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 翌日。

 唐から視力を失うほどの苦労をして渡ってきた鑑真という僧が興した唐招提寺と近くにある医療の守り仏が奉られた薬師寺を巡る道中、背後に珍しく並んだ弓弦と園江の会話を聞いた。

「俺と睦月のこと、いろいろ気遣ってもらったからな。ささやかだけど、恩返しだよ」

 あの、現状維持で良い、と言った発言の真意らしいが。

「睦月の水恐怖症にさ、加賀見が言ってただろ。治らないならうまく付き合う方法を探せってさ。おかげで、焦って治す方法探すことないかって気になったし、治らなくても付き合えるなら無理に治すこともねぇって割り切れるようになった。それで俺に余裕ができたおかげで睦月も少し余裕ができたみたいでな、ピリピリした雰囲気がずいぶん緩和されたんだ。だから、恩返し」

 回り回って、園江と小石の関係補強に弓弦が関わっていたらしい。しかし、その程度のことに恩返しとは、園江も律儀な奴だ。

「自分が治らない病気抱えてたからそう言っただけなのに?」

「病気と付き合う、なんて考え方自体が俺みたいな健康体には新機軸だぜ。それだけ長丁場なんだって再認識したからな」

 置かれた立場や背景で、人の考え方はいくらでも変わる。俺も、ユウに出会ってずいぶんと考え方が変わったと自覚している。生徒への接し方も、教育方針も。生徒の態度の裏を読むようになった、と言うべきか。特別扱いは弓弦だけどな。

「今朝ね。一之に、ユウと俺とどっちも選べないから両方消えるな、って言われた。目が覚めていきなりだよ。朝からビックリだよ、もう」

「でも、嬉しかったんだろ? 今日の加賀見は朝から上機嫌だ」

「あらやだ。わかる?」

 あらやだってお前な、と園江は呆れ、弓弦はいきなり後ろから俺に突進して抱き付いた。

 他人事のように周りを歩いていた仲間たちの中から井上がからかうような言葉をかける。

「じゃあ、お薬師さんに加賀見の病気平愈はお願いしなくて良いな」

「健康祈願はいるっ!」

 即答されたそれは、八割方肯定しているようなものだった。




 午前中も早い時間に寺巡りに出かけたおかげで、宿の鍵を返して西ノ京を出たのはまだ午前11時頃だった。

 飛鳥まで車で一気に南下し、今日の昼食場所に到着。

 これから明日の昼食までは毎食地元の名物料理が続く。ガイドブックで探しておいたその店は、店構えは地元の食堂風で入りやすい和食処だった。

 目当ては飛鳥地方名物、牛乳鍋だ。夕飯と被りそうではあるが、夕朝食は宿任せだから提供されない可能性もあり、昼食に食べておこう、となったわけだった。

 牛乳と和食は一見違和感を覚える組み合わせだが、その昔は牛に車を牽かせていたくらい身近な動物なのだから、ないと考えることの方が本来は不思議と思うべきなのだろう。

 要は、四つ足を口にしないという江戸時代の文化が今の日本にとっての『伝統』であるせいだ。人間、理解できる過去は曾祖父まで、ってことだろうな。それ以前は歴史物語だ。現実感がない。

 和風出汁牛乳ベースの鍋は水炊きのようなさっぱり感で、牛乳といえばドロッと濃厚なイメージを抱く洋食慣れした現代人には意外だという感想を与える。

「これ美味しい。うちでもやろうか」

「うちはそもそも牛乳買わないだろ」

「そっか。このために牛乳買うのはもったいないか」

 納得して諦めた弓弦に、向かいに座った井上が首を傾げた。手元にガイドブックを広げながら。これからの行動スケジュールを考えているのだろう。見ているのは飛鳥の簡易観光地図だ。

「加賀見って芝田っちと同棲?」

「まだ実家にいるよ。二人で住むには狭いからね、芝田っちの部屋」

「同棲するならその前に親御さんに挨拶しなきゃな。うちの親にも紹介しておきたい」

「それって、結婚前提?」

「実際に結婚できるならな、迷わずかっさらうんだが」

「お。芝田っち、大胆発言」

「一生涯手放す気がないんだ。当たり前だろう? 大体、そこまでの覚悟がなきゃ生徒に手は出せねぇよ」

 いや、まぁ、最初に手を出した時はそんな覚悟なかったけどな。生涯に責任を取る覚悟ができたのは、弓弦の弁当を俺の分と一緒に作るようになった頃からか。告白するまで手間取ったのも、俺の覚悟がユウ相手だけでなく弓弦の分まで揃うのを待った時間でしかなかったんだ。すでに過去になった今だからこうして分析できるだけで、当時は二重人格に付き合うだけでてんやわんやだったんだが。

