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 自室に戻って、時計を見て、まだ6時前なのに気づいた。

 一体何故あんなことをしたのか、自分でも理解できないでいた。
 正史は今まで男に興味を持ったことはないし、女とも経験がないわけではなくて、しかも一般的に見て目鼻が整い肌がすべすべで長身細身ながら力もそこそこある正史に、憧れの視線を送る女性も大勢居る。
 そこを自覚していて、それでもなお、太郎に欲情したのだ。ただ欲情しただけではない。実際押し倒して、あれだけの抵抗に遭わなければ、おそらく最後までしていただろう。そんな自分が、理解できなかった。

 昨日までは、普通の友達だった。校内に彼ほどの親しい友人は居ないから、今現在の親友といっても良い。
 学力だけでなく、非常に頭の回転が早い奴で、彼と話をしていてつまらないと感じたことがない。答えはいつも的確で、正史が分かりやすいように、その理解度にあわせて単語を選んでくれる。正史に分からないことがあったとしても、馬鹿にするようなことは一切なく、反対に太郎が分からなかったことがあったりすると、素直に感心してみせる。
 確かに頭がいいのは分かるのに、それがまったく嫌味に感じない相手なのだ。相性が良いのかも知れないが。

 そういう太郎を、尊敬こそすれ、欲情するなど、今まで一度だってなかったのだ。
 最初のうちから裸の付き合いをしている仲だ。二人揃って温泉が好きだから、ほとんど毎日のように連れ立って風呂に入っていた。それでも、今回のように欲情したのは初めてだ。
 今までと違うところと言えば、自分の感情がおかしかったことと、太郎が寝起きの無防備な姿をしていたことだけ。

「俺は、何という事をしてしまったんだ」

 自己嫌悪に陥る。

 男に欲情した、そのことについてではない。大事な友人を自ら失うような行動に走った。それは、自分を責める理由としては十分すぎるものだ。
 太郎を好きになった、というのであれば、それはまあ、自分の性癖に驚きはするが、それでも想いを成就したいのであれば、一般的に正しいとされる手順を自分も踏むはずだろう。
 それがあれば、太郎とてあんなに恐がることもなかったし、振られたとしても良い関係を続けていけたかもしれない。
 それが、すべてすっ飛ばされてしまった。そもそも、自覚する、という大前提が飛ばされてしまったのだから、正史が自分を責めたとしても、誰も慰めることはない。

 自分自身が自分の行動を認められないのだ。誰が認めてくれると言うのだろう。認めてもらえたとして、それを自分が受け入れられるはずもない。

 確かに、自分は性衝動的に、とんでもなく気が立っていた。それは認める。
 本当は、太郎に助けを求めに行ったのだ。本当のことが言えない自分を、太郎が助けられるとは思わないが、それでも同性の気安さで心を安心させてもらいたかったのだ。
 それが、何故あんな行動を引き起こしたのか。

「俺は、馬鹿か?」

 自問自答を繰り返す。いつまでも抜け出せないアリ地獄だ。そのうち、自分の考えに飲まれて窒息してしまう。それでも、彼には他に術がないのだ。どうしたら良いのか、分からないのだ。

 分からない、ということには慣れているが、解決策が思いつかない問題にぶち当たったのは、実は初めてだった。
 今までは、相談できる相手がいたり、そこに書物があったりした。だが、これだけは、自分で解決するしかない。他人に助けを求めても良い範囲を越えている。それこそ、親であれば相談できるのかもしれないが、自分には親など居ない。いたとしても、そんな相談ができるような相手でもない。

「くそ」

 悪態をつく。相手もいないのに。そうして、正史も情けなく、部屋の隅で膝を抱えるのだ。

 しばらくそうやって悶々と悩んでいた正史の耳に、物音が聞こえた。ほとんど誰も居ないに等しい寮内である。いつのまにか薄明るかった戸外が真っ暗になってしまっている。

 もう一度、音がした。それが、ノックの音だと気づく。しかも、この部屋だった。

「誰だ?」

「俺」

 何?
 正史は驚いて目を見開いた。それは、紛れもない、太郎の声だ。幾分しっかりした声で、先ほどの動揺が嘘のよう。
 正史は大慌てで、まるで転げるように玄関に走りよった。戸を開けようとして、制止の声に身を縮ませる。

「開けないで。そこで、一つだけ質問に答えて」

 しばらく、正史から反応はなかった。ちいさな了解の声に、太郎の肩が少し力を抜く。

「まだ、俺を抱きたいと思う?」

 その質問に、正史はまた沈黙した。今度の沈黙は、前の分よりは短い。

「思う。けど、無理やりしようなんて、もう思わない。ごめん。本当に、悪かった。最悪だな、俺」

「お風呂。行こう?」

 言い訳というか弱音と言うか、そんなものを吐きそうになった正史を、太郎は意外な言葉で遮った。
 それは、裸など見せたら襲われるかもしれないことを承知で言っているのだ。でなければ、強制的に裸にならざるを得ない状況に、強姦未遂の被害者が加害者を誘うわけがない。
 だが、何故だろう。怒っていて当然なのに。あんなことがあって、まだ小一時間程度しか経っていないというのに。

「良いのか?」

「何かあったんでしょう? 密室になるようなところでは、今はちょっと聞いてあげられないけど、あそこなら大丈夫だから。ね。行こう?」

 先に行ってるからね。そういい残して、太郎の足音が去っていく。正史は、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。





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