第四話 「優」 1




 早いもので、文也と付き合い始めてもう2ヵ月になる。あいからず、ラブラブな日々が続いている。

 優しくて少し天然ボケな年上の彼氏は、優の長年培ってしまったささくれだった心を、当然のように包み込んでくれる。おかげで、恐がって近づいてこなかったクラスメイトたちも、時折話し掛けてくるようになった。

 最近、文也に習ってプログラミングの勉強を始めた。つい1週間前の学期末試験は今までが嘘のような好成績で、自分でも信じられないでいる。この調子なら、専門学校進学も夢ではないかもしれない。

 優がそうして成長していくことに、文也もまた、自分のことのように喜んだ。「それが優の実力なんだよ」という文也だが、それでも自分の家庭教師のおかげと思うと、喜びもひとしおらしい。

 かく言う文也は、今までと変わらず、上の中の成績に落ち着いている。実家に実力を知られたくない、成績で目立ちたくないというのが本音のようで、本気でやれば、全国順位50位に入る学力を持つ学年一位の生徒に追随できる実力はあるのだ。国語と社会を除けば、どの教科も教師並かそれ以上なのだから。




 学期末試験が終わって、夏休みまで後数日というある日、文也宛てに電子メールが届いていた。学校のネットワークを利用して、個人のメールボックスを見ているのだ。
 留学時代の友人には住所を教えていないと言っていたのを優は覚えていたのだが、なるほど、住所を教えなくても連絡手段はあったらしい。

 文也が見ている液晶のディスプレイを覗きこんで、英語の羅列に優は眉をひそめた。さすがに、ネイティブの文章は優にはちんぷんかんぷんだ。

「何だって?」

 そう聞かれて、文也は優を振り返り、苦笑してみせる。

「収入源が増えたみたい。手続きに来いってさ。ちょうどもうすぐ夏休みだし、行ってこようかな」

「収入源?」

 確かに、文也には過去の実績から生まれた収入源がある、ということは優も知ってはいるが、それは何もしないで増えるような類のものではないし、一体誰からのメールなのかも、その答え方ではわからない。
 優の問い返しも至極当然なのだが、文也はくすっと笑うだけだ。

「誰から?」

「留学時代のルームメイトで、遠い親戚。今やロボット工学の第一人者だよ」

 そう答えてから、そのあたりの詳しい話をまだしていないことに気づいたらしい。パソコンに向いていた椅子をくるりと回して、折りたたみ椅子に座っていた優を見やる。

「特許関係の管理は大学の特許センターに任せてあるんだけど、連絡先をアメリカ国内にしてくれって言われて、仲介人をお願いしたんだ。特許権申請中だった案件がまだ2つ残ってたんだけど、ようやく決着がついたって。それと、新しい特許使用依頼が3つ。お金持ちになるよぉ」

 えへへ、と文也は実に嬉しそうに笑った。
 使うあてがないから、今でもかなりの財産持ちで、最近は優にもったいないと言われたのをきっかけに、インターネットを利用した投資信託にも手を出して、さらに資産を増やしていた。それに、さらに収入が増えるのだという。

「そりゃ、すげぇな」

 他に感想も出ないのだろう。感嘆のため息とともにそんな言葉を吐き出す。うん、と文也はその感想に対して嬉しそうに頷いた。

 嬉しそうな文也と対称的に、優は寂しげな表情を見せる。

「そうか。文也はアメリカに行っちゃうのか」

「ん? 何で?」

 何で、とは、自分が渡米することにではなく、優がそんなに寂しそうにする理由に対してだ。
 もうすぐ夏休み。全寮制のこの高校には、家庭の事情から実家に帰らない学生もいるにはいるが、一般的に普通は夏休みくらいは帰っていくものだ。

 優も実家に帰ると思っていたが。

「文也は夏休み、帰らない派だろ? 去年は残ってたって聞いた。だから、一緒にいられると思ってたんだが」

「優は? 帰らないの?」

「帰ったところで、俺の居場所なんざねぇよ。それに、かなり向こうで恨み買ってるからな。喧嘩三昧になるのは目に見えてる」

 去年は帰ったせいで散々な目に合ったらしい。あまりにしみじみとそう言うので、文也はくすくすと笑い出した。

「じゃぁ、一緒に行く? アメリカ」

「俺には金もパスポートもねぇよ」

 英語も苦手だしな、と言い訳じみてそう言う。そんなこと、と文也は笑い飛ばした。

「旅行費用くらい出すよ。そのくらいしか、今のところお金の使い道ないんだから。それに、英語なんて、ハローとソーリーとエクスキューズミーだけ知ってれば何とかなるもんだよ。ね。一緒に行こう? 向こうでいっぱい遊んでこようよ」

 そうと決まれば、パスポート取らなくちゃね。そう言って、文也は部屋電話になっている携帯電話を取りに立ち上がる。

「優、地元どこ?」

 一体どこに電話するつもりなのか、電話帳を探しながら文也が戻ってくる。
 そういえば、今までその必要がなかったせいで、お互いに生まれ育った場所を知らない。あぁ、そうか、と優は手をたたく。

