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 その日、太郎は職員室の隣にある、会議室に呼ばれていた。
 隣には、正史もいて、他にも成績優秀者が何人か揃っていた。1年生も3年生もいる。
 そして、そこには佐藤文也の姿もあった。この中では、一番成績順位が低いはずで、他の同学年生が首を傾げる。

 呼び出したのは、英語担当の佐藤教諭だった。

「みんな、暑い中ご苦労様。集まってもらって申し訳ないが、これからちょっとしたテストをしたいと思う。佐藤、お前、判定係な」

 こく、と文也が頷いた。話は先に通っているらしい。席が佐藤教諭の隣で、実に居心地悪そうにしている。
 
「何のテストかというと、英会話の実践テストだ。受験英語ではなく、実際に英語をネイティブとする人たちと話ができるかどうか。これは、必ずしも英語の成績と一致するものではない。それから、佐藤に判定係を頼んだのは、こいつがアメリカ帰りのネイティブスピーカーだからだ」

 あぁ、なるほど。そんな反応が部屋に広がっていく。文也は恥ずかしそうにうつむいてしまった。

 先生、と声をあげて、ついでに手も上げたのは、正史だった。

「なぜ突然、英会話のテストを?」

 それは、説明を求めても当然の問いで、周りで何人かが頷く。いやぁ、と佐藤教諭は困ったように頭に手をやった。

「実は、突然で申し訳ないが、明日、他校の学校関係者が見学に来ることになった。この学校にいる限り、良くあることだろう? 今回は少し特殊で、外資で私立高校を作るらしい。その事前見学会だそうなんだが、困ったことに、全員日本語ができないんだ。あちらのたっての願いで、実際に生徒の意見を聞きたいとのことでな。英語ができる奴をピックアップすることになったわけだ」

 そもそも、誰一人日本語ができず、日本人の学校に通訳も連れずに来ようというほうが間違っているのだが、そこはそれ、見学会歓迎を謳っているからには拒否もできず、こちらでお膳立てしてやるしかないらしい。
 佐藤教諭には頭の痛い話なのだ。そもそも、日本の英語教育程度で英会話ができるわけがないのだから。

 テストの方法はいたって簡単で、文也と英語で会話をしろ、というものだった。文也が与える英語の問いに、意味が通じるように答えられればOKで、文也には英語の質問のお題リストが前もって渡されている。佐藤教諭は二人の会話を聞いて採点する、というものである。

「では、3年生から始めようか」

 こうして、抜き打ちテストは幕を開けた。

 順番を待つ間、太郎は文也の流暢な英語に、改めて脱帽の思いを抱いていた。
 これで英語の成績は決して良くはないのだ。絶対に、何か企んでいるとしか思えない。
 実力を隠して、彼にはどんな利があるのか。太郎には想像もつかなかった。持っている能力は最大限に使えばいいのに、きっとそれができない何かがあるのだ。気になるところである。

 テストの順番は、あっという間に巡ってきた。
 何しろ、一人一題、しかもかなり簡単な質問である。好きな食べ物は、とか、趣味は、とか、部活は何をしているか、とか、そんな質問なのだ。悩む必要がなく、考える余地があるとすれば、単語がすらすら出てくるかどうか、それだけだった。一人平均一分である。

 試験を始める前に、文也は必ず名前を問う。
 その返答によって、どうやら質問を変えているらしい。それと、口調も微妙に変わっている。単語を一つ一つ丁寧に言ってみたかと思えば、かなり砕けた話し方をすることもある。
 最初のうちは不思議に思っていた太郎だが、それがあまりにもさりげないことに、しばらくして気がついた。おそらく、ここに集まった生徒たちのうち、半分くらいしか、その違いに気づいていない。
 そして、その違いに気づいた人は、英会話の見込みがあると言えるのだ。

「ワッチャネーム?」

 太郎が受験者席に座るのを待って、他の人と同じように名前を問う。
 クラスメイトの顔を覚えていないとは思えないから、いや、ありえなくもないが、多分ないだろうと考えると、やはりレベルチェックのためだ。その問いに、太郎は少し意地悪をしてやろうという気になった。

「(お前ね、いくら俺の成績知ってるからって最初から砕けてしゃべるなよ)」

 名前を問われたのに、そういうからかいを返して、太郎はにやっと笑って見せた。一瞬、びっくりして目を丸くした文也だったが、それから、くすっと笑う。

「(テスト、どうする? 僕は合格で良いと思うけどな。あとは、貴方の希望次第だよ)」

「(んじゃ、イエスにしといて)」

「OK」

 なんだ、結構機転が利く奴なんじゃない。それが、太郎の感想だった。
 実際、佐藤教諭は、お前らなぁ、という顔で二人を見ている。それから、お前らちょっとそのまましゃべってろ、と言って、ここまでのテストの整理を始めてしまった。
 ここで堂々とそういうことができるのが、佐藤教諭たるところかもしれない。体育教諭以外では珍しい、肩肘張らずに話せる先生だ。

