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 その夜。

 正史は自分のバイクを走らせて、ふもとの町まで降りて来ていた。後ろには正史と比べればまだ小柄な、しかし発育途上を感じさせる少年がしがみついて座っている。そんなにすがりつかなくても落ちないぞ、と正史は言うのだが、何度乗っても恐いらしい。

 それは、腹違いの弟、雅治だった。

 実家に行く用事があるが、一緒に行くか?と試しに誘ってみたところ、立場的には憎みあって当然のはずの彼は何故か正史に懐いていて、二つ返事でついてきたのだ。

 そもそも、正史は憎き妾の子のはずだ。だというのに、何故こんなにも懐いているのか、正史には良くわからない。憎まれる立場だと認識しているから余計に不思議だった。憎みあわなくて良いのならそれに越したことは無いのだが。

 母を失って独りになった正史を、父の本妻もまた不憫に思ってくれて、一緒に暮らしてくれて良いのに、と声をかけてくれるほどなのだ。まったく、常識とは離れた精神構造の母子である。

 普段ならば理事長室に行けば顔も合わせられるし話も出来る。わざわざ実家に出向く必要は無いのだ。

 だが、複数の教育機関を持つ学校法人の経営者は、息子たちが通う高校の理事長ではあるが、毎日そこに通勤して仕事をしているわけではなく、週の半分以上は飛び回っていて捕まえるのが大変だった。

 その上、今週は一度も来ないことが確定されていたのだ。他の学校でトラブルに追われているらしい。

 そういうわけで、とはいえこちらも急を要する話を持ってはいるので、相談したいことが、と電話をかけた。その返事が、来れば夕飯くらい振舞うぞ、との事だった。

 正妻の子ではないから長男といえど跡継ぎにはならず、そんな息子に申し訳ないと何度も頭を下げる父は、それなりに正史を息子として愛していて、何かと世話を焼こうとしてくれる。父の愛情など知らずに育った正史だが、素直にありがたいと思うのだ。

 たどり着くのは大豪邸だった。正史の主観で、である。大したことはない一般的な元地主の家なのだが、母が生きていた頃は狭いアパートに二人肩を寄せ合って生活していたし、高校に入ってからは一人部屋ではあるがワンルームのアパートとさして違わない。目の前にそびえる日本家屋が、正史には敷居が高い。

 バイクの唸るようなエンジン音と砂利を跳ね上げる音で、予定の来客が到着したことを察知したらしい。エンジンを切るのと同時に、引き戸の玄関が開かれて、ほっそりした儚い身体つきの女性が姿を見せた。

 兄にヘルメットを渡し、雅治が先に母の元へ走っていく。

「お母さん、ただいま」

「お帰り、まぁちゃん。おかえりなさい、正史さん。ちょうどお夕飯が出来たところなの。ゆっくりして行ってね」

 バイクを足を立てて固定して、二つのヘルメットをそこにぶら下げて、それから近づいてくる血の繋がらない息子に、母はにこりと微笑んでそう声をかけた。言葉遣いこそ、まだ遠慮しているものの、息子として可愛がろうという意思はその言葉の端々から伺える。

 その気遣いに感謝して礼を言えば、あら嫌だわぁ、なんて笑って返される。

 絶対、この母子は不思議だ、と正史は改めて思うわけだ。

 さて、居間に入れば、まだ仕事が終わらないらしく持ち込んだ資料と睨めっこをしている、こんな複雑な家庭事情を作った父親がいて、ちらりと正史を見やった。

「来たな」

 自分で呼んでおいて、来たな、はないものだ。

「えぇ、来ましたよ。お邪魔でしたか?」

「まぁ、そう言うな。ゆっくりして行けるだろう?」

 資料から目を離すこともなく、父親にそんな風に言われて、正史は肩をすくめた。

 ダイニングの方では、父親の本妻である義理の母が楽しそうに夕飯の支度を整えていた。

「あなた。正史さんが来るとなると途端に仕事のフリをするの、いい加減にやめて下さいな。ご飯ですよ」

「フリ、ってお前……」

「フリでしょう? さっきまでテレビを見て笑っていたのはどこの誰ですか」

 さすがに、二十年近くも連れ添っている妻には、頭が上がらないらしい。不倫の末、子供まで作ってしまった過去を受け止めて受け入れてくれた妻だから、なおさらだ。父親は、素直に書類を片付けてダイニングへ向かった。