「すげぇ、マジに考えてんだなぁ」

 しみじみ感心する井上に、俺は苦笑を返すしかなく。

「俺はそろそろ生涯を考える年齢なんだよ。周りも結婚する奴増えてきたし、焦る年頃なのさ。おかげで覚悟がついた」

「おかげ?」

「あぁ。他を探す気になれない自分を自覚した。どうせ周りに急かされるんだろうから、負けずに弓弦を捕まえておく覚悟をつけておかなくちゃな」

 いつの間にか、全員が俺に注目していた。このメンバーにとって恋愛話と人生相談には体の良い相手だと自覚しているから、彼らに言い聞かせるように持論を展開する。

「男同士だから戸籍上の関係は望めないだろうが、性別関係なく最終目的地は臨終の瞬間まで添い遂げることだろう? 俺は歳をとって白髪だかハゲだかのじいさんになっても隣にいるのは弓弦だと思ってる。今は弓弦が未成年だから俺が先に立って引っ張っているが、俺だって人間だ、迷うこともこの先いくらでもあるだろうさ。その時にそばで支えて欲しい相手なんだよ。そういう相手を伴侶っていうんだろうな」

 隣で弓弦がびっくりして俺の横顔を見つめている。多分、俺が弓弦相手に将来の展望を語ったのが初めてなんだろう。あまり真面目な話をする機会もなかったし。

 だから、俺はこれをちょうど良い機会と、弓弦に向き合った。

「お前を手放す気は毛頭ないから覚悟しておけよ、弓弦」

「……それ、もしかしてプロポーズ?」

 真っ赤になって俯いた弓弦の向こうで、中井嬢が呆然と呟いた。そんなつもりはまったくなかったが。

「……言われてみれば確かに」

「無自覚かい」

 サクッとツッコミを入れた園江に、俺も苦笑するしかない。本当に無自覚だった。

「プロポーズってもっとロマンチックなものじゃないの?」

 だから、無自覚相手にそこを指摘するなよ。さすがに女の子は憧れがある分反応が早い。

「悪かったな。紛れもない本心なんだから多目に見ろよ」

「……まぁ、自分で気付いてなかったくらいだから本心だろうけどな」

 なんとなくフォローになってない同情の言葉を遠野が呟く。これだから男って、とその彼女は膨れっ面を見せているから、どうやらフォローしたつもりで自分の首を締めたようだ。

「で? 加賀見君のお返事は?」

「……。一生、ついて行きます」

 真っ赤になって俯いてひたすら戸惑って。掠れるように小さな声のその返事は、それでも俺を有頂天にさせるのには十分な威力だった。

 何せ一生だぜ、一生。これがあの弓弦の口から出た言葉なのだから喜びもひとしおだ。

 俺が声も出せずに感動に身を震わせている間、周りを囲う仲間たちに祝福の言葉と温かい拍手を贈られてしまった。祝福は素直に嬉しいが、店中の注目を浴びて肩身が狭い。

「……てか、ありがたいがしつこいぞ、お前らっ」

 最初は素直な祝福だと思えるが、後半は明らかな嫌がらせだろうっ!




 昼食後、今日の宿に予約してあったホテルの駐車場に車を預け、近くの駅前からレンタサイクルを借りた。

 飛鳥は建造物というより奇石と古墳の点在する古代ロマンたっぷりの土地だ。井上と弓弦より、俺と小石と遠野が大喜びだった。意外に日本史の成績が良い遠野は予想の範疇だったが、小石は少し意外だ。

 北から順に時計回りに巡る。亀型石造物、酒船石、石舞台古墳、亀石、鬼の俎と鬼の雪隠、猿石、それに高松塚古墳。他にも古墳が点在していて、数分自転車を漕ぐごとに見所にたどり着く密集地帯だ。

