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 それにしても、この学園内はとにかく広い。体育教官室は、ここから最も近い、教師の居場所なのだが、そこへ行ったはずの正史がさっぱり戻ってこない。森の中をぐるりと抜けて戻ってきた優と文也の方が先だった。

「あれ? 委員長、まだ?」

 戻ってきて早々、文也を右腕にくっつけたまま、優がとぼけた声でそう問う。それは、ここにいないのだから、確認という以外の意味はなく、誰もその問いに答えない。
 くぅは伸ばした文也の腕に移り、勝手に肩までよじ登っていく。それを見て、太郎は唖然とした。
 確かに、オーバーテクノロジーかもしれない。よじ登れる、ということは、手でしがみつくための指紋に変わる役割を担う機能と、文也の服を握る手の動作、そして、よじ登るという行動パターンの組み込みが必要で、そのどれも、現在の常識ではありえないとされるものなのだ。

『委員長って、誰?』

 きっと、くぅの前でその呼び名を使ったのは初めてなのだろう。くぅが不思議そうに文也を見上げる。それは、きっと自己学習能力が働いたせいの問いかけなのだが、その『委員長』が人の呼び名であることまではくぅ自身で判断しており、まったくさすがの一言だ。

 くぅに対して、『委員長』の呼び名の詳細を教えている文也に代わって、優が太郎を見下ろす。

「連中は、警察の発表で四人だったな?」

「そうだね。全員いた?」

「くぅ。レコード」

『……覚えたっ! なぁに?まぁくん』

 くぅを呼んだはいいが、まだ文也に正史のあだ名を教えてもらっているところで、指示されたことが聞き取れなかったらしい。呼ばれたことだけは分かったようだ。聞き返しかたがまた可愛い。

「ボイスレコード。いいか?」

『ボイスレコード機能を起動します。只今の日時を記録しますか?』

「記録して」

 答えたのは文也だ。くぅを肩から下ろして、両手に抱いている。保に見張りを頼み、3人は森の陰に隠れた。

『9月1日15時34分。ボイスレコードを開始します』

 直後、文也は太郎に向かって、口に人差し指を当てた。喋るな、ということらしい。その間に、優が話し出す。

「昨日午後発生の銀行強盗犯を見つけた。藤堂学園百葉箱小屋。人数は5人。二人は強奪した札束の数を確認中。二人はどうやら眠っている模様。一人は見張りらしいが、ずっと携帯メールに夢中でこっちに気づいていない。武器はライフル一丁と拳銃が一丁。ただし、眠っている男が抱いているのを見ただけなので、実際もっとあるかもしれない」

「こっちに気づいていないとはいえ、目の前まで行ってきたのは事実だから、僕たちはもう偵察にはいけない。後は、警察が来るまでここで待機します」

 くぅに、そこまででボイスレコードを終わらせて、文也は太郎を見やった。優もまた、太郎を見る。

「人数、増えたね」

「逃走のアシ係じゃないかな? でも、おかげで、本当にその5人で済んでいるのか、実は不明」

「まさか、その辺うろついてたりしないよね?」

 保が、こちらを振り返ってそう言う。見張りが出来る場所まで戻ってきた優が、保の肩を叩き、真面目な顔で首を振った。

「わからん。だから、ここで待機だ」

「これ以上近づくと、気配で見つかるからね」

 そう言いながら、文也もまた、近づいてきた。太郎もそれに従う。

「くぅ。さっきのボイスレコードを理事長と教頭先生のメールボックスに送信して。それから、内線接続。理事長室へ」

『理事長室に繋ぎます。只今呼び出し中です』

 続いて、電話の呼び出し音が、おそらくこのスピーカーでは最小音量で聞こえてくる。それを太郎にもたせて、文也はもっと離れた物陰に促した。連絡しろ、という意味らしい。頷いて、太郎は小走りに走っていく。

 太郎が走っていった方から、ようやく正史と体育教諭が二人、やってくる。正史は太郎のそばで立ち止まり、二人はこちらへやってきた。隠れろ、という優の手の動きに、慌てて進路を曲げ、身をかがめて近づいてきた。

