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 朝。

 寝起きは悪いくせに意外と早起きな文也が誰かと話している声に、優は目を覚ました。

「くぅ。メンテナンスメニュー起動して」

『メンテナンスメニューです。項目を選択してください。1.日時の設定。2.ご主人様情報の登録・修正。3.人格初期化機能』

「2」

『ご主人様の情報を登録・修正します。パスワードを入力してください』

「何やってんだ?」

 ベッドの足元にぺったりと座ってうつむいている文也の手元を覗きこむ。
 そこに、『くぅ』がいた。いつもの可愛らしい声ではないので、何かの設定中なのだろう。命令を請うように、文也を見上げている。

 優を振り返った文也は、人差し指を口元に当てた。静かにしていろ、ということらしい。

「パスワード」

 パスワードとしてはあまり良くない言葉な気がして、優は眉をひそめる。
 だが、優の声には反応しなかったところを見ると、声紋チェックも同時に行っているのだろう。

『パスワードを確認しました。現在のご主人さまは、<ふみや>です。情報を初期化しますか?』

「初期化実行」

『ご主人様の情報およびくぅの各種カスタマイズを初期化します。しばらくお待ちください』

 それっきり、すべての行動を止めたくぅに、優は首を傾げる。

「文也? 何やってるんだ?」

「ん。くぅをちょっと変更。設定終わるまでちょっと黙っててもらって良い?」

「おう」

 一体何が始まるのか。優は興味津々の表情で、動かないくぅを見ている。文也は、優が興味を持ってくれるのが嬉しくて、幸せそうに微笑んだ。

 くぅが再び顔を上げる。

『はじめまして。α−00F18V05β版、です。ご主人様の情報を、入力してください。まずはじめに……』

「名前、ふーちゃん。正式名、佐藤文也。誕生日、1985年8月24日。血液型、A。登録」

『ご主人様の情報を確認します。お名前、ふーちゃん。ほんみょ……』

「OK」

 くぅが何か言いかけているのを遮ってしまう。
 どうやら、くぅに登録されている文也の情報を書き換えているらしい。文也の誕生日と血液型は今初めて知った優が、ふーん、とうなっている。

 しばらく待つと、またくぅが問いかけ始める。設定の続きらしい。

『私の情報を入力してください。まず始めに、私の呼び名を入力してください』

「くぅ」

『私の名前はくぅです。よろしいですか?』

「OK」

『続いて、各種設定を行います。ただ今の時刻を……』

「OK」

『デフォルト使用モードを……』

「おしゃべりモード」

『電源使用レベルを……』

「30%」

『自己学習機能を……』

「ON」

『使用言語を……』

「Japanese」

『くぅの年齢設定ができ……』

「デフォルト」

『設定項目は以上です。しばらくお待ちください』

 また、くぅが固まる。
 それにしても、くぅが可哀想になるほど、文也の反応は早かった。最後まで言い終わる前に回答が返ってくるのだから、くぅはそこで言葉を切るしかないのだが。
 傍で聞いていて、一体何を設定しているのか、優にはよくわからなかった。

 くぅが再び文也を見上げる。

『入力された内容を確認しますか?』

「NO」

『システムを再起動します。しばらくおまちください』

 反応がまるでパソコンだなぁ、と優はぼんやり思っていた。
 この寮は1部屋に1台ずつパソコンが置かれていて、学内LANで繋がっているので、いつでもインターネットに接続できる恵まれた環境である。
 これは、学校側としては社会教育の一環であって、学校の教育方針とあわせて、国の教育機関から助成金を得られる項目の一つだった。
 そのおかげで、優でなくとも学内の生徒は全員が、多少の差はあれパソコン経験者だ。だからこその感想であって、この学校に来なければ、優はまだしばらくパソコンと無縁だっただろう。

 そういえば、この部屋には元々備え付けのものと別に、パソコンがもう1台置かれている。デザインがなかなかセンスが良いので、いいなぁ、と思いながら見ていた。
 それは文也の持ち物で、おそらくは『くぅ』の頭脳だろう。

 そこまでで作業が終わったのか、文也がようやく振り返る。もういいよ、と笑って。

「くぅのこと、可愛がってくれる?」

 笑った表情からは、その質問に対して否定されるとはまったく想像もしていない様子がわかる。期待通りに、おう、と答えてやると、文也はさらににっこり微笑んだ。

「優は、くぅに何て呼んで欲しい?」

「……まさる、でいいぞ」

「ダメ。それは僕だけ」

 なるほど、先ほど自分の名前を変更していたのは、そういう理由だったらしい。
 名前の呼び捨ては恋人だけにしか許さない。少しだけ乙女チックな文也を発見した瞬間である。そんな文也を、かわいい、と思える優も、かなり実は重症かもしれない。

