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 太郎という恋人ができたおかげで、どうやら正史は吹っ切れたらしい。
 翌々日、法事のために藤堂家を訪ねた正史は、父に今までの経緯を話し、もうそんなことはしないから、叔母たちに何とか言ってくれ、と頼んだ。
 最初驚いた父も、正史が自分の出生を負い目に感じているのは知っていたので、正史の告白を全面的に信用してくれた。その上で、辛かったな、と同情してくれ、叔母たちにもきちんと話してくれたらしい。送り盆で顔を合わせたときは決まりが悪そうに顔を背けられただけで済んだ。

 盆が過ぎると、山に涼しい風が渡ってくるようになる。窓を全開にして扇風機だけで一日過ごせる気温で、二人とも穏やかに日々を過ごしていた。残り1週間になるとちらほら帰ってくる学生たちも、今はまだ留守が多い。

 そういえば夏休みの宿題をまったく片付けていない太郎が、正史のものを見ながら答え合わせをしつつ写していると、寮の下から誰かを呼ぶ声がした。

 8月23日。特に何も予定のない、のどかな夏休みの一日、のはずだ。

 耳を澄ますと、それがどうやら、太郎を呼んでいる声のようだった。

「加藤〜。いるんだろ〜?」

 手の離せない太郎の代りに、正史が窓の下を覗き込む。そこで手を振っているのは、体育の生田教諭だった。イクちゃん、というあだ名を持つ彼は、ランニングに半ズボン、首にタオルを巻き、どうやらランニング中だったらしい。

「何ですか? 先生」

「お? 後藤か。そこに加藤はいるか?」

「居ますけど、今ちょっと手が離せません」

「お客さんだぞ」

 は?

 こんな山奥の学校に居てはあまり聞きなれない言葉に、太郎もシャーペンを放って窓の外を覗き込んだ。確かに、生田教諭のそばに誰か居る。それも、実家ではかなり見慣れた相手。

 見た途端に、逃げ出した。それも、大慌てで。足を引っ掛けてしまった折りたたみのちゃぶ台が、ガタンと音を立てる。

「会わないっ。帰ってもらって!」

 その慌てように、想像ができるのはただ一つだけだった。そんなに太郎を知っているわけではないが、この震え方は覚えがある。

「兄貴、か」

「そう」

 こくこく。すがるように頷いて返してくる。正史は一つため息をつくと、また窓の外に顔を出した。

「先生。会いたくないって。本人、震えてる」

「そうか。わかった」

 簡単に引き下がったのは、震えている、という最後の一言のせいだった。何しろ、そういうものから逃げ出した人を集めた学校だ。それなりに、学生の保護体制はできている。
 たとえ家族だとしても、本人が嫌がるのなら、学校側は学生の味方なのだ。ましてや、震えるほどの相手なのであれば、がっちりガードするのが当然だった。

 生田教諭は、面会人と一言二言会話をすると、彼を正面玄関の方へと促した。

「行っちゃったぞ」

「ごめんね。みっともないとこ、見せちゃって」

「いいさ。前は俺が、情けないとこ見せたからな。おあいこだ」

 くすっと、太郎が無理やり笑って返す。そうして、小さく、ありがとう、と呟いた。

 よっぽど相性最悪な相手なのだろう。宿題の続きに手を伸ばす余裕も戻らず、太郎はベッドに寄りかかってうずくまっている。そんな太郎を、正史は覆い被さるようにして抱きしめた。顔は伏せられているので、こめかみにキスを落とす。

 そう時間が経たないうちに、太郎の震えはおさまったらしく、反対に太郎が正史を抱きしめ返した。

「旦那の部屋、行こう?」

「したい?」

「ごめんね。気持ちの切り替えが、うまくいかない」

 抱きしめられているだけじゃ物足りない。もっと強い力で自分をつないで欲しい。そうでないと、心がバラバラになりそうで、怖かった。
 縋り付いていないとならないほど、いつのまにか正史に依存しきっている。そこは、頭で考えただけでどうにかなるレベルではなくて、何とかする方法だけ、わかるのだ。

 と。

 プルプルプル、プルプルプル。

 学内の寮には内線が張り巡らされていて、通常は事務所と学生、教員の連絡手段となっている。それが、突然鳴り出した。
 先ほどの出来事があってのことなので、用件は同じものだろうが、嫌がっているというのに連絡してくる理由が必要で、正史が嫌がる太郎をなだめて電話を取った。

「はい。加藤の部屋です」

 そう答えて受け答えをしている正史を、太郎はなんとも不安げに見つめていた。そんな表情ができるほど、正史に気を許している証拠でもある。

 しばらくして、正史が、ちょっと待ってください、と言ってこちらを振り返った。

「加藤。ご両親も一緒に来てるんだって。面会には生田先生も立ち合うから、降りてこないか、って言われてるが、どうする?」

 言われて、太郎は素直に首を傾げた。

「今日、休みの日?」

「カレンダーを見る限り、平日だな。わざわざ休んだんじゃないか?」

 実際、壁にかかった○×印で埋まったカレンダーを見て、正史の意見を返す。そう言われては、無下に断れない。太郎は少し考え込んで、それから言った。

「旦那も一緒で良ければ、会うよ」

「わかった。そう言おう」

 俺も?と聞き返さなかったことに、一瞬太郎は驚き、それから嬉しそうに笑った。自分を無条件で支えてくれようとしている。それだけ想ってくれているという事で、それだけでも、天にも昇る気持ちだ。

 受話器を置いて、正史が手を差し出す。太郎はその手を迷うことなく握り締めた。





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