4
たどり着いたカイン宅は、郊外の住宅街の一角にある、普通の一軒家だった。独身だというので狭いアパートを想像していた優は、その予想を見事に裏切る展開に、しばし呆然としていた。
「何? こんな立派な家だと思ってなかった?」
「元ルームメイトって聞いてたから」
「だって、この家に引っ越したときは、僕は恋人と同棲中だったもの」
くすくすと笑いながら、そうやって平然と過去の恋人の話をする文也に、優は一瞬驚いて、それから嬉しそうに笑った。前の彼氏のせいで恋愛に臆病になっていた文也にしては、すごい成長ぶりだ。
「カインがもしアパート住まいだったら、安いホテル探したよ、僕だって。一緒にいるんだもん、1泊ならともかく、そんなにガマンできるわけないじゃない?」
ひそひそ、と優の耳元で囁いて、照れて笑った。そんな文也の申し出に、優が平常心を保てるわけもなく。
「……誘ってる?」
「トラベラーズハイ、ってやつかな?」
ごまかすようにそう言って、文也はうっとり微笑んだ。
そんな甘い空気を敏感に悟ったのか、今に手でも握りそうな二人をかき分けて、カインが割り込み、そのまま通り過ぎた。
「(まだ日は高いよ、お二人さん)」
「カインッ!」
玄関のほうへ向かうカインに、文也は真っ赤になって抗議の声を上げた。
着替えなどの荷物は先に送ってある。その方が身軽だし、荷物が行方不明になる心配がない。海外便は高くつくが、それこそ数日の予定ならともかく、夏休み中ずっといる予定では、荷物も自然に多くなってしまうのだ。
「(荷物、ついてるよ)」
ダイニングキッチンでコーヒーをいれながら、カインがそう声をかけた。さすがに長旅が身に堪えて、二人ともぐったりしているのに、大人の余裕でくすりと笑う。
「(二人とも、時差ボケしてない?)」
「(飛行機でずっと寝てきたから、大丈夫)」
持ってきてもらったコーヒーカップを受け取って、文也がそう答える。そうは言っても、昼夜がほぼ正反対の時差だ。長旅の疲れも手伝って、優が大あくびをかみ殺す。それを見て、カインはくすっと笑った。
「(疲れてるだろう? 部屋で少し休むといい。時間になったら起こしてあげるよ)」
「(うん。でも、ベッドに入ったら本格的に寝ちゃいそう。ここでは邪魔?)」
今にも寝入ってしまいそうな優を意識しながら、文也がそう言うのに、カインも納得したらしい。じゃあ、ここで寝てな、と言って、部屋に薄手のブランケットを取りに行ってくれた。
「少し寝てて良いって。部屋で寝て良いって言われたんだけど、ベッドなんかに入ったら起きれなくなっちゃうかな、と思って。部屋のほうが良かった?」
「いや、文也の判断に任せるよ。きっと図星。もう、文也がここにいるのに、手が動かないくらい、眠い」
「それは、よっぽどだね」
くすっと笑って、文也は優に寄りかかる。優も、体重を預けてきた文也を抱き枕にして、目を閉じた。
2階から降りてきたカインは、仲良く居眠りをする二人を見つけて、優しい笑みを浮かべた。
翌日、アメリカ旅行のきっかけとなった本来の用事を片付けに、彼らは文也の母校でカインの職場である、マサチューセッツ工科大学、通称MITを訪れた。
まず顔を出したのは、恩師マクレイア教授の研究室だ。前日の歓迎パーティーには出られなかった昔の仲間が多く在籍している。
この日に来る約束をしてはいたが、なにしろ在学中もまるで孫のように可愛がってくれた恩師は、愛弟子の訪問を大変に喜んで迎えてくれた。
時折電子メールでやり取りをしていたとはいえ、顔を合わせるのは丸2年ぶりになる。実に欧米流らしく、ぎゅっと文也を抱きしめた。友達だと紹介した優とも、両手で握手した手を覆う歓迎ぶりだ。いかに文也を気にかけているかが良くわかる。
なるほど、アメリカの文也が生き生きしているわけだ、と優は改めて納得した。
「(でも、フミヤには歳の近い友人がいないからね)」
優にもわかるようにゆっくり丁寧にそう言ったのは、昨夜のパーティーで出会った、文也の元彼の妹、クララだった。
大学関係で知り合った友人の中で、一番歳が近いのが彼女だった。それでも、3歳離れているのだという。
俺は逆に2歳年下だ、と片言の文法めちゃくちゃの英語で言うと、彼女はかなり驚いていた。文也と同い年に見えていたらしい。
「(でも、文也が幸せそうで安心したわ。大事にしてあげてね)」
文也が向こうで旧友たちにつかまっている隙をついて、優と話をしに来たクララが、心からそう言う。
優は、もちろん、を表す単語がわからなくて、大きくうなずいた。
おそらく、兄のことで責任を感じてしまっていたのだろう。文也はクララのことは大事な友達だと思っているのに。文也がクララのことをベストフレンドだと言っていた、と身振り手ぶりで伝えると、嬉しそうに笑って、ありがとう、と礼を言われた。少し涙ぐんでいるようだった。
この研究室では、現在、ロボットのOS開発に力を入れている。教授自身が、元は言語学者で、くぅの高い言語能力はこの教授のおかげでもあったのだ。
メカニックの分野は文也の独学だった。でなければ、あんなに画期的な二足歩行技術は生まれなかったよ、というのが、教授のここ数年の自慢話のネタだ。誰にも影響を受けなかった故の特許技術だと公言してはばからない。
文也がカインとマクレイア教授に教わりながら規定の書類に目を通している間、暇になった優はそこにいたゼミ生のプログラムを眺めていた。
文也に教わっている言語と同じ言語で、英語のわからない優でもこれなら見ていて理解ができる。
彼はプログラムでどうやら詰まってしまっているらしい。どういう仕様で作っているのかまではわからないので何とも口出しできなかった優だが、しばらく見ていて、あぁ、なんだ、と呟いた。文法で悩んでいるらしい、と気がついたからだ。
ひょいっ、とそこにあった参考書を勝手に手にとって、パラパラとめくりだす。なんだ?と彼が怪訝な目を向ける。
「これだろ?」
くどいようだが英語はさっぱりな優だ。言葉で何か言っても通じないのは承知の上で、その方が早いと判断した結果だった。参考書を通じて示されたそれが大当たりだったらしく、彼が大げさなくらいに驚いている。
「ワオ! サンキュー」
優にもわかる単純な言葉で礼を言って、彼は優の手を取り、ぶんぶんと激しく振る。こんなに謝意を大げさに表現されるのは初めてで、反対に照れてしまった。この国ではこれが当たり前なのだが。
向こうで書類にサインをしていた文也が、優の思わぬお手柄に少し驚いて、それから嬉しそうに笑った。問題の箇所がつい最近教えたもので、それを言い当てたのは偶然なのだが、それでも、他人に教えられるくらいに成長したことに変わりはない。
[ 34/86 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]戻る