7




 二階でトイレの水を流す音がかすかに聞こえてきて、居間にいた太郎は上を見上げた。

 目の前では、中野の告白に、文也の両親と弟が呆然としてしまっている。その様子を、安楽椅子にゆったり座って、文也の祖父がパイプを燻らせながら眺めていた。どうやら祖父は、文也の過去を知っていて、あえて黙っていたらしい。文也の意思を尊重する立場を取っていたのだ。

 居間のテーブルの上では、500ミリリットルペットボトルとほぼ同じ身長の少女が、プックリした身体をしなやかに揺らしながら、飛んだり跳ねたりして踊っていた。飛び上がって着地するたびに、聞こえる音は、間接をぎぃと鳴らす金属音で、それが彼女がロボットであることを如実に物語っている。二つに分けた三つ編みの髪は、太郎が暇つぶしで作ったものだ。

 しばらくして、ぎぃぎぃと古い階段が音を立てた。足音は一人分だが、やけに慎重な降り方である。太郎がいるところから階段が見えるので覗きこんでみると、優が文也をお姫様抱っこして降りてきているところだった。

 一番下まで降りてきて、文也を下ろした優は、嫌がる文也の手を引いて居間にやってきた。ダイニングテーブルには空いている椅子がなくて、少し離れたソファに移動する。まず文也を座らせて、目の前にいる文也の祖父に頭を下げた。

「はじめまして。斉藤優と申します。文也さんにはいつもお世話になっております」

「ようこそ。今日はちょっと腰の具合が芳しくなくて、こんな格好で失礼しますよ」

 頷くくらいの頭の下げ方で、祖父がそれに答えて返す。それから、孫に視線を移した。嬉しそうな困ったような悲しそうな、どう表現したら適切なのか判断に苦しむ表情で、友人である優を見上げているのに、祖父は何を悟ったのか、なるほど、と頷く。

「幸せでやっているようで良かった。高校へやった甲斐はあったようだな」

 言われて、文也はびっくりして祖父を見つめた。言葉どおりの意味であれば、友達に恵まれて、といったことになるのだが、どうも含みを感じるのだ。もしかして、この短時間に、二人の関係を正確に把握してしまったのか。そう思える言葉であった。

 祖父と孫の会話が平穏に成立しているのにほっとして、優は太郎の方へ近寄っていく。太郎の横からテーブルへ手を伸ばし。

「くぅ。おいで。文也が戻ってきたよ」

『ふーちゃん、元気になったぁ?』

 つい先程まで踊り狂っていたくぅが、優に呼ばれて動きを止め、差し出された手に駆け寄っていく。抱き上げられて、手にしがみついた。

「加藤。飯、食いに行こうぜ。文也が、腹減ったって」

「そりゃあ、そうでしょう。四日も飲まず食わずじゃ、死んじゃうよ」

 優に声を掛けられて、太郎も立ち上がり、文也のそばへ歩み寄る。そして、横から抱きついた。

「元気になった?」

「ごめん。心配かけて」

 肩のそばに顔を寄せる太郎に、文也は泣きそうな笑みを見せた。膝にくぅが乗って、文也の腹にぺとっと張り付く。

『ふーちゃぁん。ひどいのぉ。くぅはふーちゃんが作ったんだよ、って言っても、みんな信じてくれないのぉ』

「そうなの? それは困ったねぇ」

 いや、それは他人の反応だ。

 思わず優がそう突っ込みそうになった。間違いなく自分の話のはずなのだが、とてもそのようには見えない。いい子いい子するようにくぅのおさげ頭を撫で、文也は祖父に目をやった。

「御祖父様」

「うむ。なんだね?」

 声を掛けられ、パイプを離す。声を掛けたままその先に話を進めない文也に、くすりと笑った。

「もうそろそろ頃合だろう。本性を見せてみたらどうだね? 言葉で言っても、長年の誤解を解くには説得力に欠ける。が、それを信じさせる力を、お前は持っているはずだよ。文也」

 やはり、訳知りであったらしい。説得されて、困ったように文也は肩をすくめた。その視線を、優へ移す。

「持ってる?」

「おう。確か、パソコンのカバンに入れたぞ。ちょっと待ってろ」

 視線で一体何が伝わったのか。しっかり話が通じていて、隣にいながら主語がわからなかった太郎が、首をかしげたまま優の行動を見送った。部屋の隅に置かれたパソコンケースを開いて、取り出したのはなんと、タバコの箱とマッチ。

「あ。アメリカンスピリットじゃない。どうしたの?」

「これ、向こうで吸ってたろ? 学校にはないからな、それで諦めてたんだと思って。途中で寄ったコンビニにあったんだ」

 ビニールのパッケージをめくって、紙蓋を破って、文也に差し出す。それを一本受け取って、マッチで火をつけた。同じくタバコをくわえた優に、火のついたマッチを差し出した。吸い込んで、二人揃って深く息を吐く。

