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side:月


 本当は、断るべきだったんだと思う。

 だって、僕は、園江が僕を好きだって知っている。人伝に聞いたとはいえ、それも恋敵を自称する人からなら、多分本当だと思う。

 だったら、その思いに答えることの出来ない僕は、断るべきだったんだ。

 気を持たせるようなことをしてはいけない。まして、これから向かう先が、どうしても気の進まないところだから。

 下手をすると、すがってしまいそう。園江が頼りになる男なのは知っているから。

 巻き込んではいけないのにね。すがってしまう自分が想像できてしまう。

 でも、断れなかった。園江が強引だったのもあるけれど。今日、楽しかったから。がっかりさせたくなかった。

 ようは、自分がはっきりすれば良いことなんだ。そう、自分に言い聞かせた。

 僕は、のんびり歩く園江について、長谷寺に上っていた。約束の時間までは二時間もあるから、寄り道しても大丈夫だった。

 長谷寺は、さっきまで社会見学の高校生が群がっていたとは思えないほど、静まっていた。

 高台に建っていて、境内の展望台からは海が見える。

 途中で、井上とすれ違った。井上は、なにやら意味深に僕に目配せをしてきた。

 なんだったんだろう? 僕にはよくわからなかった。

 察しが悪いのって、良くないよね。

 でも、井上は僕がそれを理解したかどうかも確認しないで、向こうへ行ってしまった。どうやら何か目的があったらしい。お寺好きの井上だから、想像するのは難しい。

 このお寺には、二つの池があって、そこは本当に人がまばらだった。

 僕はただ、園江についていっていただけだから、こんな場所に出たのに少しびっくりした。池を覆う木々が、雨を浴びて受けた水滴を載せたまま、差し込んできた太陽の光を返していた。

「キレイ……」

「小石も、キレイだ」

 ……え?

 言われた言葉に、頭の中が真っ白になってしまった。

 問い返す隙もなく、隣で園江が照れくさそうに笑っている。

「いやぁ、我ながらくさいセリフ。歯が浮きそ」

 それって、それって、そういう意味に取るべきなんだろうか。

 だって、僕って女の子じゃないし、お世辞にも美人ではないし。

 そりゃあ、彼に好かれていることは知っているけれど。

「なぁ、小石」

 混乱する僕に、園江はゆっくりした口調で話しかけてきた。それから、僕の正面に立って、顔を覗き込んでくる。

「小石は、俺のこと、どう思う?」

「……どう? それって、好き、とか、そういうこと?」

 そこは、もう井上に聞いているから、混乱しているところではなくて。ただ、なんて返したらいいのかわからなかっただけで。

 そうやって返した僕に、園江はびっくりしたように目を丸くした。

「知ってた?」

「……今日、井上がそう言ってた。井上も、加賀見も、園江も、恋敵なんだって」

「……あのバカ、抜け駆けしやがって」

 答えた僕の言葉に、園江は舌打ちをした。それから、苛立たしげに唸った。

 けれど、そんな反応はすぐに治めて、また僕を見つめてくる。さっきより、何故か真剣な表情。第一関門突破なんだから、もう少し楽そうな表情でもいいと思うんだけど。

「聞いて、どう思った?」

「……光栄だと思うけど。でも、応えられないよ。ごめん」

 どうして、と聞かれたら、友達だから、と答えるだろう。それくらいには、準備が出来ていた。聞いていたから、心の準備が出来て、良かったと思う。

 突然だったら、僕は何を返したのか。非常に不安。

 今、自分の精神状態が普通じゃないことは自覚しているから。憧れていた人に好きだと言ってもらえて舞い上がっているし、今日一日楽しくて浮かれているし、これから迎える予定の苦痛の時間に尻込みしているし。

