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 この日の宿は、少し値のはる駅前の観光ホテルだ。夜はホテルの日本料理店で懐石料理、朝は茶粥の定食になっている。このホテルが地下深くから掘り出した温泉で、温泉入ってゆっくりしたい、という身近に箱根という温泉場を抱えるからこそと言える全員一致の我が儘から見つけた宿だ。

 部屋は三つ。一晩くらい構わないよ、と先に申し出てくれた園江に甘えて、井上は園江と小石の部屋にエキストラベッドを入れての三人部屋になった。

 本来なら大人と幹事がいるうちの部屋が妥当なんだろうが、ユウの事情から同室は無理だからな。

 部屋割りを決めた時は、アダルト担当のお二人さんを邪魔する気はないよ、と井上と園江に揃ってからかわれ小石に苦笑され、彼女と同室では他人を入れられない暗黙の事情から遠野は他人事のように笑っていた。

 懐石料理は薄味だが深い味わいの純日本料理が並んだ。牛乳鍋は含まれず、昼に食べておいて良かったと感想を持つ。

 それなりの値段を請求するホテルだからこそ、熱いものは熱々で、冷たいものはひんやりと提供される料理はどれも美味しく、贅沢の一言だ。

「地酒が呑めないのが残念だね」

 まだ弓弦の時間らしく、俺の横で俺を放って友人たちと楽しそうに会話していた弓弦が、突然実に残念そうにそう言った。奈良の地酒が思いの外お気に召したらしい。

「未成年のうちは外で呑むなよ」

「家でもだめなんだぞ、本当は」

 実際大人の俺より常識と法律にはうるさい遠野が至極尤もなことを言う。とはいえ、昨日も一昨日も自分が呑んでいたものだからあまり覇気はない。

「酒の味を覚えたら後戻りはできないよ」

「それは加賀見だけじゃないか?」

「アル中にはなるなよ」

 少し呆れたらしい園江にまで注意を受けて、むぅと弓弦が剥れた。

「好きではあるけどさ、普段はそんなに飲まないのに」

「呑むようになって三ヶ月にしちゃよく呑むだろ」

「控えろ?」

「良いんじゃねぇか? 晩酌くらいの量だしな」

「芝田っちも少し甘やかし過ぎ」

「それこそ、良いじゃねぇか。可愛い恋人甘やかして何が悪い」

 弓弦は今まで必要のない苦労を押し付けられすぎなんだ。これからだって二重人格であるがために苦労させられることは不可避だろう。だったら、恋人である俺くらいは甘やかしてやってもバチは当たらないだろうよ。

「でも、あんまり酔わないみたいだけど、お酒楽しい?」

 おっとりして真面目な良い子の小石だが、あまりお喋りに参加しないわりにちゃんと人の話は聞いていて、ボソッと的確な疑問を投げ掛けてくる。普段が無口なくらいだからこそ、強烈だ。

「酔っ払うことが楽しいっていう意味では当てはまらないかな。でも、美味しいから好き。お茶もコーヒーも甘いものも好きだけど、お酒ほどの量は飲めないからね。お腹タプタプになっちゃう」