「あー。やっぱり、これが一番おいしい」

 ちなみに、文也は昨年の夏に二十歳になったばかりだ。優に至っては、まだ未成年のはずで。感想としては間違っているはずなのだが。

「不思議だよねぇ。さとっちみたいな天才児が、タバコ吸ってるなんて。それで何でそんなに頭の回転早いの? タバコの害に、思考能力の低下ってなかったっけ?」

 別に、タバコの煙は嫌ではないらしく、そばに顔を近づけたままで、太郎が首を傾げる。その感想にくすくすと笑って返して、文也がようやく自力で立ち上がった。ダイニングテーブルの上の灰皿を取って戻ってくる。

 文也が家族と目を合わせようともしないのに、ようやく父親が咎める気になったらしい。がたん、と椅子を鳴らして立ち上がった。

「文也っ」

 いつの間に移動したのか、中野も渡辺も佐藤家当主のいる位置へ移動していて、ことの経過を見守っている。

 怒った口調で呼びとめられて、文也はゆっくり振りかえった。灰皿を優に渡して、灰を落とし、吸いかけのタバコを口に運ぶ。

「お父さん、僕がタバコ吸うなんて知らなかったでしょ? 小学生の時作ってたがらくた、まだ動いてるんだよ。中学生の頃、不良たちに目をつけられて恐喝されてても知らん顔だったよね。あの時は、ちゃんとお父さんにもお母さんにも相談したのに。僕のことになんて、興味ないんでしょ? アメリカで大学卒業したことも、博士号持ってることも、特許持ってることも、年収300万いってることも、何にも知らないんでしょ? アメリカ行って何してたのか、一回も聞いたことないよね。向こうでストリートの子たちと遊んでたって、男の人と付き合ってたって、全然知らないよね」

 しゃべり始めたら、止まらなくなった。今まで喉元に押し止めていた言葉たちが、一気に溢れてくる。それでも、何も感じないのが不思議だった。淡々と、言葉だけが生まれては吐き出されていく。

 そんな文也の言葉を、両親と弟は、驚いた表情のまま見守った。それ以外に、彼らにできることなどなかった。

「聞いてくれたらちゃんと話したよ。でも、向こうで学校にも行かずに遊びほうけてたって決めつけて、高校くらい出てくれって泣きついたのはどこの誰? 一言も聞かなかったよね。大学出たよって話そうとしたら、何て言ったか、覚えてる? 『口応えするんじゃない、佐藤家の長男ともあろう者がおちこぼれじゃ、世間様に顔向けできない』だよ。話す気失せるでしょ? で、今回は何? そこそこの成績が取れてるんだから、三流大学くらい入れるだろうって? バカにしてるの? 仮にも佐藤家の血を引いてる自分の息子を捕まえて、よく言えるね、そんな言葉。おかしいと思わないわけ? 素直で従順な可愛い息子が一人いれば、もう一人のことなんてどうでも良いんでしょ? 佐藤家の家名に泥を塗らなければ、あとはどうでも良いんでしょ? だったら、放っといてよ。中途半端に干渉しないでよ。迷惑だから」

 最後の一言が、文也の本心だった。はっきり言いきって、吸わないうちに短くなってしまったタバコを灰皿へ押しつけた。三分の一はすでに灰と化していたタバコが、へにゃ、と曲がってそこに捨てられる。まるで自分の分身を見ているようで、文也は眉をひそめた。

 それは、優以外には一人としてすべてを把握している人のいなかった、大変な告白で、全員が文也に注目してしまっていた。祖父も中野も例外ではない。アメリカでストリートの友達と遊んでいたことも、実は喫煙者であることも、今まで誰にも話さないでいたのだ。

「文也。お前、どうしてそういう大事なことを言わないんだ?」

「言わないんじゃなくて、言わせなかったんでしょ?」

 高校に行く前はもうちょっと素直だったから、ちゃんと話すつもりだったもん。それが文也の主張だ。話し方が当時より幼くなった分、すねてしまったのだ。家族の評価などどうでも良くなっていた。優という恋人が出来て、将来の幸せな生活が現実的になったおかげで、家族に媚を売る必要がなくなったからである。そこで『媚を売る』という考え方をする時点で、期待などとっくに忘れているわけだが。

「とにかく、もう放っておいてください。今まで同様、祐樹のことだけ可愛がってれば良いじゃないですか。どうせ僕はこの家を継ぐ気もないですし。そうすれば双方ともに腹を立てることもないですし、ちょうど良いでしょ?」

 それはつまり、自分から『勘当してくれ』と言っているのと同じことで。それはしかし、現在の収入でも、バイト程度で十分暮らしていけるための言葉なのだ。

 日本での就職にこだわらなければ、アメリカでは今でもロボット業界では引く手あまたで、それこそ研究施設でも立ち上げようものなら、スポンサーもすぐに集まりそうなほどの知名度がある。つい最近も、通信技術の進歩に伴って、バージョンアップのついでに短い論文を一本発表したばかりだ。学会誌にもちょこっと顔を出している。日本では知られていない有名人なのだ。

 まるで突き放すような言い方をする息子に、両親共にショックを受けたらしい。そんなに嫌われているとは思っていなかったのであれば、あまりにも認識力が甘すぎる。





[ 62/86 ]

[*prev] [next#]

[mokuji]

[しおりを挟む]


戻る



Copyright(C) 2004-2017 KYMDREAM All Rights Reserved
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -