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それは、もしかしたら俺たちに知られないうちに秘密裏に片付けてしまう算段だったのかもしれない。
翌日の夕食時のことだった。
混む時間帯をはずして遅い時間に食堂に入った俺は、ちょうどその食堂の向こうの隅の方で、問題の一年生、相田が一人でうどんをすすっている姿を見つけた。そこに、定食のお膳を手に話しかける斉藤先輩の姿があったんだ。
俺は、目的のA定食を諦めてすでに用意できているお握りとから揚げを手に、そちらに近づいていった。ちょっと離れて声が聞こえる場所に座る。
「誰、あんた」
それは、初めて聞く低い声だった。少し硬い声なのは、それが声質なのか、それとも警戒しているせいなのか。
その生意気な問いかけに、斉藤先輩は気にした様子もなく、軽く笑った。
「校内の有名人くらい、把握しておくべきじゃねぇ? 一応、三年もここで暮らすんだしよ」
「……興味ないね」
「あ、そ。まぁ、良いや。俺は三年の斉藤。初代探偵団の一員だ。ま、あんたにとっちゃ、お節介なのはわかってるけどな。これも仕事なんだ」
初代の中で一番やる気の無い人だとは聞いていたけれど、本当に適当。大丈夫かな、って俺は首を傾げた。その俺の肩を、叩く人が一人。見上げれば、いつも斉藤先輩と一緒にいる小柄な先輩だった。にっこり笑って、口元に人差し指を立てる。黙ってろ、ってことみたい。
その間にも、背後では会話が何故か成立していた。
「何の用っスか」
「ん。そろそろ堪忍袋の緒を切ってみないか、ってお誘いさ。ただ耐えてるだけじゃ、お前も腹の虫がおさまんねぇだろ」
「はぁ? あんた、何言ってんのか自分でわかってんの?」
ごめん。俺も、相田に賛成。何てとんでもない提案してるんだ、斉藤先輩。
ってか、佐藤先輩が黙ってろってしたサインの理由は、もしかしてこの提案のことだったのか。
佐藤先輩は俺の隣に席を決めて、そこに俺が目当てにしていたA定食を置いた。マイ箸を持っていて、皆が握っている赤い塗り箸とは違う黒い箸が手元にあった。
振り返ってみれば、斉藤先輩の手には同じ形の紺色の箸が握られていた。お揃いなんだ。
そりゃ、恋人同士だとは聞いてたけれど。こうしてお揃いの小物を見せられると、なんだか当てられてしまう。
食事の手が止まった相田と対照的に、斉藤先輩は美味そうにとんかつにかぶりついた。
「もちろんわかって言ってるさ。トーシロの集団相手に一人で勝てる自信がないってんなら無理には勧めねぇけどよ。いい加減ウザいだろ。実力行使に出ても、俺たちは見ねぇフリしてやるって言ってんのさ」
手伝ってやる、っていう話じゃないらしい。そのことにほっとした俺は、だからこそ、その会話をどう収めるのか、興味が湧いた。
唖然とした様子の相田は、しばらく斉藤先輩を見つめていて、それから、俺にも聞こえるくらい大きなため息を吐いた。
「良いよ、別に。実害があるわけでもなし、周りで犬っころがキャンキャン喚いてるだけだろ。そのうち飽きるさ」
「本気で? 面白みのねぇ奴だなぁ」
「……悪かったな」
からかわれたと思ったのだろう。むすっとして答えた相田に、斉藤先輩は気にした様子もなくて。ただ、肩をすくめた。
「まぁ、本人にその気が無いんなら、別にかまわねぇさ。知らない所で報復されるとこっちも困るから、勧めてみただけのことだしな。やる気になったら、一声かけといてくれ。よろしくな」
