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「それで? 園江が浮気したのか?」
先ほどの、小石が弓弦に訴える言葉の中に聞き捨てならないものを聞いたことを、思い出した。弓弦ほどではないが、小石が親兄弟から虐待を受けていた一件には首をつっこんだこともある手前、俺も小石のことは気にかけている。園江は放っておいてもたくましく生きるだろうが、小石は少年時代の記憶とトラウマを抱えていることもあって、やはり脆いのだ。可愛い教え子として、放ってはおけない。
その俺の発言に、後からやってきた井上と遠野も、非難するような目を園江に向けた。小石が持つほっとけない雰囲気は、疎遠になった井上と遠野にも、守ってやりたいと思わせるようだ。
園江は、とんでもない、と手を振って否定した。
「スクールの幼児クラスのお母さんにさっきばったり会ったんだよ。それだけだ」
「へぇ。ちなみに誰?」
「旧姓なんか忘れたぞ。同じクラスになったこともないしな」
なるほど、と思う。地元の子供相手をしていれば、よくある話だろう。なんだ、つまらん、というのが、弓弦、井上、遠野の揃った意見だった。
が、小石は違ったらしい。
「……あの人のことじゃないもん」
「じゃあ誰だよ。他に睦月に怪しまれるような心当たりはないぞ」
「小坂さんは? すぐ隣にいたじゃない。色目使ってたの、僕が見逃すとでも思ったの?」
「こ、こさ……っ! あ、あれは、だから……」
途端に大慌ての様子になった園江に、俺はようやく驚いた。小石にベタ惚れしているのは知っていたから、まさか本気でこんなに慌てるような相手がいたとは思っていなかった。ただからかって見ただけだったのに。
俺が本気で驚いたのに気づいたのは弓弦だけだったらしく、井上と遠野は揃って園江を問い詰める体勢になっていた。しどろもどろの園江は、あの調子では明らかに黒なのだろう。
弓弦だけは、不思議そうに彼らを眺め、俺を見上げていた。
「園江が浮気するなんて、思えないんだけどなぁ」
「それは、俺も同じだ。何か理由はあるんだろうが、あの調子じゃ言い訳する気もなさそうだな」
「ちゃんと話してあげたほうが、むっちゃんも変な気を揉まなくて済んで良いのに」
「それは園江に言ってやったらどうだ?」
「やだよ、見てる分には面白いし。他人の不幸は蜜の味って言うじゃない。本格的に別れ話にもつれ込むなら首突っ込んであげるけどさ」
自分の恋人ながら、イイ性格だ、と感心しつつ、俺は肩をすくめた。
「どうでも良いけどよ、飲み物くらい取りにいかねぇか?」
同じ男として、ちょっとは可哀想になったので、助け舟を出してやることにした。一応これでもこいつらよりは年長者だ。一緒になって園江をいじめるのも大人気ないしな。
助かった、というように、恋人と親友の責める視線から逃げ出してきた園江は、持っていた似合わない巾着袋からコップを二つ取り出して、小石を振り返った。
片方は蓋付きの、どちらもマグカップで。エコブームでは珍しくもなくなった、マイコップだが、これは多分、水恐怖症の小石のために持ち歩いているものなのだろう。こんな細やかな気配りが、園江の本気を思わせる。
「何飲む? もらってくるよ」
「……ビール」
「りょーかい」
言いだしっぺの俺を無理やり連れ立って、園江は逃げるようにそこを離れ。俺は弓弦に後を任せて、園江を追った。
彼らから離れて、ようやく園江がほっと息を吐き出すので、俺はやはり好奇心には勝てず、ここぞとばかりに彼を問い詰めることにした。
小石の件で俺が一肌脱いでやったのに味をしめたのか、園江は本気で困ると俺を頼ってくる。そこに漬け込んだわけだが、俺の思惑を知ってか知らずか、園江は俺には隠そうともせずに、反対に相談する姿勢で俺に事の次第を話した。
それは、確かに小石には告げるのに躊躇する内容だった。
「……小坂はさ、どっちかというと、俺にとっては恋敵なんだよ」
「なんだ、あの小娘。狙いは小石の方か」
「去年のクラス会で再会してから、付きまとわれてる。俺としても、あのおしゃべりに睦月との関係を悟られるわけにはいかないから、のらりくらりかわすしかできないんだよ」
ああして吹っ切れたのも三年程前からのことだ。どうやって今の小石を知ったのかは知らないが、昔のままの穏やかな気性と親切心をそのままに、あれだけ明るく振舞えるようになれば、それは惹かれる人間も増えることだろう。
どうしたものか、と考え込んでため息をつく園江に、アドバイスしてやることもできず、俺はただ、彼が高校生だったころにしたのと同じく、その頭をぐりぐりと撫でてやった。セットされた髪がぐしゃぐしゃになって慌てる園江に、苦笑を向ける。
「一人で考え込むなよ。お前はもう、小石の保護者じゃないだろう? 一緒に悩め。その方が気が楽になる」
「……自信がないんだよ。睦月は、俺が無理やりこっちに転ばせたようなもんだからさ。可愛い女の子に掻っ攫われても、俺には自業自得だ」
「あれだけ想われてて?」
「そう、なのかな……?」
その自身のなさそうな姿は、学生時代にも見たことがなかった。小石が自分の境遇を吹っ切って人目を引くようになってから、焦りが出てきたのだろう。子供だったころのおどおどした態度は、それだけで他人を跳ね除けていたから、それだけ安心できていたのかもしれない。そして、突如現れた恋敵ときた。
「お前さんにとっちゃ、遅くやってきた試練、ってところか」
「簡単に片付けるよなぁ、先生は」
すでに俺にぐちゃぐちゃにされた髪を掻き毟ってため息をつく園江に、俺はそれ以上言ってやれることもなく。人ごみを掻き分けてたどり着いたバーカウンターで、それぞれに自分と恋人の飲み物を注文した。
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