「東京。っても、国分寺だけど」

「え? そうなの? 僕、小金井」

「……近ぇな。隣じゃん」

 付き合い始めて2ヶ月。今更知った新事実だった。ほうほう、と優が感心して頷く。
 それから、首を傾げる。

「で、何で?」

「パスポート。自分で取りに行ってる暇、ないでしょ? 代理してくれるあてがあるんだ。さすがに住民票が遠いと難しいかな、と思って」

 どうやら、そのつてに電話をかけるつもりだったらしい。携帯電話を耳に当てる。

「佐藤です。先生はいらっしゃいますか?」

 先生? 一体相手は誰なのか、どうやら今の言い方で相手には伝わったらしい。
 相手の名前を言わずに取り次いでもらえるということは、先方に先生と敬称のつく人が1人しかいないということだ。

「誰?」

「弁護士さん。仲良いんだよ」

 なるほど、パスポート申請の代理人には適任だ。そんな知り合いがいることには驚いたが。

「文也です。お久しぶりです」

『おー、文也君。元気かい?』

 その相手はかなりの大声の持ち主らしい。少し離れている優にも聞こえてくる。その声に、優はくっと笑った。

『で、どうした?』

「お願いがあって。友達のパスポート、代理お願いできないかなぁ」

『本人直筆の委託証明、用意できるかい?』

「うん。書式送って。書いて郵送するよ。戸籍謄本取るんだよね?確か」

『おう、良く覚えてたなぁ。で、パスポートってことは、その子と文也君のビザもかい?』

「ん。いらない。アメリカ短期観光はビザいらないもん」

『アメリカ? 大学か?』

「うん。手続きに来いって呼ばれたから、ついでに遊んでくる」

『そうか。まぁ、ゆっくり羽伸ばしといで。夏休み終わる前に帰っといでよ』

「はーい。じゃ、よろしくお願いします」

 相手が返事をするのを待って、電話を切る。それまで、優はおとなしく待っていた。優におとなしくという言葉は実に似合わないのだが、自分のため、という意識が働いたのか。

 とにかくおとなしく待っていた優が、喉元に止めていた問いを口に出す。

「どういう関係なんだ?」

「なぁに? 嫉妬した?」

 それは、優の表情が微妙に不機嫌そうに見えたからか、それとも優をからかったのだろうか。それから、小さく肩をすくめる。

「この高校に入るのにね、両親を説得してくれたんだ。いろいろ助けてもらってる。うちの顧問弁護士さんだよ」

「は?」

 顧問弁護士? 個人の?

 ぽろっと出てきた爆弾発言に、さすがの優も思わず問い返してしまった。個人宅に顧問弁護士がついているというのは、そうそうあることではない。一体どんな資産家のお坊っちゃんなんだ?と優は少し眉をひそめた。

「東証一部上場、企業評価トリプルAの優良大企業の、会長の孫。さらに言うと、本家の長男だよ。言ってなかったっけ?」

 またもや衝撃の新事実に、優は頭を抱えた。文也から感じる何とも言えない高級感は、大卒だから、とか、帰国子女だから、ではなく、生まれのせいだったらしい。

「実は雲の上の住人なんじゃないか」

「ん。家は、ね。だから、かなり脛かじってる。甘い蜜は吸えるうちに吸い尽くしとかなきゃね」

 そう言って、文也はくすくすと笑う。学校に支払う授業料と生活費以外は一銭ももらっていないくせに。とても、金持ちの家に生まれたようには見えない生活をしている文也の存在が、急に遠く感じられて、優は言い知れぬ寂しさに打ちひしがれた。

 そんな優の反応に、文也もまた、寂しげな目を優に向けた。

「実家は実家、僕は僕だよ。どうせ、家に僕の居場所はないし、高校を出たら家を出る予定だったんだから。まさか、家のレベルが違うから別れよう、なんて言わないでしょ?」

 嫌だよ、そんなの、と、文也はすがりつくような視線を向ける。その視線に、優は久しぶりに文也の弱点に触れてしまったことに気づく。

 せっかく実家から逃げてきているのに、その実家の格にビビッてしまった。
 一生一緒にいたいから、その覚悟があるから、いずれは文也の実家を相手に戦わなければいけない。こんなところでつまずいているわけにはいかないのだ。

 ごめん、と素直に謝って、文也を抱きしめる。

「パスポートって、すぐに取れるもんなのか?」

「申請して、1週間くらいかな。あ、写真取らなきゃね。それと、ご実家に連絡して。未成年だから、保護者に承諾もらわなきゃいけないんだ」

「パスポート取るのに金かかるだろ? 出させるよ、そのくらい。俺の身分証明だもんな」

 楽しみだな。そう言って、あまりすねていなかったことにほっとする。
 ひょいっと文也を抱き上げた。ひゃあっ、と文也が小さく悲鳴をあげる。

「抱きてぇ」

「……もうちょっと遠まわしに言おうよ、そういうことは」

「何言ってんだ。文也が好きなんじゃん。この言い方。もうキてんだろ?」

「……バカ」

 顔を、耳まで真っ赤にして、文也は優の首にすがりついた。





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