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 その夜。

 食堂で一人、夕食を摂っていた保は、背後から声をかけられた。

「そのまま動かないでください」

 頭の上には、きっと味噌汁の入ったお椀をスタンバイしているのだろう。そんな気配に、保は身体を硬直させる。わかった、と黙って頷き、相手の出方を待った。

「学校側に送ったはずの脅迫状で、あなた方が動いているのはわかっています。即刻、手を引いてください。あれはただの脅しではありません。手を引いていただけなければ、寮の方に火をかけます。犠牲者が出るでしょうね。でも、あなた方には私を捕まえることは出来ませんよ」

「じぶん、何様のつもりやねん。そないなことしてみぃ。警察が動くで」

「構いませんよ。警察が私を捕まえることは、万に一つもありませんから」

「自信たっぷりやね。それがヒントになるとは思わへんの?」

 さあ、どうでしょうね。そんな言葉が、返ってきた気がした。だが、確証は無い。気配が去ってすぐに、その影を目で追ってみるが、姿を確認することは出来なかった。周りで彼らに意識を向けていた者も無かったようで、誰もがそれぞれに、友達と話をしながら、もしくは一人で黙々と、食事を続けている。

 誰だったのだろう。聞いたことのある声だと思ったのだが。

 保は、ありったけの自分の記憶を探り、困ったように唸り声を上げた。




 食後、食堂で接触した犯人が気になって気になって仕方のない保は、早速、特待生階の談話室へ向かった。

 談話室では、ちょうど太郎と正史と文也が、難しい顔をつき合わせているところだった。その隣で、優が珍しく数学の教科書とノートを開いて宿題をやっつけている。

 そういえば、数学で厄介な宿題が課されていたのを思い出した。どうやら、そばにつれている文也作少女型ロボットは、電卓代わりであるらしい。
 彼女は彼女で、優のノートを覗き込んで興味津々な表情をしていた。ロボットに興味などという感情があるのかどうかは不明だ。

「委員長。報告があるんだけど」

 とりあえず、彼らのリーダーは正史である。その彼に、保は声をかけた。何かの委員の長であるわけではない正史が、何故委員長と呼ばれているかは不明だが、みんながそう呼ぶので保もそんな声のかけ方をする。正史のほうも、とうに慣れているらしく、自分を呼ばれたのだと認識して顔を上げた。

「どうした?」

 正史が顔を上げたことで、太郎も文也も保に視線を投げた。それから、途端に心配そうな顔つきになる。勉強していたはずの優も顔を上げ、実は一番保に近い位置にいて、まずとにかく座れ、というようにそばの椅子を引いた。

 そこへ、同じく数学の宿題道具一式を持って、裕一も現れる。

「どうしたの、たもっちゃん。顔色悪いよ」

 心配そうにそう言われて、保ははじめて、自分が得体の知れない気味の悪さにおびえていることに気づいた。裕一にも促されて、優が引いた椅子に腰を下ろし、保は自分の身体を抱きしめる。

「さっき、食堂で夕御飯を食べてたんだけど……」

 そう前置きをして、保は、ゆっくりとした口調で、先ほど接触した犯人らしい人物との会話の一部始終を話し出した。

 しばらく黙ってその話を聞いていた一同は、話が済むと、途端に顔を見合わせた。太郎の表情が苦々しげにゆがむ。

「あいつか」

「そうだな」

 誰、と具体的な名前は出ていないのに、正史は相槌を打った。文也も優もわかっているらしく、文也は呆れた表情でため息をつき、優は舌打ちをして見せた。保と裕一は蚊帳の外で、何事かと互いに顔を見合わせてしまった。

「誰?」

 声は保の意識の中に聞き覚えとして残っている。まったく知らない相手ではないはずだ。保にそう問われて、正史が不機嫌をあらわにした表情のまま、正解を口にした。

「うちの学年で不動の三位。大野俊介だ」

「あいつ、ゆうくんがプロのスカウトを受けてるって噂を流した張本人なんだよ。ゆうくんと同じ学校で学んでいることを誇りに思うような、微妙にゆがんだファン感情を持っててね。そんなすごい人に、ただ可愛いってだけで想われてて、しかもそれを適当にあしらってるたもっちゃんを、心のそこから憎んでる」

「……はあ?」

 太郎が明かしたその動機に、保も裕一も言葉を失った。わけがわからず、思わず聞き返してしまう。太郎に聞き返しても仕方がないのに、まったく理解できない感情に、混乱してしまったのだろう。

 保と裕一の反応に、太郎はようやく苦笑を浮かべた。

「ようは、大野の誤解だよ。ゆうくんだって、たもっちゃんのこと、可愛いってだけで惚れてるわけじゃないだろうし、たもっちゃんだって、ゆうくんの気持ちにこたえられない理由があるでしょ? それがね、あのお坊ちゃんにはわかってないんだよ」

「それに多分、このメンバーに加えられなかった腹いせもあると思うよ。今回のタイミングはね」

 そう横から付け加えたのは、実は二つも年上だという文也だった。本人は他人に目立たないように息を潜めて生活しているが、これでいて観察眼は鋭いことが、今回の一件で確実になった。きっと、噂にも実は敏感なのだろう。このメンバーの中で、意外な情報通だ。

「あの人、常に三位につけてるだけのことはあって、自分の学力には自信があるんだろうからね。それなのに選ばれなかったから、妬いてるんじゃないの?」

「それだって、さとっちがマジで試験受ければ、四位にあっさり転落だけど?」

「僕のことは良いの。今はどうでも」

 太郎がすかさずまぜっかえすのに、文也は困ったように笑った。どうやら、こんな場合でもまぜっかえしてくる程度には、文也が実力を隠す理由が未だに気になっているらしい。今はそれどころではないのに、時場所お構いなしなので、思わず笑ってしまう優である。

「ま、今回の件は、国会議員の息子としての意地が起こしたくだらない暴挙、ってことだろ」

 一体どこからそんな情報を仕入れてくるのか、優はそう結論を下し、まさにくだらなそうにふんと鼻で笑い飛ばすと、自分の宿題に再び取り組み始めた。

 そんな結論に、裕一はただ、首を傾げる。

「その人、何でこの学校に来たんだろう?」

 何か深い事情があって逃げてくる以外に、ここに入学する術などないのに。

 そんな感想に、理事長の妾腹の息子は、軽く肩をすくめる。

「人の事情は人それぞれだ。真にその心を知りたければ、本人に真実を語らせるほかは無いさ」

「語れるとも思えないけどね」

「違いない」

 少なくとも、ここにいる訳知りの四人組にとって、大野俊介という人間はその程度の人間であるらしいことが、一連の会話でわかった。そしてそれは、保と裕一にとっても信用の置ける人物評であって、少なくともお友達になりたいタイプではないことが、確実になっていた。





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