ちょうど食べ終わったらしい空の食器を重ねてお膳を持ち上げて、斉藤先輩が立ち上がる。っていうか食べるの早っ。
何でもないことのようにさらっと種明かしをして、立ち上がった二年上の先輩を見上げ、相田は少し呆けた表情を見せた。それから、ようやくわけのわからない誘いをした意図を掴んだらしく、苦笑に変わる。
俺も、言われるまでその意図がわからなかったけど。なるほど、確かに、知らない所で大暴れされたらこっちの仕事が増えるわけだし、どうせやるのなら事前に知らされていた方が対策も取りやすい。
頭ごなしに、報復はやめてくれ、っていうんじゃなくて、やるなら知らせろ、っていう妥協姿勢をこっちが先に見せるのは、実は去年先輩たちがやった方法の常套手段だった。他人の意思は尊重する、行動も制限しない。その代わり、その行動で発生する仕事を事前に把握しておくための下準備はだいぶ前に済ませておく。それが、藤の探偵団の流儀だった。
多分、先輩たちからすれば、事前にわかっているのだから防げる騒動もわざと発生させているのだから、仕事は増える一方だろう。それを、特に苦労とも思わせずに難なく処理してきたのだから、やっぱり初代探偵団は有能だ。はっきりいって、二番煎じの出る幕は無い。
でも、そんな彼らももうすでに三年生。来年はここにいないんだ。
だから、俺たちが跡を継いで、さらに後輩を育てていかなくちゃいけないわけで。
責任は、思ったより重大だった。
結果、事件は何事もなく収束へ向かった、はずだった。
そうではなかったと知ったのは、あの食堂での遭遇からぴったり一週間が経った昼食時間のことだ。
「藤堂! 中庭で喧嘩発生してるぞ!」
授業が終わったばかりでまだほとんどの学生が残っている俺たちの教室に、ついさっき教室を出て行ったはずのクラスメイトが飛び込んできた。そして出てきた台詞はそれ。
校舎の二階に位置するこの教室の前の廊下が中庭に面していて、そこの窓から見下ろすとちょうど現場が見える。
俺と藤堂は、大急ぎで教室を飛び出し、中庭を覗き込む時間も惜しんで階段を駆け下りると、上履きのまま中庭に出た。
そこにいたのは、十人規模の一年坊主の円陣だった。
「こら〜。君たち何やってるの〜」
ちょっと間延びしたようなのん気な口調で、隣の藤堂が注意の声を上げる。そうして視線をこちらに向けたことで、円陣の中が見えた。
そこにいたのは、うずくまる相田の姿だった。
何がきっかけだったのかは知らないが、恐れていたことが起こってしまったわけだ。
もちろん、そこにいる一年坊主たちは、俺たち二代目探偵団で言い聞かせて諭しておいたはずの、その生徒たちだった。俺たちが叱る相手を間違えていたわけではなくて、俺たちに何を言われても聞く耳を持っていなかったわけだ。
藤堂の姿に、俺たちが探偵団の人間だと気付いたようで、彼らは互いに顔を見合わせると、慌てて円陣を解いた。そのうちの一人が、相田に手を差し出す。
「なに転んでんだよ、ドジだなぁ」
「下手な言い繕いはやめときな。誰も信用しないからね」
俺も彼らも気付いていなかった方から声がかかって、全員がそちらに目を向ける。そこにいたのは、中庭を挟んで向こう側、位置的には医務室にあたる部屋の窓から顔を出す、加藤先輩だった。窓の枠に両腕を乗せて、ふわわ、と盛大に欠伸をする。ということは、もしかして、そこで寝てた?
