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まず真っ先に動いたのは、太郎だった。ちょうど仕事の締め切りもなく、一番余裕があったわけである。
事故にあった人の人数は全部で十五人。怪我の有無、転落した段数の大小はさまざまだが、全員に共通しているのが、まったく同じ場所で足を滑らせたということだ。
その、現場検証に向かったのだ。
それは、窓はあるものの一階で窓から入る日差しが外の植え込みに遮られてしまうため、年中暗く湿った状態にある階段だった。その一階と二階をつなぐ階段のちょうど中間に当たる折り返しの踊り場を下から見上げ、太郎は腕を組んだ。
「どうだ?」
声をかけられて驚いて、太郎は声がした背後を振り返った。
そこには、当然のように正史がいて、同じように踊り場を見上げていた。
「旦那。仕事は?」
「今日は用事が無い。というより、お前がいないことで探偵団の仕事だと想像してくれたらしい。教室から追い出された」
「それはそれは」
その言葉で、大体教室内で起こった出来事が頭に浮かんだのだろう。面白そうに口元に笑みを浮かべていた。
「今もいるのか?」
自己申告どおり、そこにいる霊は正史には見えないのだろう。踊り場を見上げてはいるものの、焦点がどこにも合わず、うろうろしてしまっている。うん、と太郎は軽く頷いて返した。
「いるんだけどね。別に、普段と同じなんだよ。ただいるだけ。人を転ばさせるような強い念は感じない」
「そこまでわかるのか、お前」
「ん。見て感じるだけね。実際何ができるわけでもない」
答えて、少し悔しそうに眉間に皺を寄せた。それはどうやら、何が出来るわけでもない自分が悔しいらしい。なんとなく悔しそうなのは見て取れるから、慰めるように、正史はぽんぽんと頭を撫でてやった。
「とりあえず、行ってみよう」
隣の恋人に声をかけ、太郎は足を踏み出した。別になんでもないように、軽快に階段を上っていく。正史は心配そうにその後姿を見守った。転んで落ちてきたら受け止められるように。
特に何事もなく踊り場まで上りきった太郎は、くるりと振り返って、正史に手招きをした。
「こっから三段下あたり滑るから気をつけて」
太郎が上りきったことで安心した正史に、そう声をかけて注意を促す。つまりは、注意を促す程度に危険ということだろう。
実際、上ってみれば、一部湿って滑りやすくなっている段があった。
「……これか? 原因」
「かもねぇ」
だとすれば、自然現象だ。だが、その段だけというのはやはり、疑問が残った。
「何故、この段だけなんだ?」
「調べるとすれば、その理由くらいかな。湿ってるのはこの辺全部そうだし、そこだけ滑るのもおかしいよね」
正史がちょうどその滑る段に立ち止まっているので、太郎もそこまで降りていって、足元を滑らせた。
つるつるに磨かれた化粧石の段上は、それだけが原因とは思えないほど、他の段と比べて滑りやすい。まるで油でも敷いているように。それは、滑り止めになっている縁の金属板までも同様だった。まるで滑り止めの役目を果たしていない。
「佐藤、か?」
「とりあえず相談してみようか。さとっちは、物理は言わずもがなだけど、化学だとどうだろうね」
答えて頷いて、太郎は上に向かってまた歩き出す。それを正史も当然のように追っていった。
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