大事にしなさい」
まさか、家族に寿いでもらえるとは思っていなかった関係だったから、文也はそうやって穏やかに笑う祖父を、信じられない思いで見つめていた。
周りが急に歓声を上げる。見れば、教会の扉の前で、友人がその花嫁を軽々と抱き上げたところだった。
羨ましそうにそれを見つめる孫に、祖父は突然、いたずらを思いついたようににんまりと笑った。
「文也も、ウエディングドレスを着てみるか? 大々的に企画するぞ」
「……勘弁してください」
意外にもお茶目な祖父の思いつきに、文也はたいそう力が抜けたように脱力して、そう答えた。
さすが、大企業を一代で興してここまで育て上げた人は、発想が違うらしい。
披露宴の二次会は、夕方から市街の洒落たレストランを借り切って開かれた。
一度、宿として提供された親戚の家に荷物を取りに戻り、文也は開始時間ギリギリに会場に滑り込んだ。
中は立食パーティーの形式を取られており、前方に出し物のための舞台が、後方に店で用意したブッフェスタイルの食事が並べられている。
文也の手元は、意外な大荷物だった。
ノートパソコンのキャリングケースらしいカバンを提げ、手に女の子の人形が抱えられている。
受付を担当した、新郎の教え子である若い女性が、文也が名乗った名前を聞いて驚いたように顔を上げた。
「Dr.サトウ? あの、有名な?」
「さぁ、有名かどうかは……」
確かに、大学では多少有名かもしれないが。
卒業してそろそろ四年が経つ。誰も彼もが知っている有名人、というわけではないだろう。
と、その文也に気づいたのか。後ろから誰かに肩を乱暴に抱き寄せられた。
「やぁ、フミヤ。久しぶりじゃないか、元気だったか?」
「あぁ、ポール。久しぶり。君も呼ばれたんだ?」
「カインは律儀だからね。……お。クゥじゃないか。持ってきたのか?」
「連れてきたって言ってやって。モノ扱いすると怒るよ、この子」
それは、在学中に授業などで顔を合わせた程度の関係の、昔の学友だった。
そんな薄い関係の人も、あちらこちらに見られる会場だ。
どうやら、カインの在学中の同期同学部生はほとんど招待したらしい。確かに、律儀だ。
文也は、大学に在学中はカインと同期で同学部だったから、大学の友人はしっかり被っている。知らない顔は、一つもなかった。
だからといって、そんなに親しいわけでもない彼に馴れ馴れしく身体を触られて困っていると、反対側の隣から別の声がかかった。
「ハイ、フミヤ」
「あ、クララ。久しぶり〜」
逃げる口実が出来た安心感と、その美人の友人に合えた喜びで、文也は彼女の胸に飛び込んでいく。
その小柄とはいえ自分と同じくらいの体格の文也を、クララは嬉しそうに抱きしめた。
クララは、初めての彼氏の妹で、彼氏と酷い別れ方をした後も、親しく付き合っている友人だ。
年上の学友しかいない文也にとって、一番歳が近く、何でも話せる大事な友達だった。
だから、今でも彼女の前では少し子供に戻る。
それを、クララも事情を知った上で受け止めてくれるのだ。
「あら、くぅちゃんね。電源入ってないの? くったりしてて、お人形さんみたい」
「十分お人形だけどね。コンセント、ないかな?」
「あぁ、うん。ちょっと待って、幹事さんに聞いてきてあげるわ」
ふわん、と甘い香水の残り香を残して、クララがそこから離れていく。
背中が大きく開いた色っぽいドレスが、妙齢の男たちの視線を釘付けにしているが、彼女には永遠を誓った旦那が実はすでにいたりする。
結婚式に呼ばれなかったのは、その家族に問題があるからで、その時はウエディングドレス姿の彼女ががっしりした体格の男性に抱き上げられている写真つきで、メッセージカードが送られてきていた。
なかなか頼れそうな旦那で、文也もほっとしたものだ。
彼女の代わりにやってきたのは、文也にとっては一番会いたくない相手だった。
「フミヤ」
「……ジョン」
それは、クララの兄だった。どうやら、クララの行動を見ていて、文也を見つけたらしい。
本当であれば、会いたくは無かった。
だが、そうは言っても、同い年で同じ大学に勤めていて同じ大学出身の彼を、本日の主役としては招かざるを得なかったのだろう。仕方の無いことだ。
ジョン・ターナーという。
それは、文也のまだ幼かった心に深い傷をつけた、最低最悪な男の名前だ。
優を好きになってようやく傷も薄れてきたというのに、この男はまた傷を広げにやってきたらしい。懲りない奴だ。
「来ていたんだね。会えて嬉しいよ」
「僕は会いたくなかったよ、ジョン。この狭い店内で僕の視界に入るななんて無茶は言わないけど、せめて僕の半径3メートル以内に近づいてこないでくれる?」
きっと、2年前に優と一緒に来たときに会っていたら、こんな風に憎まれ口を叩いたり出来なかった。
恋人と、気の置けない友人に囲まれて、楽しく幸せな2年間を過ごしたからこそ、今の文也がここにいる。
何より、恋人の暖かな腕が、離れている今でもしっかりと文也を守っている。
だから、ぐらつくことはない。
一方のジョンは、今更ながら、文也のこんな拒絶の言葉に大げさなくらいにショックを受けた。
「……フミヤ……」
「自分が何をしたのか。忘れたとは言わせないからね、ジョン」
文也は、そう宣言したきり、興味をなくしたとばかりに、ふい、とそっぽを向いた。
ちょうどそこへ、ジョンの妹が小走りに戻ってきた。
「兄さんっ! フミヤに近づかないでって言ったでしょ! フミヤ。行きましょ」
豊かな胸をぎゅっと文也の腕に押し付けて、その腕を強引に絡め取ると、クララはまるで文也を引きずるようにそこを離れた。
情けない声で妹を呼び止める兄の声は、容赦なく無視だ。
少し離れた壁際に並んで、文也はクララの顔を覗き込んだ。
「良いの? お兄さん」
「良いのよ。フミヤの事に関しては、私、いまだに怒ってるの。あんな兄じゃ、義姉も可哀想よ。いいクスリだわ」
「そういえば、ジョンって、結婚したんだっけ。奥さんはどんな人?」
「そうねぇ。フミヤにちょっと似てるかな。背が低くて童顔だけど、気が強くて責任感があって。兄さんって、本人はまったくダメなくせに、恋人を見る目だけはあるのよ」
そこだけは、認めるわ。そう言って、クララはくすくすと笑った。
つまり、どうやら義理の姉との仲はうまくいっているらしい。なんだか不思議な家庭ではある。
しかし、つまりそれって。
「僕って、ジョンの好み、ってこと?」
「でしょうねぇ。歴代彼女、みんな似てるもの」
「なんか、複雑……」
つまり、女性に並び立たされているわけだ。
クララが認める素敵な女性であるらしいから、嫌だとは思わないが、とりあえず、男として情けない。
はぁ、と溜息をついたら、クララは楽しそうに笑った。
それから、そうだわ、と手を叩く。
「コンセントよね。こっちよ」
どうやら、忘れていたわけではなかったらしい。
クララに案内されて、文也はこくりと頷き、彼女の後についていった。
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