 そんな力関係に、正史は少し笑ってしまう。

 今日の夕飯は、鶏団子の甘酢餡かけに玉子スープ、炒飯と、中華でまとめられていた。

「さぁ、どうぞ。召し上がれ」

 息子が二人とも寮生活をしているため、普段から仕事で帰りの遅い夫と二人で生活している彼女は、久しぶりに大人数の食卓で、実に嬉しそうにしていた。仕方がないとは言え、一人きりの食卓は味気のないものだったのだろう。

 食卓に着くと、雅治が普段の学校生活を面白おかしく語って、両親を楽しませていた。元々無口な性質の正史だから、話題を提供する役目を弟にしてもらえるのが、実にありがたい。

 今の時期の話題といえば、数週間後に控えた文化祭のことだ。

「うちのクラスは人形劇をやるんだ。お母さんも見に来てね。俺、頑張っちゃうから」

 ナレーションの役目を仰せつかったらしく、人形を操る仕事がない代わりに、舞台脇に姿を晒す唯一の人間であるらしい。出たがりな性格だから、向いている役割だとは思う。

「兄貴のところは、喫茶店って言ったっけ?」

 どこから聞きつけてきたのか、一つ上の六人組に遠慮してあまり談話室に顔を見せない雅治は、それでも十分情報を集めていたらしく、楽しみだなぁ、と笑った。

「一年生でも、花組の企画は皆楽しみにしてるんだよ。お化け屋敷喫茶なんだって」

 確かにパンフレットの作成のために各企画の申請は必須だったので、どこで何をするのかはだいぶ前から周知されている。雅治が知っていても不思議ではない。

 その珍しい企画に、両親は揃って関心を向けたらしい。

「普通、お化け屋敷、とか、喫茶店、とか、単品で企画するもんだよね」

「そうよねぇ。全部やっちゃおうって、すごい発想だわ。でも、面白そうね」

 是非行きたいわ、と母も乗り気だ。

「それは、私がエスコート役なのか?」

「あら、他に誰がいまして? 理事長として、各クラスを見て回るのは当然のお仕事でしょ?」

 もちろん、と言いたそうに頷く母に、そうだそうだ、と同調する雅治は、これは正真正銘の親子だ。

 その妻の要求に不都合があるわけではないが気が乗らないらしい父親は、困ったとうにも疲れたようにも見える反応で肩を落とした。

 都合が悪くなると話題を変えたいのは、どこの父親でもそんなものだろう。この父親もまた多聞に漏れず、無理やり話をそらす作戦に出る。

「それで、正史。突然わざわざこの家に足を運んでまで話したい用事というのは何だね」

「あら、あなた。それじゃまるで、正史さんにこの家に来て欲しくないみたいだわ。何も無くても時々は顔を見せて欲しいと、いつもお願いしているじゃありませんか」

 正史にとっては本題に入った格好なのだが、真っ先に反論したのはその頭の上がらない奥方だ。少し怒った様子で、正史は雅治と顔を見合わせてしまう。

「あぁ、いや、そういうわけではないぞ、うん。いつでも来てくれていいんだし、こいつはこの通りいつでも歓迎のようだから、遠慮することはないんだ」

「父さん、何その取ってつけたような歓迎の仕方。っていうか全然歓迎してないじゃん。俺の大事な兄貴なのになぁ。酷いや」

「本当よ。酷いわ。いつまで他人行儀のつもりなんですか。うちの長男でしょう」

 ねぇ、と顔を見合わせて確かめ合う雅治とその母親に、負い目を感じている父親はじつにタジタジとなって、正史に助けを求めるような視線を向けた。どうやら、この二人には敵わないらしい。

