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文也と優が戻ってくるまでの一時間は、長いなんてものではなかった。太郎と保にとっては、永遠に続くかとも思われるほどの長い時間だった。
何しろ、その時はほぼ麻痺していた恐怖が、今ごろになって襲ってきたのだ。もしかしたら、置いてきた文也と優が、今ごろ恐い目に会っているかもしれない。そう考えてしまうと、いても立ってもいられない。
流れているテレビも耳に入らず、そわそわと回りに視線をめぐらせる。
戻ってきた二人は、四人の顔を見た途端に、深いため息を同時についた。ここまで送ってきた生田教諭が驚いたほどの、それはあからさまなため息で。二人がお互いに顔を見合わせる。
「何だ、お前ら。友達の顔見てやっとほっとしたか?」
そんな、からかうような生田教諭の言葉に、優が何か言いたそうに振り返り、文也はその場でくすっと笑う。
「ま、そんなとこです。みんな無事だったから、良かった、と思って」
「何だ。自分のことではないのか。佐藤も斉藤も、本当に落ち着いてるな。恐くないのか?」
半ば呆れたように二人を見ているのは、あの後ずっと二人に付き添っていたからなのだろう。こんな非日常的な事態だ。恐くないわけはないだろうが、確かに傍目には恐がっていない、むしろ面白がっているように見える。
だが、そんな生田教諭の問いに、文也はまじまじと質問者を見つめてしまった。
「恐くないわけないじゃないですか」
「取り乱したって、仕方がないだろ。逃げ出したって恐いのなら、解決するのをこの目で確認するしかない。それだけのことだ」
「まぁ、銃社会で成長した分、覚悟は出来てる、ってのはありますけどね」
そんな口々に言われた台詞に、その二人の肝の座り方に驚いて、今度は感心した目を向ける。それから、生田教諭は、ここに送り届けたことで自分の役目は終わった、と部屋を出て行った。
生田教諭の姿が見えなくなったところで、待っていた四人が二人を取り囲む。
「大丈夫? 怪我とかしてない?」
「無事か?」
「ごめんね、置いてきちゃって」
「生きてて良かったぁ」
以上、裕一、正史、太郎、保の反応である。それだけ心配されていたことに反対に驚いたらしく、文也と優は、きょとん、と目を丸くした。それから、顔を見合わせて笑いあう。
「災い転じて福となす、か?」
「転んでもただでは起きない、じゃない?」
一体何を指したことわざなのか、二人だけ分かり合ってそう確かめ合う。何事だ?と他の友人たちは首を傾げるばかりだ。
「仲が良くなって良かったな、って話だ」
「ついでに、それぞれの役割も固まったじゃない」
良い事だ。そう、二人は言いたいらしい。改めてそう言われて、太郎は正史と、保は裕一と、それぞれ顔を見合わせる。
確かに、出かける前と今とでは、絆の強さが違う。すでに仲間だと認識していて、こんなに心配している。なるほど、仲が良くなって良かった、だ。
「なんか、落ち着いてるね、二人とも」
「おかげでこっちまで落ち着いちゃうけど」
今度は太郎と保で顔を見合わせ、何故か二人揃ってため息をついた。
もう、驚く、という行為に飽きてしまった。とにかく、文也と優には驚かされっぱなしなのだ。何だか、自分たちとは違う世界に育った人のように見える。
実際そうなのだろう。言葉に過去の経験がかぶっていて重い。
と。
『ふーちゃん。恐かったぁ?』
いつのまにか背中に張り付いていたらしい。肩から顔をのぞかせて、くぅがそう問いかける。
そのくぅを肩から下ろして、文也は恋人を見やり、突然しゃがみこむ。その途端、優もまた、文也の背に寄りかかるように崩れ落ちた。
「くぅ〜。それ、致命傷〜」
「やべぇ。一気に力抜けた」
カーペットが敷いてあるとはいえ、土足が基本のこの部屋で、ぺたっと座り込んでしまった二人に、保がまず慌ててしゃがんだ。大丈夫?と視線で問うのに、文也が目で笑って見せる。
それから、くっくっと笑い出した。優は反対に、深い深いため息を、息がなくなるまで吐き出す。
「やだぁ、もう。調子狂っちゃうよ」
それは、くぅの心配そうな声に対するものなのか、保の心配に対するものなのか。くぅを抱きしめてうずくまるから、さらに全員の心配を一身に集めてしまうのだが、そんなことも文也が気にすることは出来ない様子だ。まさに、緊張の糸が緩んだ状態で。
泣いているように感じた。優もまた、そんな文也を覆い被さるように抱きしめて、そのふさふさの髪に頬擦りする。
「部屋、戻ろうぜ。文也」
耳元で囁き、上を見上げる。見上げた先には正史がいて、許可を請うているらしい。正史が頷くのに、優はにやっと笑って見せ、文也を促した。
「ゆっくり休め。今日のこととこれからのことは、明日話そう」
伊藤と内藤も、と視線を向けられて、文也の頭を撫でていた保が上を見上げた。二人が帰ってきたことで、やっとほっとしたのだろう。正史の表情も、つい先ほどと打って変わって穏やかで、はっきりとリーダー振りを主張するのに思わず頷く。
その正史のそばには、しがみつくように太郎が立っていた。こちらも、泣き出しそうなのをこらえている。
緊張が解れると涙もろくなるところも、文也と太郎は似ている。そう感じて、保はやっと、自分がこのメンバーに加えられたわけを悟った。
なるほど、保と裕一をはずすと、この4人は鏡に映したようにそっくりで、友達としてはバランスが取れているかもしれないが、役割を完璧に果たすには都合が悪い。
その点、彼らを補える自信が、保にはあった。性格が違うから、彼らを支えてあげられるのだ。どちらかといえば、前線に立つ彼らのバックアップといったところか。
もしそれが、本来の狙いなのだとすれば、太郎の人を見る目は桁違いだ。逆らわない方が良い。
「まいったなぁ」
何がともなく呟いて、保は小さなため息とともに軽く笑った。
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