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 風呂でばったり出会ってから、ほぼ毎日、同じ時間に風呂で会うようになった。示し合わせたわけではないが、それが日課になってしまうと、当然のことになってしまう。

 裸の付き合いというのは、人間の内面までさらけ出していくものらしい。太郎は正史から愚痴を聞かされるようにまでなったし、正史は太郎の人柄を快く思い始めている。

 しばらくすると、風呂以外でも一緒に行動するようになった。

 最初は、太郎が行動した。仕事が空いた時期に、正史の部屋に入り浸り、クロスワードパズルなど持ち込んで勝手に遊ぶ。そんな時間に、正史は太郎の会話の相手をしながら夏休みの宿題に精を出した。

 太郎が仕事で部屋を出られなくなると、今度は正史が太郎の部屋に遊びに来た。せっせとワープロを叩いている隣で、インターネットにいそしむ。彼のおかげで、どんなに忙しくても昼食と夕食にはありつけるようになった。高校入学前は自炊していたそうで、正史の手料理はなかなかの腕前なのだ。

 太郎が仕事を上げて、久しぶりにゆっくり休める、迎え盆の一日前。

 太郎は正史の部屋に、お昼寝マット持参で遊びに来ていた。どうやら泊まっていくつもりらしく、正史も別に嫌がらず受け入れる。今までは8時にはそれぞれの部屋に引き上げていたので、9時を過ぎてもそこに人が居る状況に、太郎は少し浮かれていた。もちろん、一仕事終えた満足感も手伝っている。

「なぁ、旦那」

 この頃、太郎は正史を、旦那、と呼ぶようになっていた。正史の旦那、略して旦那だ。最初のうちは嫌がった正史も、いい加減慣れたらしく、平然と太郎に目をやる。クロスワードパズルに熱中していた太郎が突然問い掛けたのに、少し不思議そうな表情だ。

「明日から法事とか始まるだろ? どうするんだ?」

 言われた途端、正史がびくっと震える。が、それを太郎は見ていなかった。正史に家の話はタブーなのだが、忘れていたのか意識して言ったのか。こちらを見ないので太郎の意思がわからず、正史は眉を寄せる。

「迎え盆と送り盆は、絶対に出ろ、と親父殿に言われている。中日には母の墓参りに行く予定だ。夜にはここに戻ってくる」

「そっか。日中は居ないんだ。ちょっと寂しいな」

 盆だけ帰る人は、居残り組にも結構多くて、今日は寮内に学生は5人しか居ない。人が少ないと空気が重く、太郎は本当に寂しそうに笑った。ああ、そうか、と正史も納得の表情だ。家のことはタブーだとしても、これだけ毎日一緒に居ると、それは確かに寂しいかもしれない。

「夜は泊まりに来るか?」

「旦那が来なよ。帰ってこられないかもしれないんだろ? 無駄足は嫌いだ」

 それもそうだ。頷いて、正史も自分のベッドに横になった。

「お前は、帰らないのか?」

「夏休み帰らなかったのと同じ理由でね。ついでに、実家嫌い」

 後半は初めて聞いた。正史は、実家が嫌いだといったその太郎の表情が見たくて、ベッドの下を覗き込んだ。太郎は熱心にパズルを解いていて、うつむいているので表情が見えない。

「加藤?」

 呼びかけられて、こちらを見上げる。いつもと変わらない表情。だが、口元が少し不機嫌だった。何だ、と正史の声が笑う。

「お前も実家が弱点か」

「悪い?」

「いや。お互い苦労するな」

 お互い苦労する。それは、この学校に通う学生たちに普及した社交辞令で、それによって相手と自分の傷を守っている。
 だから口にした言葉で、太郎は少しほっとした。
 その言葉を口にしたら、そこでその話題はおしまいにするのが暗黙の了解になっている。
 これが弱点だとわかったら、そこには触れないでやる。それが、この学校で生活する上でまず最初に覚えるルールだ。それは、どんなに親しくなろうとも、ここにいる限り、越えてはいけない一線だった。

「ところで、お前、クロスワード好きだな」

「俺の頭って常に回転しててさ、適度に負荷かけてやんないとオーバーヒートしちゃうのよ」

「頭が良すぎるってのも、困りものだな」

 軽く冗談を言って見せると、正史がそれに合わせて返してくる。そのタイミングが心地よくて、太郎はくすりと笑った。




 翌日。
 朝から正史は出かけていって、太郎は自室に戻った。ごろん、と大の字に寝転がる。暑くて何もやる気が起きない。全開の窓からも、風はそよとも入ってこなかった。セミの鳴き声が余計に暑さを増す。
 こんな日は、クーラーをかけて仕事をするか、寝て過ごすかなのだが、仕事は一昨日終わったばかりでやる気が起きない。