「それじゃ量が飲めるから好きってことになっちまうだろうが」

 そっか、と今気が付いたようにとぼけた返事をするのに、結局全員が呆れたようなため息をついた。

 一方で、全く気付いていなかった俺は少し焦っていたが。

「ユウ、お前いつの間に入れ替わってたんだ」

「ん〜? 『可愛い恋人甘やかして何が悪い』?」

「そこか」

 だったらまだ替わったばかりだな。

「もう少し頑張れるか?」

「部屋に戻るまでくらい大丈夫」

 もう食事はあらかた済んでいてデザートのフォークを握っていたからの判断だろう。無理でも彼らの前では耐えきってみせるのだろうが。

「え? ユウ君? さっきまで加賀見君だったのに」

「入れ替えが自然過ぎるだろ。全く気付かなかったぞ」

「てか、芝田っちはどこで気付いたわけ?」

 俺の反応に驚いて小石、園江、遠野が口々にそんなことを言う。他の二人も驚いたのは同じようで目を丸くしていた。

「弓弦はあまり量飲めないんだよ。強いのは身体が同じだから当然同じだが、昼間っから酒飲まないだろ。杯を重ねる前にユウに入れ替わっちまう」

「そんな一言でわかるのか」

「愛の力だわねぇ」

「うるさい。毎日一緒にいればその程度は当たり前だろ」

 100%からかわれているのがわかるから、教え子だという建前は放り出して憮然と答えてやる。中井嬢もただ嬉しそうにクスクスと笑うわけだ。

「で、明日の予定は?」

「橿原神宮見物して三輪素麺食って帰る、だな。最後の夜だ。楽しめよ」

 では解散、とお開きを宣言したのは弓弦と組んでもう一人の幹事を務めた園江だった。




 ホテルの部屋は三室横並びで、俺たちの隣の部屋では他の五人が集まってずいぶん遅くまで語りあっていたようだった。

 ユウに入れ替わっていた弓弦は已む無く不参加だったが、夜遅くに温泉でばったり出会ってユウはそのまま彼らに合流し、雑魚寝に加わったらしい。

 朝になって隣の部屋から話し声が聞こえてきたので迎えに行ったら、弓弦は寝起きの働かない頭でプチパニックに陥ったようで、ベッドに起き上がったままで呆然としていた。

「おはよう。朝風呂行くぞ、弓弦」

「へ? あ、うーん? うん、行く」

 よいしょ、と年寄りくさい掛け声をかけて、同じベッドに転がってまだ寝ていた井上を支えにするために手を突いて起き上がる。温泉を出てそのまま押し掛けて来たせいで寝乱れた浴衣姿が妙に色っぽい。寝乱れてもはだけていないから、安心して見とれていられる。

 押し潰されてうめき声をあげながらそれでも目を覚まさない井上は呆れた寝坊助だ。

「何で俺ここで寝てたの?」

「猥談に引っ張りこまれたのよ、ユウ君が」

 答えたのはちゃっかり彼氏を放置して自分の部屋で寝たらしく後ろからやって来た中井嬢だった。

 小石が恥ずかしそうに頬を染めているから本当らしいと知れる。

 結局、眠ったままの井上に留守番を命じる置き手紙をして六人で朝風呂と相成った。一本しかない鍵は持って出ることにしたようだ。

 朝風呂から戻った時間にようやく起きた井上を含む全員で朝食をゆっくり食べて、9時にはチェックアウトした。




 最終日の予定は大した見所と目されていない史蹟を巡りながらの帰路になる。

 まずは近場の橿原神宮。

「さて、ここから山が三つ見えるだろう? どれも有名どころだ。あれは耳成山、あっちが畝傍山。で、あれが香久山」

「衣干すてふ?」

 スッと百人一首の一首を拾って聞き返すのは中井嬢だった。古文が得意なのだろうな。そう、と俺も頷いて返す。

「万葉仮名全盛期の有名な一首だな。万葉集は俺が好きな歌集だ。詠み人知らずっていう歌の割合が多いし、どれも素朴だ。平安の頃は貴族のたしなみであった反面庶民が排除されている。この時代は間口がずいぶん広いからな」

「それでも、それなりの身分でないと歌を詠むほどの教養は身に付かないでしょ?」

「そりゃそうだがな」

 それでも、平安時代の歌集は新春の歌会初めくらいの格式と考えれば、万葉集はサラリーマン川柳に近いと俺は勝手に思っている。

 何しろ防人の歌とかあるくらいだからな。

「先生も和歌とか詠むの?」

「まさか。俺に創作のセンスはねぇよ。読者専門だ」

 都の跡というより神社の風格を持って久しいこの場所にかつての面影はほとんどない。それでも、地形は1500年の時を経ても変わらないのだ。数多くの歌に詠まれた奈良の土地は、だからこそ往時の面影を歌から偲ぶことができる。

 結局俺は日本古代史に見いられた人間だとしみじみ実感だ。

 橿原神宮を出て11時を少し過ぎたところ。昼食には少し早いが、茶粥の朝食は食べ盛りには消化も早く腹持ちしないのだろう。腹が減った、と全員一致で昼食場所へ向かうことになった。

