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『起きて、起きて。ふみや、朝だよ〜』
まるで、一昔前のSFアニメに出てくるロボットのような、電機的な少女の声が、耳元で聞こえる。
優は、自分が人間を抱いて寝ていることに、まず驚き、それからしみじみと幸せをかみしめた。
そこは学生寮の第3棟201号室。佐藤文也の部屋だ。
自分の部屋とは比ベものにならないほど、きれいに整頓された部屋で、たいへん居心地が良い。
優は、その部屋で、付き合いはじめたその日に、肉体関係までゲットしていた。そのままで、もう朝だ。
それはもう、しばらくは禁欲生活を覚悟していた優には、言葉にならない嬉しさがある。
寝呆けた意識のままで幸せをかみしめて、しばらくして、ん?と思った。
『ふみやぁ、起きてよぉ。朝だよ〜』
そんな言葉が途中からくぐもったのに、目が覚めた。ん〜、と文也の寝呆け声が聞こえる。
「くぅ、うるさいよ」
『くぅ、うるさくない。朝だよ、ふみや。起きて』
声と一緒に、力シャ力シャという金属音もする。優は自らの好奇心に勝てず、寝呆け眼をこすりつつ起き上がり、声の発生源を探して、唖然とした。
「何だぁ? そりゃあ?」
それは、まぁ、驚きもするだろう。
いくら犬型ロボットなどのペットロボットが安価で手に入る時代だとはいえ、手のひらサイズの少女が、文也の髪を引っぱっているのだ。
しかも、その姿や仕草が実に愛らしい。思わず笑みがこぼれる。
声がくぐもったのは、文也の手がその少女をシーツに押さえつけたせいだったらしい。まるで目覚まし時計の扱いだ。
「ん〜?」
まだ寝呆けた声の文也に、優は改めて幸せをかみしめてしまった。
自分が惚れた相手の無防備な姿は、それだけで庇護欲をかきたてる。まして、寝呆けているおかげで仕草が子供っぽいのだからなおさらだ。
「おはよう、文也」
まだ眠そうに目をこする文也に、朝の挨拶をする。まだきっと、状況が飲み込めていないのはわかっていて。
「……おはよ……ございます……?」
「……何で敬語?」
え?
無意識に優の声に答えていた文也が、徐々に覚醒していくのがわかる。
優の声に聞き返して、しばらくぼぅっとしていた文也は、突然真っ赤になってうつむいた。
その間も、文也の手の下では少女が暴れている。
「……あの……」
「何だよ。恋人になってくれたんじゃねぇの? 敬語なんかいらねぇだろ」
少し膨れっ面になってみせた優が、それから、ぎゅっと、新しい恋人を抱きしめる。大変嬉しそうに笑っていた。
「ふーみやっ。おはよう」
「……おはよ」
「うん。……で、それ、何?」
聞きながら、優は文也の手をどかして、それを見る。
ばたばたと暴れていたそれは、やはりどう見ても少女だった。身長約20センチ。片手ですべてを覆い隠すのは無理だが、通学カバンにはすっぽり入ってしまう。まず、生きた人間ではないだろうが。少女が動くと、かすかに金属と金属がこすれるような音もする。
「ロボット?」
「うん。ちょっと待って」
文也の手を逃れて自由の身になったのに、また文也の髪を引っ張りだす少女を、文也は首根っこを捕まえて持ち上げた。
「くぅ。おはよう」
『うん。おはよ』
どうやら、「おはよう」がキーワードになっているらしい。途端に少女がおとなしくなった。
シーツの上に下ろすと、ペタンとその場に座り込む。
そういえば、まばたき一つしない少女に、文也は特に口を近づけもせず、話し掛ける。
「くぅ。充電状況は?」
『くぅの充電電池残量は、80%です』
「おしゃべりモードに切り替えて」
『目覚ましモードからおしゃべりモードに切り替えました』
無機質な声が事務的に答える。それは、駅などでよく耳にする、人間ではない声。
優は、なにやらハイテクな匂いに目を輝かせた。次は何が起こるんだ?と、目で問う。
「くぅ。ごあいさつ」
『ふみや、おはよう』