「よし。今日はお昼寝日和だ」

 ちょうど、正史の部屋に持っていっていたお昼寝マットがそばに転がっていることだし。決めたら即実行に移した。
 いくら寝ても寝溜めができる太郎に、寝過ぎという文字はない。眼鏡だけベッドの上に退避させて、そのまま目を閉じた。

 気がつくと、夕暮れ時で、誰かが部屋の戸を叩いていた。その音に目を覚まさせられたらしい。

 こんな日のこんな時間にこんな場所に来る人などたかが知れていて、おそらくそれは正史のはずで、太郎はそれがないと自分の足元すらぼやける眼鏡を取らずに、のそのそと床を這って、はーい、と返事をしながら玄関横のシンク伝いに立ち上がると、相手を確認せずに玄関の鍵を開けた。
 ついでに戸も開けると、そこに居たのは想像どおり、正史だった。ただし、今までに見たこともないほど険しい表情をしている。

「どしたの? 早かったね」

「加藤……」

 切羽詰った表情に首を傾げる太郎を、正史は突然、がしっと抱きしめた。玄関がひとりでに閉まる。

「ほえ? 何よ、どうしたん?」

 苦しいよ、と耳元でささやいて肩を叩いてやっても、一向に正史の腕は緩む気配もない。それどころか、太郎の肩に顔をうずめて、息を殺している。

 そんなただ事でない雰囲気に、太郎の眠気も一気に引いた。何があったかは知らないが、精神的に参ってしまっているらしく、自分に助けを求めにきたのだ。頼ってくれたのが嬉しくて、太郎の気力が高ぶる。

「どうしたんだよ。何も言わねぇといくら俺でもわかんねぇよ?」

 とりあえず落ち着きな、と正史を部屋の中に促す。
 と、太郎が身を引いた途端、正史が強く覆い被さってきた。勢い余って、二人とももつれ合って太郎のお昼寝マットに倒れこむ。
 悲鳴をあげなかった自分を、太郎は心の中で誉めた。ひくっと身体が勝手に震えるのを押さえつけて、まだ抱きついている正史の肩を優しく叩く。

「重いって、旦那。とりあえず、起きよう。ちゃんと話してみ? 聞いてやるから」

 ふるふる、と正史が首を振る。肩に顔を押し付けているせいで、襟ぐりの広い薄いTシャツを着ている太郎の首に正史の息がかかる。それを、意識してしまった。身体が震えかけるのを無理やり押さえつける。

「なぁ、何か言えよ。俺、どうしたらいいのさ」

 言った途端、首筋をぬめっとした感触が走った。
 思わず目をつぶった。ちゅっと耳元で音がする。
 その感触が、いつまでも離れなくて、それどころか鎖骨の方へ移動していく。
 案外やわらかい正史の髪が素肌を滑った。今度こそ、もう、我慢も限界。びくっと太郎の身体が大きく跳ねる。

「やだっ、ちょっと、旦那っ! 何してんの! やめてっ」

「やめない」

 やっと返ってきた声は、男の欲望で濡れていて、それでいてはっきりと意思を伝えていて、太郎の震えを誘ってしまう。これ以上は、駄目だ。理性が、もたない!

「いやぁっ! やだ、やだ、やだぁ! お願い、やめてぇっ」

 それは、正史の指が太郎の小さな乳首に当たった途端だった。
 大慌てでばたばたと暴れだし、正史の腕が緩んだ隙に抜け出して、ベッドの上の部屋の隅まで逃げ出していく。壁にすがりつくように丸まって、見た目で分かるくらいに大きく震えていた。
 思わぬ抵抗にあって、正史はそこで呆然と太郎を見つめる。

「加藤?」

「帰ってっ。今は顔も見たくないっ」

 ベッドの隅に縮こまって、膝を抱えて、顔を伏せて、ふるふると震えている。手を触れたら逆効果になりそうで、自分のせいは分かるが、どうしたら良いのか判断できず、正史は差し伸べた手を宙に彷徨わせ、自分の胸の前に戻した。

「ごめん。こんなつもりじゃ……」

 太郎からの返答はない。申し訳ない気持ちが溢れてきて、どうにもできず、しばらく太郎を見つめていた正史は、やがて立ち上がると、静かに部屋を出て行った。





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