「(お許しが出たから、一つ聞いても良いか?)」

 そう言ったのは、太郎の方である。何?と文也が首を傾げた。この際だ、常々不思議に思っていたことを聞いてしまおう。

「(お前、実はかなり頭良くない?)」

 その問いを発した途端、ぴくっと反応したのは文也ではなく、佐藤教諭の方だった。文也はあっさりととぼけて見せる。

「(向こうに住んでたからだよ。それだけ)」

「(じゃあ、なんでテストでわざわざ手を抜くんだよ。ネイティブスピーカーでも英語のテストは難しいってか?)」

「(難しいよ。僕は会話の英語しか分からないからね、文法めちゃくちゃだもの)」

 それが、問い詰められて困っているようには見えなくて、どう聞いてみても本心から言っているようにしか見えない。買いかぶりすぎだったかな、と太郎は首を傾げた。
 それにしては、佐藤教諭の反応は明らかにおかしかったが。

「(もう一ついいか? お前と斉藤って、そういう関係?)」

「(ワオ。ストレートに来たねぇ。なんだ、けっこうバレバレ?)」

 否定しないらしい。それどころか、簡単に肯定してしまった。
 これで、太郎の勘は裏付けられてしまったのだが。この男、かなりの切れ者だ、と。
 文也から真実を探り出すのは、想像以上に重労働なようだった。

「よし。整理終わったぞ。次行こうか」

 ほら、どいたどいた、とどかされて、太郎は肩をすくめた。その口元がわずかに楽しそうに笑っている。新しいおもちゃを見つけた子供の表情だった。

 次にテストを受けた正史は、その質問に面食らった。
 他の人と同じく名前を聞かれた後の質問は、「貴方はタバコが好きですか?」だったのだ。高校生に質問する内容ではない。
 それは、佐藤教諭の用意したリストにはない質問で、佐藤教諭も慌てていた。その質問自体はそう難しい英語でもないので、他の人たちも知り合い同士で顔を見合わせる。

「佐藤、お前、自分の興味をテストに持ち込むなよ」

「え、だって、気になりません? タバコ吸ってるときの委員長って、すごい怖い顔してるんだもの」

 嫌いならやめればいいのに、とその先が続くらしい。
 それは、文也も喫煙室の利用者であることも、同時に暴露していた。
 そもそも、隠すつもりなら喫煙室には来ないはずで、そこに現れるのだから、吸いたくて仕方がないはずなのだ。しかし、正史の喫煙時の表情は、吸いたくて吸いたくて仕方がない、というわけではなさそうで、文也はずっと気になっていたらしい。

「(別に好きで吸っているわけではない)」

 ぼそ、と英語で返されたのに、文也は少し驚いたらしい。その文法は、英文法としては難しい部類に入るからだ。それをあっさり使えたということは、実力はある。
 さすが、学年2位の秀才だ。太郎も、少しは驚いた表情をしている。

「(じゃあ、どうしてタバコを吸うの? 身体に悪いよ?)」

 実はヘビースモーカーな文也の言えた義理ではないが、そう言って、文也は実に不思議そうに首を傾げる。
 そこまで突っ込んだ問いには、答えたくなかったらしい。正史はぷいっとそっぽを向いて、黙秘権を行使した。

「(質問を変えますか?先生。テストにならないし)」

 テストにならない質問をしたのはどこの誰だ、という突っ込みを入れ、佐藤教諭は軽く首を振った。今の一言で、彼の実力は十分に分かったからだ。

 その後、1年生へと順を移し、わずか1時間で、場に集められた30人のテストは終了した。一番疲れたのは、どう見ても文也である。

「センセ。報酬、ピースからマルボロへ変更を要求します」

「疲れたか?」

「当たり前でしょ。30人ぶっ通しだよ、僕」

 ぶぅ、と抗議の声をあげる。ピースからマルボロへ、というのは、値段の吊り上げと共に、ニコチン量の吊り上げも意味する。
 それにしても、好きなタバコがその辺りな時点で、かなりの喫煙量であることがうかがえた。
 タバコの銘柄など知らない優等生諸氏は、その変更にどんな意味があるのか分からず、ふぅん、で済むが、自分もタバコを吸う正史は、当然のように言われたその銘柄に、驚きを隠せなかった。

 いつもは恋人の陰に隠れて地味にしている文也が、そうしてさも疲れた風に文句を言うのに、佐藤教諭はくっくっと笑っていた。手と目は成績をつけていたらしい書類をチェックしている。

「で、佐藤の評価は?」

「ネイティブに通じる英語を使える人の列挙、でいいですか?」

 それなら、本人も自覚しているはずで、学生の身分から指摘されても怒る事はないだろう、という文也の判断だ。それで良い、と佐藤教諭も頷いた。

「3年生の、高橋先輩、大野先輩、戸田先輩、西野先輩。2年生は、結城君、小山内君、加藤君、後藤君。1年生は、大西君、近野君。で、加藤君は先生よりうまいですよ、英語」

「悪かったな、受験英語で」

 そこは佐藤教諭自身認めているらしく、拗ねたようにそう答えた。

 結局、佐藤教諭の判断も含めて、代表は高橋、大野、加藤、後藤、大西の5人に決定した。
 何の事はない。元々選ばれる人数は6人で、一人は文也だから、後の5人を文也が挙げた人の上位からピックアップしただけである。

「じゃあ、明日頼むよ」

 お疲れさん、との言葉を合図に、その場は解散となった。





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