 それも当然といえば当然だろう。何しろ『飛鳥時代』の政治の中心地だ。

「けどな。俺は怪しいもんだと思うぞ。聖徳太子の時代は法隆寺のある斑鳩の方が都だっただろうし、天智天皇あたりは今の橿原神宮が都だ。その後は平城京に移ってる。飛鳥はむしろ、天下を取った天皇家が豪族の一つだった頃の支配地だったんじゃねぇかな」

 石造物文化と法隆寺の完成度には落差がありすぎる。まぁ、法隆寺を建てる技術力があるからこそ巨石遺跡やら酒船石のような綺麗な人工的掘削痕があると言い替えることは可能だが。

「でも、授業ではそんなこと言ってなかったよな」

「そりゃそうさ。今現在有力とされる歴史が、今現在の日本の歴史であって、受験にはそれが大前提だ。教科書にない持論で授業は出来ないだろ、高校教師としては」

 俺の隣には珍しく遠野がいて、古代遺跡に興奮気味の俺の解説を熱心に聞いている。俺の意味深ともいえる台詞が全員の興味を惹いたのを確認して、普段授業では話せない歴史の面白さを彼らに説く。

「今、聖徳太子は実在しないって学説が主流になりつつあるって知ってるか? 昔の万札に肖像画も描かれた超有名人だけどな。基本的に、日本の古代史は土と紙の中に埋もれてるのさ。新しく掘り出され解読されて、今までの常識がひっくり返ることもよくある話だ。だからな、今現在の歴史の常識なんてもんはまるごと疑え。勝手に妄想して楽しめ。受験の終わったお前たちなら、今までの日本史の教科書なんか忘れて良い」

 教師としては相応しくない言葉かもしれない。だが、俺にとっての彼らは卒業式を迎えた瞬間に生徒ではなく恋人の友人となった。年下相手だから多少偉そうにはなるが、立場を考えて遠慮する必要はなくなった。

 教師なんて職業を選ぶ程度には説教好きで鬱陶しい部分もあるかもしれないが、そこは個性と捉えてもらえると嬉しい。

 そのうち、弓弦も俺の悪友連中に会わせてやらなきゃな。

「証拠として有効な文献まで疑うことはないが、日本古代史なんて、であろうと言われている、の宝庫だ。全否定くらいで良いんじゃねぇかな?」

「すげぇ暴論じゃねぇ?」

 学校の通信簿はあまり良くない成績ながら日常会話に表れる語彙力などの知識は年輩レベルの園江が首を捻る。このツッコミには反論に足る持論がある俺様は、フフンと鼻を鳴らした。

「学者肌といって欲しいもんだな」

「学者? 何で?」

「既成の事実でもなんでも疑ってかかるところから新しい事実や技術が見つかるのさ。でなきゃ、従来の常識を覆す新事実、なんざ見つからないだろ?」

 まだ高校を出たばかりの彼らにはそんな考え方は身近にないだろう。良くも悪くも受験向け授業だ。素直に吸収するだけでいっぱいいっぱいのカリキュラムではそれも仕方ない。

 常識を疑え、という考え方は俺も大学生の時代に師事したゼミの教授に初めて教えられた。教育学部の教授にはもったいないほどの、古代文字の権威と呼ばれる人だ。

 人を育てる面白さを教えてくれたのもその教授だ。彼には人生を決定付ける多大な影響をもらった。中学からの夢だった日本史教諭を止めて日本文学の研究者を目指そうかと迷ったのも、結局中学ではなく高校の教諭を選択したのも、教授の助言からだ。

 そのわりにやる気のない不良教師になったなぁ、と教授にはからかわれている。そこは何事にも一歩冷めた性格のせいなんだが。

「なんてのは、恩師の受け売りだがな」

「……せっかく芝田っちちょっとかっこいいとか思ったのに」

「阿呆。そんなもんは弓弦だけが思っていてくれれば事が足りる。お前に惚れられても困る」

 むぅ、とつまらなそうに井上が剥れてボヤき、俺はコツリと彼の頭を小突いて返す。

 最後の一言が俺の照れ隠しだと理解したようで、全員何かしら思うところに従って考えこんでいる。そんな若者たちを見回して、俺は可愛い教え子たちの反応に満足して頷いた。

 期せず真面目な話をしているうちに、高松塚古墳を含む公園の駐車場にたどり着く。まとめて停めたレンタサイクルが夕方の陽に当たってオレンジに輝いていた。





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