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寮の部屋に戻ってから、優は文也に抱きついた。全寮制の代わりに私服の学校ではあるから、制服がしわくちゃになる心配はないのだが、それにしてもカバンも持ったままだ。文也は不機嫌なまま、優を睨みつける。
「どうしたんだよ、文也。手紙もらってから、不機嫌だぞ。機嫌直ったのって、タバコ吸ってたちょっとだけじゃねぇか? 手紙、そんなに嫌な奴からなのか?」
ことのほか優しく声をかけられて、文也は自分の態度を反省したらしく、頭をうなだれた。ぎゅっと優に抱きつく。
「前の彼氏なんだ」
「……今でも好きなのか?」
「まさか。あんな奴、大嫌い。どうでもいいって思いたいのに。まだ無理なんだ。悔しくて、あんな奴に引っかかった自分が情けなくて」
よっぽどひどい目にあったらしい。
不機嫌な理由がわかって、優はいくらかほっとした。
理由がわかるのとわからないのとでは雲泥の差だ。理由がとんでもないものであったとしても。そして、これは、十分理解できる。
「……くぅに優の事覚えさせないの、あの人のせいなんだよ」
え?
思わぬところに話が飛び火して、優は思わず聞き返した。
そこにくぅが関わってくるとは、さすがに想像もできなかった。
どうやら、くぅに対する不可解な行動の原因はそこであるらしい。せっかくの高機能ロボットなのに、目覚まし時計扱いなのだから、おかしいことこの上ないのだ。
「くぅの名前、あの人の妹からもらっててね。クララっていうんだけど。あの人、シスコンだったんだよ。クララとは僕のほうが年が近いから、仲良いんだけど。でね、くぅって名前付けて、妹みたいに可愛がってた」
「名前、変えれば?」
「ダメ。それ、僕が違和感覚えちゃうから」
確かに、文也にとっては自分の子供のようなものだから、そう簡単に名前の変更はできないだろう。それで、昔の失恋を思い出してしまうのだとしても。
「でね、まぁ、あの子を作る過程を知ってるから、二足歩行できるようになった時の喜びようと来たら、あれ、多分親バカの領域」
昔話をする文也が、声に力がないせいか、やけに儚げで、優は彼を抱きしめた。それから、ベッドの方へ促す。二人並んで座るには、そこしかない。
手紙を突っ込んだポケットで、カサ、と紙がすれる音がした。それに気づいて、文也が手に取る。封筒がいかにもエアメールで、はぁ、とため息をついた。
「何だ。まだ読んでなかったのか」
それを横から覗き見て、優が軽く苦笑を浮かべる。文也を抱きしめて、こめかみにキスを落とす。
「あの頃は、かなり幸せだったのにね」
「何で別れたんだ? 帰国?」
「博士号」
は?
またもや想像に苦しい答えに、優は聞き返す。
今日は、優の頭フル回転で、しかもまだ足りていない。難しい話が続いている。
だが、ここが正念場なのはわかっていた。文也が好きだと思うから。ここは軽視できない。
「何で?」
「くぅをね、誘拐されちゃったんだよ。メカ系は僕が全面的に作ったんだけど、言語能力、っていうか、自己学習機能っていうか、その辺は二人でだったから。くぅは1体しかないでしょう? で、『俺が博士号を取るんだ!』って」
「何だそれ。恋人だろ? 二人仲良く、はダメなわけ?」
「まさか。可能だよ。じゃなきゃ、誰も共同研究しないでしょ? 僕は独立二足歩行技術で、彼は言語技術で、それぞれ申請すれば、たとえ成果物は1体でも問題ないから」
じゃあ、何で? そういう専門的なことや学問という分野は、仕組みが優には良くわからないから、文也に聞くしかない。
聞かれた文也は、ただ首を振るだけだった。
「さぁね。何を考えていたのか。
で、誘拐された後、くぅがどうしても見つからなくて。研究室の友人とか、いろんな人に頼んでくぅを探してもらったんだけど、結局わからなくて。くぅなしで研究論文を提出することを覚悟した。
その、提出日前日にね、くぅは自力で帰ってきたんだよ。クララのところにいたんだ。『文也のところに帰して。間に合わなくなっちゃうよ』って、一生懸命お願いしたんだってよ。いい子だよね。
だから、くぅの名前は変えないの。クララは恩人だからね、兄貴と違って」
なるほど。ふんふん、と優が頷いた。
納得できる理由だ。そして、クララとは仲が良い、と現在形で言った理由もわかった。現在でも仲が良いのだろう。
納得して、それで?と先を促す。
「その後、そいつは?」
「会ってない。僕が日本に帰るその日まで、行方不明だった。
クララも知らなかったんだ。くぅを預けたまま、音信不通になっちゃったんだって。最初、僕と喧嘩したんだろう、くらいで思ってたから、ギリギリまで返していいものかどうか悩んだんだってさ」
本当に、何も言わずに預けたらしい。それは、クララという女性も困っただろう。
僕がいなくなってからひょっこり帰ってきたらしいけどね。そう呟いて、文也は手紙を握り締めた。心底憎らしげに。
優は、文也がそれを握りつぶす今の今まで忘れていたその手紙の存在を思い出して、文也の手からそれを抜き取った。勝手知ったる他人の部屋で、はさみを取り出し、封を切る。
中身は、書きなれた人が書く崩れたアルファベットの羅列だ。
「……読める?」
「誰に聞いてんだよ。読めるわけないだろ」
ほら、読め、と命令口調で、優はそれを文也の目の前に広げた。
封を切らないといつまでも読まないのだろうと判断したのだが、まったくその通りで、文也は苦笑した。
「訳す?」
「とりあえず、先に読めよ。俺に話してわかる内容だったら話してくれたらいい」
その言い方が少し不機嫌で、その理由を察して、文也は笑った。
その意味は、本当は自分が読んでやりたいが、読めないのだから仕方がない、と、そういうことだ。
「なぁ、文也」
手紙を受け取った文也の隣にまた腰掛けて、優は恋人の肩を抱く。
何?と言うように、文也がその顔を覗き込んだ。少しはすっきりしたのか、優の表情に気を配るくらいの余裕はできたらしい。視線を受けて、優は苦笑した。
「俺のことは、とりあえず気にするな。前の恋人が男だろうが女だろうが、動物だろうが宇宙人だろうが、俺は気にしないから」
「……動物と宇宙人は嫌だなぁ」
「普通は男も嫌だろうよ」
「優も男だよ?」
「そう。そこが問題」
答えて、優は実に幸せそうに笑った。
つまり、まったく気にしていないということだろう。文也に惚れたと自覚したときに、すでにその辺りは解決済みなのだ。今更だ。
文也も文也で、前も今も恋人が男なのは同じで、つまり、まったくこだわっていないのだろう。ただの言葉遊びらしい。
その言葉遊びでだいぶ落ち着いた文也は、改めて手紙に視線を落とした。優がその髪にじゃれ付いている。
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