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 それにしても、問題は彼の放火予告である。

 四人がそれぞれの恋人と連れ立って共同浴場へ行ってしまった談話室で、保と裕一だけはそこに残り、優が片付けて置いて行った宿題を頼りに自分の宿題を片付ける。

 しばらく経って勉強に飽きた裕一が、深いため息と共にシャープペンシルを放り出した。柔らかなクッションの効いた背もたれに寄りかかり、頭の上に手を組む。

「どうしたの? ゆうくん」

「いや。厄介な相手に気に入られちゃったなぁ、って」

 たもっちゃんに迷惑をかけたくなかったんだけど、と裕一は困惑気味にそう呟いた。そして、保に視線を向ける。

「今日さ。たもっちゃん、何で俺がバスケをやめたのか、って聞いたろ?」

「うん。何で?」

 そんな話の始め方が、理由を話してくれるように聞こえた。保は真剣な眼差しで頷き、先を促す。それに、裕一は情けなさそうに眉尻を落として見せた。

「プロチームにスカウトされたことで、両親が焦ったんだよ。元々、バスケは学生のうちの遊びとして許可していたもので、将来は医者になって家業を継ぐ事が俺には義務付けられていたからね。プロのバスケプレイヤーになったら、彼らの将来設計がパアだろ?」

「ずいぶん贅沢だね。医者とプロ選手を秤にかけるとは」

「まったくだ」

 どちらも、本人の努力と才能を必要とする職業である。贅沢といえば、贅沢な話だ。

「俺には、両親に逆らうだけの理由と根性がなかった。だから、バスケから自分を引き離すために、両親の重圧から逃げるために、ここまでやってきたんだ。ま、両方から逃げ出したんだけどね」

「それはそれで、ありでしょ。ここは、逃げてくる場所だから」

「だな」

 頷いて、裕一は自分の髪を掻き回す。自分の逃げを、どうやらはじめて肯定してもらえたらしい。表情が、話に反してとても嬉しそうだった。自分の髪を掻き回したのは、どうやら照れ隠しであるようだ。

 それから、ふと真面目な顔をして、裕一は保の顔を覗き込む。

「たもっちゃんの野望、って?」

「ありゃ。覚えてた?」

「今日の話だし」

 そっか。答えて、困ったように保は笑う。そうして、首を振った。

「言っても、理解できないよ」

「言ってみなよ。たもっちゃんって、出身は祇園だよね?」

 そこは、京都の花街として、全国にその名を知られる場所である。

 それは、この世の特別区だ。何でもありの世界であって、現実には存在していない世界でもある。夢を提供する町。それが、祇園だ。

 そんな場所で生まれ育った保には、人とは違った感性が宿っている。常人には理解しがたい野望がある。あっても、不思議ではないのだ。だから、裕一としても、聞いてみたいと思う。

「祇園の町に生まれた男は、高校生の三年間、親元を離れてどこか違う場所で学問を身につける。それは、そう定められているわけやのうて、みんな一様に、その場所から逃げ出しているんや。祇園には、色事のプロが集まってくる。その餌食は、舞妓さんや芸妓さんには限らへん。ちょうど高校生の男の子ってゆうたら、少年としての成熟期に当たってねぇ。格好の餌食なんやわ。せやから、男の子たちは、自分の貞操を守るために、親元から逃げ出して、さなぎを脱いで大人になって、また祇園に戻る。うちも、その一人」

 それは、隠しておく必要もない、その土地に生まれた人間には当然の話だった。だが、土地の者にとっては当然でも、他の人には理解の出来ない世界だろう。だから、今までは一度も、話をしたことがなかった。そんな深い仲になった相手もいなかった。

 ならば、何故裕一には話すのか。それは、保にもわからない。しかし、裕一の逃げてきた理由を聞いた以上、話さないわけにもいかないだろう、という言い訳は成り立つのだ。何故か、話したくなったのだ。

 案の定、裕一はそんなはじめて聞く世界に、驚いていた。保が持つ、独特の色気は、そんな生まれとここへ逃げてきた事情から醸し出されているものだった。それが、わかった。

「せやけどね、うちは別に、逃げてくる必要はなかったんや。反対に、今の歳で祇園にいて、色事師さんたちとどんどん関係持って、仲良うなっておいた方が、うちの野望には近道やしね。せやけど、それは育ててくれたお義父さんとお義母さんに心配かけるから」

