月と太陽 1



side:月


 それは確か、中学三年生の夏休みのことだったと思う。

 僕は、夏休みだというのに委員会業務のために登校していたんだ。

 図書委員でね、その日は火曜日で、開館日だった。当番って奴だよ。面倒臭いけど、仕方がない。

 三時には閉館になるから、二人だけいたお客さんを追い払って、担当の先生と戸締りの確認をして、さようならと挨拶までして、校舎を出たんだ。

 まだ盆前の暑い盛りだよ。それも、昼間の三時。日中の暑さはピークに達していて、丁度記録的猛暑だと言われた年だったその記録を、当然更新していた。

 中学は、正門のほかに通用門が二つある。僕は中学校から見て北側に家があって、北の通用門が近いから、プールの横をいつも通り過ぎるんだ。

 その日ももちろん、そのコースだった。

 僕も油断してたから、どちらが悪いというわけでもなかったんだろう。

 水泳部が、大会前の猛練習中で、プールでは監督の怒鳴り声と体育会系のはっきりした返答が立て続けに聞こえてきていた。

 見上げれば、プールサイドに水着姿の生徒が五人並んでいて、僕に背を向けていて、その向こうに通いの監督さんがいたらしい。

 見上げたんだから、とっさに逃げることも出来たんだ。

 でも、突然のことでね。暑くてぼぉっとしていたせいもあって。

 そちらから、水が降ってきたんだ。

 覚えているのは、水が来る、と意識した瞬間までだった。

 後で聞いた話によると、監督さんが、叱り飛ばしたついでにバケツにくみ上げた水を生徒たちにぶちまけたらしい。その向こうに僕がいるとは気付かずに。

 目が覚めたのは、学校の医務室で。ベッドの隣には水着にバスタオルをかけただけの格好の、男子生徒がいた。

 丸椅子に神妙な面持ちで座っていて、僕が目を覚ますのをじっと見守っていたらしい。僕が目を開けてそちらを見た途端に、にっこりと笑って寄越した。

 その笑顔は、今でもはっきり覚えている。あからさまに、ほっとした表情だったけれど、それでもとてもさわやかな笑顔だったんだ。

 僕には、困ったトラウマがある。

 水が怖い。

 これはもう、何が何でも水は全て怖い。

 トラウマを抱えた直後は、飲み水すら受け付けなくて、脱水症状を起こしかけたくらい、怖い。

 今でも、実は、水で顔を洗うことが出来ないし、お風呂にも浸かれなくて、シャワーがやっと。雨に当たることも苦手だから、天気予報が快晴でも折りたたみ傘は持ち歩く。

 そんな僕だったから、プールから浴びせられた水は、たかがバケツ一杯程度だったにもかかわらず、ショックで気を失うには十分だった。

 そんなトラウマがどうこうという話は、連絡を受けて迎えに来た母によって明かされたらしく、僕は特に何も問いかけられずに解放された。

 僕を見守ってくれていた同級生は、あの時監督に叱り飛ばされていたうちの一人で、水泳部の部長だったらしい。学内では、女子に大人気だったらしいが、水泳自体に嫌悪感すら抱いていた僕が知っているはずもなかった。

 直接の加害者になってしまった監督は、僕の事情はどうであれ、プールの外にまで水を撒く行為は外にまで影響が出ることを想像すべきであった、として、一週間の謹慎処分になった。

 あれが、別に嫌な思い出ではなく、ただ事件として心に刻まれたのは、きっと僕を見守ってくれていた彼の笑顔のお陰だったのだろう。

 本当に、さわやかだったんだ。まるで、太陽のように。




 彼の名は、園江陽(そのえあきら)という。

 僕は、クラスも違ったし興味もなかったから知らなかったのだが、僕と同じ三年生で、生徒会長を務めている人だった。

 僕には、名前を聞いて、あぁ、そういえば、と思った程度の認知度でしかなかった。けど、僕に彼の名を教えてくれた同級生は、僕が彼を知らないことにびっくりしていた。

 どうやら、学内でも有名人に当たっていたらしい。

 その後、僕たちは高校に進学し、何の偶然か、同じ高校の同じクラスに所属した。

 彼は、僕を覚えていた。入学式の当日に、窓際でぼんやりしていた僕に、話しかけてきたからね。

 覚えてくれていたことに、僕は驚いたんだけど。

 僕とは夏休みのあの一件以来、言葉をかわしてもいなかったし、彼は人気者でいつでも誰かに囲まれていたから、忘れているだろうと思っていたんだ。

 彼は、当然のように水泳部に所属した。

 僕は部活動には興味がないから、部活動には所属するつもりがなかったのだけれど、どれか一つに参加しなさい、とのトップダウンの命令で、仕方なく天文部に入った。といっても、当然幽霊部員だ。

