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 平塚の街は、少し路地に入れば子供や女性の一人歩きなんてとんでもないと言えるほど、危険な雰囲気が漂っている。

 とりわけ、ピンク系の店が多い界隈だから、周りを見回せば、すでに客引きを始めたワルっぽいお兄さんたちがそこここに見受けられる。

 道を入っていくと、ちょっとした公園に出た。

 昼間はご老人がゲートボールを楽しみ、夜は住所不定者の寝床になる公園は、夕方のこの時間は逆に閑散とする。

 俺は孝臣さんと寄り添って、隣に立つビルの壁に隠れるように公園に足を踏み入れた。

 一瞬、視線が消えた。

「手は?」

「一人で良い」

 するりと彼氏の手から抜け出して公園内へ駆け込んでいくのは、猫の動きの応用編。あの猫科の動物のしなやかさは、喧嘩するなら見習うべきだと俺は思うんだよね。

 振り返れば、孝臣さんは悠然と歩いて、近くのベンチに腰を下ろしていた。そして、その向こうには視線の主が見えた。

「あっ」

 それは、知っている人の顔だった。親父の懐刀と呼ばれた男。組を潰したときには東北の方に出張に行っていて、取り逃がしてたんだ。気にしてはいたんだけど、向こうから来るとはね。

「高岸さんじゃない」

「……若。まさか貴方が、オヤッさんを裏切るとは思いませんでしたよ」

 この人は、忠義に生きる人だった。

 年はたぶん孝臣さんよりもずっと年上。40代後半くらいだと思う。

 あのね、この人が俺の教育係だったんだよ。中坊の頃は。だから、今まで特にアクションも起こさないで放っておいたんだけど。

 俺にとっても恩人だからね。できれば、俺のえげつない事しか考えない手から逃がしておきたかった。

「どうして?」

「それは、こちらの台詞です。何故、裏切ったんです?」

 あの殺気は緩めもせず、高岸さんはそう言い募ってきた。

 傍で聞いていて、孝臣さんは俺の身の心配をやめたらしい。腕と足を組んでふんぞり返り、俺と高岸さんを交互に見やった。

「この男ですか。貴方をたぶらかしたのは」

 話は、孝臣さんにまで飛び火する。ま、この場合は仕方がないんだろう。孝臣さんは有名人だから、この状況はどう見ても、俺が孝臣さんに口説き落とされて唆されてやったことに、見えるよな。

 と、そんな疑いに、孝臣さんはふふんと笑った。

「確かに、美岐をたぶらかしたのは俺だがな」

「そこで肯定するの?」

 この状況で?

 そんな、勝利を断言する態度の孝臣さんに、俺は笑ってしまった。どう見たって、二人の態度の違いは、駄々をこねる子供と適当にいなす大人の図だ。

「何も知らないお前をたぶらかして口説き落として手練手管に掛けた悪者は、俺だろ?」

「……あぁ、なるほど。事実を客観的に見たら、確かに」

 そこに、孝臣さんと俺の心が介在すれば、ただ単に恋人たちの普通の馴れ初めなんだけどね。

 孝臣さんは、それはそれは楽しそうに口元だけで笑って、高岸さんをからかう。高岸さんも下っ端じゃないから、孝臣さんはきっとその正体を知っているはずで、それでも余裕でからかっているのは多分、勝算があるからだ。

 確かに、取っ組み合いの喧嘩になっても、勝つのは孝臣さんだろうけど。

「でもね、高岸さん。孝臣さんは俺を助けてくれただけで、何もしてないよ?」

 これは、事実。孝臣さんには、若松組の根回し以外、何もさせていない。なんて言っても、信じちゃくれないんだろう。

 案の定、返って来るのは否定の言葉。

「貴方が組を裏切るなど、信じられません」

「自分に害があると判断すれば即座に切り捨てる奴だけどなぁ、美岐は」

 おいでおいで、と俺を呼び寄せながら、孝臣さんはそんな風に自分の恋人を評価して見せる。

 っていうか、そんな相手に惚れるなんて危ない橋を、良く自分から選んだよなぁ、孝臣さんも。好き合っている間は良いけど、別れ話なんか持ち出したら修羅場必至じゃん。

「あんた、組長の懐刀って呼ばれてた奴だろ? なら、あの時美岐が置かれた立場を知ってるはずだな? 自分を娼婦に仕立て上げるような父親を承服できると思うほうがおかしい。こいつを敵に回したツケを払わされただけだろう? 恨むのはお門違いだ」

 うーん。恋人を庇って、というよりは、自分自身が思いっきり面白がっているように見える。

 呼ばれて近寄って行って、引き寄せられるままにその膝に座らされて、おれはもう、他人事のように分析してしまう。

「事実から言えば、竜水会を壊滅に追いやったのは、美岐一人だ。俺個人でも若松組としても、まったく手を貸した覚えはない。というより、あんたが美岐という人間を理解しているならわかるはずだが、こいつが本気で作戦を成功させようと思ったら、人の手なんか借りねぇよ。必要なら勝手に利用するだけさ。そうせざるを得ない状況を作ってな」

 うわ。良くわかっていらっしゃる。そこまでわかっていて自分の懐に受け入れちゃうなんて、ちょっと尊敬。

 なんて、尊敬の眼差しで孝臣さんを見たら、その視線に気付いたのか、孝臣さんはくすぐったそうに肩をすくめた。

「そこまでわかっていて、それでも美岐が許せないなら、お礼参りでも何でもすると良い。だが、こいつは若松組で預かっている大事な客人だ。その時は、若松組を相手にする覚悟をつけるんだな」

 俺を守る意味で言えば、初めて、孝臣さんは組の名前を盾にした。それだけの相手なんだ、高岸さんは。

 今までは逆恨みのチンピラどもが相手で、ほとんど全てを俺と孝臣さんで蹴散らしてきたんだけど。この人はね、格が違う。一言声をかけるだけで、兵隊を動かせる人間だから。

 だから、守るなら全力が必要だって、孝臣さんは判断したわけだ。それに、俺も賛成。

 若松組の名前まで出されては、引き下がらざるを得ないのだろう。高岸さんはがっくりと肩を落とした。





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