 体育教諭の片方が、文也と優にとっては気の知れた相手である生田教諭であることに、二人はあからさまにほっとした表情を見せた。

「お前ら、何危ないことしてるんだ」

「最初は、安全を確認に来ただけなんだぜ。まさか、ビンゴ引くとは思ってなかった」

 そう、砕けた口調で言い返すのは優で、文也はじっと百葉箱の方を見つめている。

「あれで全部っぽいね。10分経って、出入りがない」

 ちらっと横目で恋人を見、文也が呟くように言う。そうか、と答えて、優も百葉箱の方に注目した。

「そこにいるのか?」

 文也と優の身体の陰から、生田教諭もそちらに目を向けた。反対に、今まで見張りだった保は、そこから抜けてもう一人の体育教諭に近寄る。

「大丈夫か? 伊藤。顔が真っ青だぞ」

 言われて、保は若干驚いたように、もう一人の体育教諭、狩野を見上げた。自覚していなかったらしい。ぽん、と頭に手を置かれて、思わず涙が零れ落ちる。
 それを見て、なのか、文也が慌てて近寄ってきて、保を背中から抱きしめる。保の方が背が高いせいで文也がしがみつくような形になってしまったが、おかげで少し落ち着いたらしい。へなへな、と地面にしゃがみこんでしまった。

「ごめんね、たもっちゃん。恐いことお願いしちゃったね」

 それを言えば、文也の方がもっと危なかったはずで、そんな突込みを胸中で出来る程度には余裕が残っていたらしく、保はふるふると頭を横に振った。
 文也は、そんな保を抱きしめてくれている。人の体温が、高ぶった感情を少し落ち着かせてくれた。

 そこに現れたのは、遅れて戻ってきた裕一である。保が地べたに座り込んでしまっているのに驚いて、そばに駆け寄ってくる。文也は、お使いに出ていた分落ち着いている裕一に後を任せて、見張りに戻っていった。

「どうした? たもっちゃん」

 背の小さい文也と違い、痩せているとはいえ身長が6人で一番高い裕一に覆い被さるように守られて、保は文也に抱かれているときよりも落ち着いた自分に少し驚いた。どうやら、裕一には保を落ち着かせる何かがあるらしい。今のこの状況ではありがたい話だ。

「恐かった」

 素直に、そんな言葉が出てくる。恐いのは現在進行形だ。だが、ほっとしたのも事実なのだ。裕一はそんな言葉に何か茶々を入れることもなく、うん、と頷いてくれた。

 やがて、太郎と正史が戻ってくる。

「父が、警察に連絡してくれた。詳細もうまく話してくれる。俺たちはもう、戻って来い、との御達しだが、どうする?」

 そこで、戻るぞ、との判断を下しても良い立場の正史だが、あえて問い掛けた。太郎は、自分で何がしかの判断はしたようだが、それは口に出さず、優と文也に目をやる。
 こういう危険な事態は、彼らの方がうまくやってくれそうだし、実際今まで彼らが先頭に立って動いてくれたのだ。最後まで判断を任せるべきだ。

 文也は、そんな太郎の思惑が分かったのかどうか。軽く首をかしげ、恋人を見上げた。その表情は、戻るかどうかを悩んでいる様子だ。見上げられた優は、あっさりと首を振った。

「お前らはもう戻れ。いつ危険な状態になるか分からないからな。俺は、警察が来るまで見張る。ここから出てこられたら困るだろう? 学内が危険なのはわかったんだから」

 実際に、優も文也も、犯人集団がライフルや銃を持っているのを、その目で確認しているのだ。文也が渋ったのも、優と同じ理由だったらしい。
 今ここで見張りを止めたら、彼らを野放しにするのも同然で、いつ襲われるか分からない不安に襲われることになるのだ。目の前で直接銃口を向けられる恐さよりも、いつ狙われているか分からない恐さの方が、何倍も恐ろしいことを、二人とも承知している。

「みんなは戻って。僕たちだけなら大丈夫だから」

 全員を守っている余裕はない。そう、文也の言葉の裏に明らかに隠れている。それがわかるので、4人、顔を見合わせた。
 生田と狩野の両教諭は、本当なら文也と優の決断を、無理やりにでも止めなければならない立場だが、優の言葉に先手を打たれてしまった。ここで、戻れ、という台詞は、恐がれ、と同義である。口に出せるものではない。
 こうなったら、身を呈して可愛い教え子を守るしかない、と生田は自分を奮い立たせた。

「お前たちは戻れ。狩野先生、こいつらをお願いします」
 それは、自分はここに残り、二人を守る、という意思表示で、一瞬逡巡した狩野は、それから頷いた。
 二人を守る、というのもヒーロー的で重要な仕事だが、いざというとき足手まといになる四人を、無事に安全な場所まで送り届けることも、重要な役割だ。それを、一瞬の考えの後に導き出したらしい。
 それから、両手を大きく広げ、学生四人を促して、静かにそこを離れていく。無理やり促された四人だが、文也に「邪魔だ」というように睨まれて、大人しく従った。





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