 そして、現在。

 季節は秋になっていた。ちなみに、高校二年生。

 園江とは、二年連続のクラスメイトだ。

 僕自身は人と付き合うのがうまくなくて、大抵は一人あぶれているのだけれど、園江がいるグループが四人組で、この高校では集団行動というと五人組を組まされることが多いから、僕はいつも彼に呼んでもらっていた。

 そんな、つかず離れずの付き合いをしていたんだ。




 秋といえば、社会見学がある。

 春はバス旅行でハイキングだった。今回は、電車移動で鎌倉散策だそうだ。

 僕たちの高校は、神奈川県の西の端にある。そこから、電車三本乗り継いで移動するわけだけれど、一体誰が企画したのか、その移動時間は丁度通勤ラッシュに重なるんだ。

 僕たちは良いとして、毎日満員電車で移動していらっしゃる社会人の皆様に迷惑だろうに。時間をずらすとか、近くまでバスで移動するとか、他にも考えようがあるだろう、と僕は力いっぱい思う。

 まぁ、とにかく。

 社会見学は、これもやっぱり五人組でグループ行動をするように指示されていた。

 僕はいつもと同じように園江がいるグループに招待された。園江は同じ中学出身というよしみで面倒を見てくれるのだろうけれど、他のメンバーのみんなも快く受け入れてくれるのはありがたいと思う。

 いつもごめんね、と言えば、何を謝ってるんだと笑い飛ばしてくれる人たちだった。

 この学年には、多分、強力な雨男がいる。

 一年生の二回の社会見学も、今年の春のときも、雨だった。

 ホント、迷惑だと思う。休みたくて、憂鬱になってしまう。今回はしかも、電車移動と来た。ということは、現地での移動は徒歩だということで。

 雨に濡れるのは勘弁してほしいのだけれど。

 その当日。案の定、雨が降った悪天候の中、僕は現地集合に指示された鎌倉駅前にいた。

 電車の中でも、あちこちにいかにも高校生の一団があって、周りのオジサマ方に迷惑そうな目で見られていた。ホント、学校関係者としてこういうことはちゃんと反省点に盛り込んで次回に生かしてほしいと思う。

 で、僕はここまで、知り合いに出会うこともなく、一人で来ていた。

 すでに教諭陣は指定の場所に集まっていて、やってきた順に点呼をとっていた。一学年全てを整列させて合同朝礼など、やっていられる場所ではない。

 担任の教諭は、僕が来ていることに気付いていなかったらしい。横で声をかけたらびっくりされた。

「何だ、小石。驚かすなよ」

「おはようございます」

「おう、おはよう。お前、園江のチームだったな? 全員来てるぞ。出発してくれ」

「はい」

 決して遅い電車で来たわけではないのだが、園江たちはすでに来ているらしい。待たせてしまって申し訳ないと思う。

 きょろきょろと周りを見回せば、少し離れて鳩サブレ屋の前に、四人は集まっていた。そちらに向かっていくと、いくらも行かないうちに向こうからも見つけてくれて、こちらに手を振った。

「おはよ、小石」

「また雨だぜ。絶対誰か雨男がいるんだ」

「雨女かもよ」

「小石って、雨、苦手だろ? 大丈夫?」

 四人が口々に話しかけてくるのに、僕はにこりと微笑んで見せて、頷く。それから、先生からの伝言を伝えた。

「全員いるから出発しろって」

「そっか。じゃあ、行こうぜ」

 類は友を呼ぶ、って言葉があるけど、僕はしみじみ納得する。園江のグループは、四人揃ってリーダー気質なんだ。だから、誰からともなく仕切っていて、全員が同じように従っていく。僕はついて行くだけで良いから、とても居心地が良かった。

 とにかく、僕たちはまず最初の目的地に向けて出発した。





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