その部屋にいた常勤医の先生も、窓越しにこちらを見ていた。口を挟むつもりは無いらしく、ただ見ているだけ。
「相田くん。やられっぱなしになってること無いんだよ。やられたらやり返すのは、人間として当然の権利だからねぇ」
「……俺がやりかえしたら、やりすぎになるだろ」
「良いんだよ、気にしなくて。うちの学校、自分のやる事にはちゃんと自分で責任を取る、ってのが方針だからね。因果応報、って言うでしょ?」
授業をサボっても誰も咎めないし、個人の自由として認められている代わり、成績が下がってもそれは自分が授業をサボった結果なのだから。というのが、本来のこの学園での方針の趣旨なのだけれど。こういう場合にも当てはまるんだ。
つまり、自分よりも力が明らかに強そうな相手を、数に物を言わせて集団で攻撃した。その仕返しが、わかっていたその力で返されたとしても、当然の報いだということ。自分が行った物事の当然の結果なわけだ。力が強い方だけが咎められるようなシステムには、うちの学校はなっていない。
最終的な結果として、一方が大怪我を負う事態になったとしても、その原因として悪いのが怪我を負った側だった場合、何らかの処分が下されるのはその原因の方であって、仕返しをした加害者には正当防衛が成り立つ、というわけ。
まぁ、一方的なイジメならともかく、双方が同意の上で喧嘩をする分には、学校から処分が下ることはないけれど。そのごたごたの中で何か学校の物品が壊れたりした場合に、器物破損で注意されるくらいだろう。
そういう方針だからこそ、フォローに回る俺たちのような学生探偵団が必要なわけ。
力の強い方の彼を焚きつけようとする先輩の言葉に、一年生たちは今度こそ驚いたらしい。その中の何人かが、この場から逃げ出そうと踵を返す。
けれど、こっち側の出口は俺たちが塞いでいて通れないし。向こう側に駆け出した彼らを通せんぼしたのは、同じ二代目のメンバーだった。
「逃げるなよ。自分たちが起こしたことだろ」
向こうを塞いだ真下の言葉に、大人しそうな可愛い顔をした彼だからこそ、余計逃げ場が無いことを悟ったのか、一人、ふらっと足元をふらつかせて、その場にへたりこんだ。
その中で、渦中の被害者、相田は、ゆっくりと立ち上がって服についた芝を払い落とすと、こちらに歩き出した。それをのんびり見送って、加藤先輩が脱力姿勢のまま声をかける。
「相田く〜ん。良いの? このままで」
「今回は、別に良いですよ。なんか、あんたたちのおかげで毒気も抜けたし。次はねぇけど」
言い捨てて、その場を立ち去っていく彼を見送って、気が抜けたのか、一年生たちが全員、一斉に脱力したのが見て取れた。
この中庭を見下ろせる校舎の窓際にずらりと並んだ見物人たちは、結局何も怒らないまま収束したこの現状につまらなそうに解散していく。
さて、俺たちはこの加害者君たちの後始末をしなくては。
「次は止めに来ないからね」
え?
あっさりと言い放って、校舎に戻る方向に足を向けた藤堂に、俺も驚いて振り返る。気付けば、加藤先輩も医務室の窓を閉めていなくなっていた。
ってことは、本当に解散なのか?
「藤堂。いいのか?」
「良いんじゃない? 本人が良いって言ってるんだし。この子達は、これでわからないなら痛い目を見るしかないよ。放っておこう」
ほら行くよ、と背中を叩かれて、俺も藤堂に従う。向こう側にいた仲間たちも、藤堂に従うことにしたらしい。
後には、いまいち状況が理解できていないらしい一年生たちが残されていた。
俺たちのスタンスって、つまり、道筋を作って見せるところまでってことだと、ようやく俺が理解したのは、それから一ヶ月後のことで。
ついでに言うと、だからこそ、そういうスタンスをわずか半年で作り上げた初代の先輩たちの異能を思い知ったのもその頃で。
さらに言えば、初代の先輩たちがアドバイザーに徹するようになったのも、丁度その頃だった。
まぁ、彼らが卒業するまで、俺たちは彼らの手を焼かせることになるんだろうけれど。卒業式までには、後輩を指導できるくらいに成長しなければ。
そんな風に自分自身に言い聞かせられるようになったのは、それはそれで十分成長した証拠なんだろうと思う。
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