「たもっちゃんの、野望?」

 逃げてこなかった方が、自分の身体を張ってでもそんな世界の人間と仲良くなった方が、近道だったと断言する、保の野望。なんだか嫌な予感に、裕一は眉をひそめる。そして、保はそんな彼の予感がわかっていて、あえて口を開いた。

「うちの野望はね、祇園の影のドンになることや。祇園の男も女も、裏で泣いたりしなくて済むように。うちのホンマのお母ちゃんのように、勝手に孕まされて産まされて泣いたりする必要がないように。祇園の人たちを、ホンマに守りたい。せやから、うちは祇園の影のドンになる。うちの目の黒いうちは、誰も泣かせたりしぃひんように。それが、野望」

 語りきって、それがどんなに無謀な、世間の目から見たら理解できない世界の話なのか、わかっているからこそ、保は目を開けることが出来なかった。裕一が自分を侮蔑した目で見るのを、この目で確認したくはなかった。そうして、そのままで、くすりと苦笑をしてみせる。

「理解できへんやろ?」

「たもっちゃんは、そのために自分の身体を差し出しても、平気なの?」

 その声は、本気で相手を心配している人の声だった。言われて、保は顔を上げる。裕一の目は、保を侮蔑などしていなくて、ただただ心配そうに見守っていてくれた。それが、保には反対に辛いことだったが。

「平気。ボク、けっこうその手の才能があるらしくて、そんなに身体も辛くないし、やり手の色事師さんもこないだの夏休みに落とせたし。案外着実に進んでる」

 それは、すでに処女ではないことの告白だったが、保はすでにそのあたりの倫理観など持っていなくて、恥ずかしがることがなかった。ただ、裕一は理解できない世界だろうとはわかっていて、そのことにだけ、気遣いをする。

「だからね、反対に、ボクはゆうくんの気持ちに応えられないよ。ごめんね」

 本当は、学校の中でも、自分を磨くつもりだった。裕一が恋愛ゲームを仕掛けてくるなら、望むところだと思っていた。でも、彼の気持ちが本物だから、そして、彼には軽蔑されたくないから、彼は巻き込めないと思う。それは、仕方のないことだ。

「ごめんね」

 ただ、保には謝るしか術がなかった。正直に自分の秘密を告白して、想ってくれてありがとう、返せなくてごめんね、と。




 数学の宿題もそのままに、保は談話室を出て行き、裕一は一人、そこに残された。

 保が明かした、あの天使の笑顔に隠されていた闇の深さは、裕一には想像も出来ない世界につながっていた。きっと、今ここで理解を示して、今だけでも守ってあげたいと口先だけで説得してみたところで、保の心を開くことなどできるはずも無いのだろう。

 それでも、裕一は何故か、保に対する気持ちを変えることが出来なかった。

 守りたいだなんて、そんな恐れ多いことは、もとより考えてもいない。

 ただ、自分を見て欲しい。同じ視線に立ちたい。それだけだった。

 もちろん、同じようにスポーツの世界で有名になって、その世界から逃げ出した同志だという意識はあった。でも、それだけではないのだ。

 有能な人間だと、裕一は保を、きっと本人以上に認めている。だからこそ、そんな人に自分を認めて欲しい。隣に立たせて欲しい。同じ価値観を持つものとして。

 それは、無理な話なのだろうか。

 確かに、保の告白は裕一に衝撃を与えた。同じ歳の人間が、自分の一生を棒に振っても自分と同じ境遇の人間を助けたいと考える。それは、裕一は一度もしたことのない発想だった。そんな必要性も感じたことがない。
 良くも悪くも、平凡な人生を歩んでいる、そんな自覚があった。保のいる場所は、平凡とは程遠い。近づくことなど、裕一には不可能だ。土壌が違う。

 だからといって、それでも相手は同じ人間なのである。同じ場所で同じように学問を学んで、同じ寮の同じ階に住んで、普段は普通の高校生として適当に生きている。その間だけでも、隣に立つことは出来ないのだろうか。ここにいる間だけでも、忘れさせてやれないのだろうか。そんな風に、思う。

 どうせ、ここにいるうちは、保としても何をすることも出来ないはずだ。彼の野望から見れば、無為に過ごさざるを得ない三年間である。だったら、その間だけは別の人生を生きても、罰は当たるまい。

 本当は、友達なんて程度の関係ではガマンできない。でも、保を追い詰めるつもりも毛頭ない。ならば。

「セフレ、って、ありかな?」

 そんな発想をする時点で、裕一も世間一般の常識からはかけ離れた思考の持ち主であると言える気がするのだが、そのあたりはあえて無視することにした。





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