「いや、まぁ、その、なんだ。別に邪険にしているわけではなくてだな、正史が気を遣うのではないかと……」

「でしたらなおさら、私たちは全面的に迎え入れる姿勢を崩すわけには行かなくてよ。私は正史さんと本当の親子になりたいの」

「光栄です、お義母さん」

 そろそろ父親に助け舟を出すべきか、と判断したのだが、どうやら大当たりだったらしい。まぁ、と母は嬉しそうに頬を染め、父はあからさまにほっと胸を撫で下ろした。

「それで?」

「えぇ。探偵団のことなんですが」

 今のところ、受験が差し迫っているわけでもないから進路のことではあり得ず、そこは想像がついていたらしい理事長は、うむ、と頷いて先を促す。来年はわが身だとわかっている雅治も、姿勢を改めた。

 そんな二人に、正史は今回の転落事故調査の開始から解決までの一部始終を語って聞かせた。文化祭の打ち合わせで担任の所にいた正史に事のついでに頼まれたこと、タイミング的に引き受けられる状態ではなかったこと、結果的に至極単純な結果が導かれたことなど。

「それで、どう解決した?」

「教頭先生にお願いして、用務員さんに動いていただきました。でも、この件は一度職員レベルの人間が足を運んでいれば簡単にわかる問題だと思います」

 なにしろ、何か油が塗られているのでは、と疑ったのは太郎だが、呼ばれてそこに赴いて、一学期末のワックスを導き出した文也の判断は、ものの数分だったのだ。正史自身、その段に足を乗せてみて、確かにここだけ異様に滑ると確信した。それだけわかりやすかったわけだ。

「それならば、過去の転落被害者は何故、そこが滑りやすかったと申し出なかった?」

「あそこは、始終濡れていて滑りやすいんです。地理的な条件が重なって湿気が多い場所ですから。だから、足元不注意だと思ったんじゃないかと」

 そこが滑るという前提意識があって調べに行ったからこそ、その不自然さに気付いたわけで、まったく知らずに通常の延長で階段を上り下りする人間にとっては、まず自分の不注意を疑うレベルだった。周りが湿っていたせいで、脂分で少しテカリがあっても、他の段と変わらずに見えるのだ。それに、そこの階段は実に薄暗い。

「なるほど、つまり、職員やら用務員が出向いていけばわかりそうなものに探偵団を引っ張り出して欲しくないと、そういうわけだな?」

「それが仕事だというなら引き受けた以上遂行しますが、私たちも一介の学生に過ぎませんから、学生の本分に影響を与えない範囲に仕事内容を限定していただきたいと」

 そもそも、探偵団の仕事の位置づけは、学生間のトラブルの仲裁や、職員には話し難いであろう事象に関する学生に対しての聞き込み調査が主体だ。誰かに背中を押されたなどの証言があっての事故ならともかく、ただ単に転落事故の解決まで引っ張り出されても困る。

 そんな正史の要求は、的外れではなかったらしい。むむ、と難しく唸って考え込んだ理事長は、それから深く頷いた。

「よし、わかった。職員にはよく言い含めておこう。お前たちも、そこまでは学生の領分ではないと思ったら断りなさい」

「良いんですか?」

「良いとも。そもそも、君たちは普通の高校生なのだから、過分な要求を呑む義務はない。不安なら、明文化して申し伝えさせようか」

 別にそこまでしなくても、と遠慮すべきだった気はするのだが、正史はそこで深刻そうな表情で見守っていた雅治の視線を感じ、是非お願いしますと頭を下げた。

 自分たちは良いのだ。自惚れかも知れないが、だいぶ恵まれたメンバーが揃っている。だが、来年以降を考えれば、今のうちに制度を見直していくべきではあった。後輩たちのために。

 そうと決まれば早速、と、いつの間にか自分の食事を終えていた父親は作業に入り、食事中に席を立つという失礼な行為を、母は微笑ましげに見守っていた。





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