 昼食は素麺で有名な三輪で、店もガイドブックであたりをつけてある。

 着けば開店直後で本日の客第一号だった。

 さすが本場だと実感して、乾麺を土産に購入して帰路につく。途中の道筋にあった大神神社と石上神宮に立ち寄り、卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳を始めとするいくつかの古墳を車窓から眺めて、のんびりした道行になった。




 帰り道も、弓弦と園江が交代で運転してくれた。往路と違い昼間の高速は車の量も多い。おかげで二人ともすぐに疲れてしまい、交代回数が増えた。伊勢湾岸道路上のSAまでを弓弦が運転して園江に交代、そこからは浜名湖SA、日本平PA、足柄SAと二人が交代で運転してくれて俺にハンドルが戻ってくる。

「この先は急坂急カーブで危ないからな。これを100キロオーバーで抜けられればドライバーとしては十分な腕だと思うぞ」

「そんなに危ない?」

「ずっと下りだからスピードが簡単に上がるんだよ。で、高速で曲がるにはキツい半径のカーブなんだ。一度自分で走って見りゃわかる。今日は最大過重載せてるからまた今度な」

 これが夜中の空いた時間なら、試しにと勧めてみても良いのだが、夕方から宵の口にかけての最も車の多い時間ではさすがに難しい。しかもこれが平日であるからこそ、走り慣れたトラックが三車線独占状態に挟まれていて俺でも怖いんだ。初心者にはキツいだろう。

「このまま家まで送って良いのか?」

 このカーブを抜ければ、すぐに松田のICに出る。一番近い園江の自宅まで10分もかからない。

 時刻は21時になろうかというところ。

 足柄SAで夕飯はしっかり食べたし、土産でも物色してこいと全員追い出して車の中でユウと軽くイチャイチャしておいたから、このまま解散でもどこかで少し休憩してでもかまわないが。

「芝田っちは明日からまた仕事だろ?」

「家までお願いしま〜す」

 何か余計な気を遣わせた気もしないでもないが。

 そんなこんなで後ろの席はあれこれ盛り上がっているうちに高速を降り、集合時とはまた違った順路で各家を巡り。

 それぞれに別れの挨拶は「じゃあ、また」という軽さだった。長い付き合いを望んでいる証拠だろう。

 道路事情から選んだ道順で最後に車を降りた小石は、お土産がほとんどない軽い荷物を肩にかけて俺たち二人に微笑みかけた。

「加賀見君、芝田先生。長い間お世話になりました。僕が今幸せでいられるのはお二人のおかげだと思ってます。本当にありがとう」

 さっぱりした笑顔はそれが本心だと表している。俺はユウと顔を見合せてしまった。

 先に反応したのはユウで。

「やだなぁ、そんなに改まって感謝されても困っちゃうよ。まだまだ人生先は長いんだし、これからも弓弦と仲良くしてやってね」

「うん。ユウ君も、ね」

 頷いてにっこり笑って、またねと手を振って車を降りる。返された言葉はユウには衝撃だったのか、ユウは小石の行動を目で追いつつも呆然とした様子。小石はやっぱり侮れない子だ。

 小石に母親と暮らす団地の入り口で手を振って見送られて、車はようやく俺の自宅へと進路を取る。

「俺の部屋で良いか?」

「……うん」

 少し寂しそうなユウの声。チラリと助手席に視線をやれば、ほんのり微笑んで俯いているユウの姿があった。

「弓弦の友達はみんな優しいね。俺を弓弦とちゃんと区別してくれて、嬉しかった」

「もうお前の友人でもあるだろう? まだまだ人生はこの先長いんだ。仲良くな」

「俺も、良いのかな?」

「遠慮する必要ねぇだろ。あいつらはとっくにそのつもりだ。消えないで俺のそばにいてくれるんだろう?」

「……うん、そうだね」

 頷いてはにかんでもじもじして嬉しそうに笑って。見ているだけで幸せな気分になる彼の可愛らしい反応に、俺も幸せになる。我ながら、お手軽。

「さて、家に着くまでが遠足だ。やり残したことはないか?」

「大丈夫。早くお家に帰ろう。後ろで美味しい日本酒がチャプチャプいってお待ちかねだよ」

「まったく、飲んべえめ」

 えへへと照れて笑うユウを小突いて、アクセルを少し強めに踏み込んだ。

 楽しい卒業旅行の終了まで、あと5分。



おしまい





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