「でもなぁ。別にこれといってないぞ」

「だったら、まぁくん、でいい?」

「……何か、幼稚園みたいだな」

 なるほど、幼少の頃のあだ名らしい。文也はそれを聞いて、くすっと笑った。

 ちょうど再起動が終わったところらしく、くぅが首を上げる音がした。

『ふーちゃん、おはよう』

 このくぅ、何が凄いといって、動作がまるで人間なところが一番凄いと思う。
 今の常識で考えれば、かなりのオーバーテクノロジーだろう。足を伸ばした状態で座っていたくぅは、朝の挨拶をすると、自力で立ち上がった。そうして、文也の膝によじ登る。

「おはよう、くぅ。紹介するよ」

 右膝によじ登ってきたくぅを両手で抱き上げ、文也はそれを優の方へ向けた。

「まぁくん、だよ」

『まぁくん。はじめまして。くぅだよ』

 数日前、初めて会ったときと同じ口調で、くぅが行儀良く挨拶する。
 なるほど、比べてみれば確かに、プログラムで動いているのがわかった。ということは、次の反応も同じなのだろう。

「おう。よろしくな」

『お返事もらった。くぅ、まぁくんのこと、覚えて良い?』

「いいよ。覚えて」

『覚えたっ!』

 なるほど、OKだとこうなるのか。
 NOの会話を1度聞いている優は、初めて会ったときより慣れているおかげもあって、内部処理に感心していた。
 パソコンに触れるようになって、ネット上に点在する大小さまざまなプログラムを拾ってきては遊んでいるうちに、俺もこんなの作れるかなぁ、などとぼんやり思っていた優だ。案外素質があるのかもしれないが。

「なぁ、文也……」

『ふみや、ってだぁれ?』

 そう、問いかけた途端、くぅの疑問が先をさえぎった。視線までくぅに奪われる。文也はさすがに創造者で予測がついていたらしく、冷静にくぅを見やった。

「ふみやはふーちゃんのことだよ。まぁくん専用の二人称」

『覚えて良い?』

「うん」

『覚えたっ!』

 なるほど、自己学習機能が働いたらしい。
 文脈や言い回しなどは勝手に覚えるが、人間の個人的な情報に関することを覚えるときは、必ず確認するようにできている。
 そこは、文也がこだわって作ったところで、学会内でも難しいといわれていた、良く出来た機能である。

 くぅを作り出した過程で、文也は実は特許権を3つも得ていた。
 現在収入源になっている、頭脳を外出しにする技術、各社商品化済みのどのシステムとも違う、二足歩行技術、そして、この自己学習システム。
 特許の管理は母校の特許部に任せてあるので文也自身は何もしていないが、勝手に同様の仕組みを使っている事例を発見したら、損害賠償を請求できる立場だ。

 今、何故収入源がそのうちの一つだけなのかといえば、技術が高度な上に、需要が少ないせいだった。
 何しろ、恩師に当たる、マサチューセッツ工科大学教授に、5年先を行くシステムだ、と絶賛された技術力なのである。

 呼びかけた理由をくぅに遮られたせいですっかり忘れてしまった優が、何を言おうとしたのか、腕を組んでうなっている。その隣で、文也は続けてくぅに話しかけた。

「くぅ。もう一つ覚えて」

『覚えるよ。なぁに?』

 文也とくぅが話しているのを聞きつけて、優が文也に後ろから抱きついた。

「何?」

「まさるのことだよ」

『まさる。それ、お名前?』

 文也が優に答えた言葉で、くぅがそこまで判断した。返す返すも凄い機能だ。

「まぁくんのこと。ふーちゃん専用の二人称」

『覚えたっ!』

 なるほど、先に覚えろと言っておけば、確認せずに記憶するらしい。なかなか賢い。

「案外賢く作ってあるでしょ?」

 えへん、と胸を張って文也がそう言うのに、優は茶化しもせずに素直に頷いた。しかも、心底感心しているらしく、深々と。

「すげぇ。脱帽。お前なぁ、こんな凄いのを目覚ましにしとくなんて、勿体ないぞ、マジで」

「そうだねぇ。実家にいたときは、さらに電源まで切ってあったけどね」

「うわ。それ、宝の持ち腐れ」

 いくら文也が作成者だからどう扱っても良いとはいえ、勿体なさ過ぎる。
 優は深くため息をついた。文也は反対に、実に楽しそうだ。優がいちいち誉めてくれるのが嬉しいのだろう。

 いつもなら、笑ってもしばらくすると微笑に変える文也がいつまでも笑っているのに、やがて気づいた優は、文也と向かい合わせに座ると、その顔を覗き込んだ。

「どうした?」

「ん。幸せだなぁ、と思って」

 その言葉があまりにしみじみと言われたのに、優は眉を寄せる。
 自分のことで幸せを感じてくれるのは、確かにうれしいのだが、それにしてもそんなに感動することではないだろう。
 つい昨日、文也の今までの人生を聞いてしまった優は、文也をこんな風にしてしまった佐藤家の人間に、強い憤りを感じていた。

「これからは、俺が、もういいってくらい、お前を幸せにしてやるから」

 ぎゅっと抱きしめる。年上の余裕なのか、嬉しいような困ったような不思議な笑みを浮かべる文也を、自分の腕につなぎ止めるために。



おわり





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