 けれど、園江はその理由を聞いては来なかった。代わりに、今まで見たこともない真剣な顔で、僕と目を合わせた。

「それは、兄貴のせい?」

 この時の僕の驚きを、どうやって表現すべきなんだろう。

 頭の中が、突然嵐に襲われたようにグチャグチャになってしまって、僕には手が付けられなくなってしまって。

 ただ、うずくまるしか出来なかった。

 いろいろな恐怖が、僕の心を襲っていた。

 この人に知られていること、この人に知らせた人に知られていること。どこをどうやって知ったのかわからないから。

 軽蔑されてしまう。

 イヤ。暴かないで。知らないで。僕のことなんて放っておいてくれれば良かったのに。軽蔑されるのはイヤ。平穏に生きたいだけなのに。兄に、父に、あんな……っ!

「小石」

 イヤ。聞かないで。暴かないで。軽蔑しないで。放っておいて。嫌われたくない。嫌われたくない。嫌われたくない。嫌われたくない。

「小石。好きだ」

 嫌わないで。お願い、嫌わないで。お願い。お願い。お願い。おね……。

 ……え?

「……い、今、なんて?」

「俺は、小石が好き」

 ふわん、と、僕の頭の上が手のひらの形に暖かくなる。人の体温が、伝わってくる。

「ごめん。傷に触っちゃったな。俺、言い方、わかんなくて。ごめんな?」

 ガキだなぁ、俺。なんて、呟いて、僕の頭に置いた手で、グリグリと撫でてくれて。まるで、小学生の子供にでもするように。

「あのな? 頼むから、怒らないで聞いて。さっき、遠野と井上探しに行ってもらった時、俺、芝田っちに呼び止められてたろ?」

 うん。それは知ってる。何の話だったんだか、何だか不思議な取り合わせだったけど。

「その時に、聞いたんだよ。芝田っちって、加賀見にベタ惚れしてるから、加賀見が気にしてる友達のことを、職権乱用して調べてくれててね。何か、いろいろ聞き回ってくれたみたいだよ。中学校とか、精神科とか、家裁とか。で、芝田っちが出した結論はね、守れるだけの度胸がないなら告るな、って。小石を助けてやれないのが悔しいって、芝田っちも言ってた」

 じゃ、どうしてこんな風に僕にその気持ちを言ったの? 芝田先生まで止めたのに。

「ところが。俺、多分、小石のこと助けてやれると思うよ」

「……多分?」

「うん、ごめん。多分。断言は出来ない。でも、ほぼ九割方は確実。うちの両親、公務員でさ。児童相談所の」

 ?

 それが、どういう風に、僕を助けてくれることに繋がるの?

 って、僕は余程不思議そうな顔をしたんだろう。こんな時なのに、園江はぷっと吹き出した。

「や、ごめ。そんな不思議そうな顔するかな。もう、可愛いんだから」

 そんな風に言って、僕は彼にぎゅっと抱きしめられていた。水泳で鍛えられた頼もしい胸板に、僕の顔が押し付けられる。

 人の体温に、なんか、ほっとしてしまう。問題も疑問も、何一つ解決していないのに。

「つまり、小石が困ってることって、父親か兄貴かの性的虐待だろ? まだ高校生で、親の保護観察下にいる小石には、その近親者からの虐待を法的に訴える権利があるんだよ。そして、警察にはその犯罪行為から子供を守る義務があるのさ。今は、強制的に立ち入り検査する権限も与えられてる。本人が訴えても良いんだけどね、児童相談所を通した方が処理は早いよ」

 そんな難しい裏事情を、園江は立て板に水って感じで僕に説明した。両親が児童相談所の職員だという言葉は伊達ではないらしい。

 それはでも、思ってもいない方法だった。

 最近、社会問題のように取り沙汰されている、子供の虐待に対する対抗策として、僕もそんな方法があることは知っていたけれど。僕がそれを利用できるなんて、思っていなかった。

 だって、もう高校生だし。義務教育を終えていて、一人立ちしていてもおかしくない年だから。





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