先ほどの事務的な声とはうって変わって、今度は可愛らしい少女の声だ。文也に向かってペコンと頭を下げる。
「はい、おはよう。くぅ。優だよ」
あっち、と文也が指差す方向に優がいる。その指を少女は追いかけた。優を見つけて、そちらに向き直り、またペコンと頭を下げる。
『まさる。はじめまして。くぅだよ』
「おぅ。よろしくな」
『お返事もらった。くぅ、まさるのこと、覚えて良い?』
確認するのに、また文也に向き直る。ご主人様のいる方向を覚えているようだ。
そのくぅの問いに、文也はなぜか首を横に振る。
「だめ」
『わかった。覚えない。まさる、またね』
またね、というためにわざわざ振り返ったくぅは、ひらひらと手を振ると、また文也のほうを向いて、座り込んだ。
何故せっかく紹介した優を覚えさせないのか。優は、怪訝な表情で文也を見つめる。
文也は、そんな優の視線に気づいていながら、無視をした。
「くぅ。目覚ましモードに切り替えて、充電」
『おしゃべりモードから目覚ましモードに切り替えました。充電します』
また、少女の声と同じものから出ているとはとても思えない、大人の女の声で、しかも事務的な口調で答える。
それから、くぅは自力で勝手に立ち上がり、ベッドを飛び降りて、反対側の壁際に立てられたスチールラックによじ上っていく。
積み上げられた本や小さな棚の引出しをうまく利用して、下から3段目に置かれた浅めの箱の中に落ち着くと、再び身体の力を抜いた。
「かわいいな」
「あれね、僕の目覚まし時計」
そういうわりに、文也は布団から出ようとしない。優はその言葉に少し眉を寄せた。
「それにしちゃぁ、やたら高機能じゃねぇか?」
「いろいろあってね。今は目覚ましにしか使ってない」
ということは、本来はもっとたくさんの機能が付いているのだろう。
「もったいなくねぇか?」
「いいの。使い方は持ち主の自由だし。僕が僕に振り回されなくなるまで待ってもらうの」
何やら意味深なセリフに、優は文也の顔を覗きこむ。
少し辛そうな表情をしていた。過去に何かあったのだろうが。
「話しちゃくれねぇのか?」
「ごめん。もうちょっと待って」
言われて、優は黙り込んだ。それは、優が信用できないのか、自分自身の問題なのか。
話を聞いてやれば解決することなのか、物理的な問題なのか。現時点では、優にも判断できない。まだ、そこまで文也を理解してはいない。
いずれにせよ、時間が経てば解決の糸口も見えてくるだろう。
「……朝ご飯にしようよ。パンと玉子はあるんだ。スクランブルと目玉焼き、どっちが好き?」
「俺は文也が食いてぇ」
もそもそとベッドから出ようとしていた文也を捕まえて、無理矢理引き戻す。
ひゃあっ、と変な声をあげて文也が倒れてきたのを、まったく平然と支えた。
「イヤか?」
「でも、ガッコ……」
「サボっちまえよ。たまにはいいだろ」
言いながら覆い被さってきた優に、文也もあっさり身体の力を抜く。
何だかんだ言っても、文也だって根は不真面目で、1日くらい無断欠席しても問題がない学校だから、なおさら考えるまでもない。
「俺がお前を幸せにしてやるから。ずっとそばにいろよな」
そんな、歯の浮きそうなキザなセリフを真顔で耳元に囁かれて、文也はくすぐったそうに笑った。それから、小さく肩をすくめる。
「そういうことは、もっと大事な彼女に言ってあげなよ」
「何だよ、それ。俺はお前だけだぞ」
「うん。今はね」
それで十分だよ。そう囁いて、文也は優の首に手をかける。
結局、2歳も年上の文也には、まだ勝てないらしい。優は、軽くあしらわれてしまったことにふくれて、しかしすぐに気を取りなおした。文也の首筋にかぶりつく。
これ以上はガマンの限界だった。文也が完全に手中に落ちたわけではないとはいえ、やっと思いを遂げられて、しかも、今自分の腕の中で色っぽく甘えてくれているのだ。優にその誘惑にあらがう力が残っているわけがなかった。
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