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夕飯の買い物は、昨日と同じスーパーだ。
料理は俺も好きだから、普段から一緒に台所に立つのだが、料理の腕と手際の良さは弓弦にかなわない。
台所から俺も中井嬢も追い出して、弓弦は1時間待て、と宣告した。逆に言えば、1時間あれば足りるということだ。
途中でユウに替わっちゃったら手伝ってね、とは言われているが。ユウも弓弦にはかなわないことをよく分かっている。
今日のメニューは、せっかく奈良だから、と奈良漬けを入れて、全8品。少しずつつまめるようにと選ばれたのは、奈良漬けに冷凍を焼くだけの餃子、竹輪と魚肉ソーセージの磯辺揚げ、揚げだし豆腐、ボイルウインナー、肉じゃが、蓮根もち、ほうれん草のソテー。ご飯は炊かずにレンジ用レトルトを買って来た。
揚げ油と醤油に料理酒、味塩胡椒は自宅からの持ち込みだ。
出来上がる端からテーブルに並べていくのだが、切って出すだけの奈良漬けとむしろ冷ました方が味が染みる揚げだし豆腐以外はほぼ同時という手際の良さだ。
三口コンロを使いきり、ウインナーを小さめの鍋でボイルしながら一方で餃子を焼き、一方で磯辺揚げと蓮根もちを一緒に揚げてしまうわけだ。肉じゃがは炊飯器任せだった。
最後に餃子を焼いたままのフライパンで下茹でしてあったほうれん草を軽くソテーして完成。
「加賀見すげぇ」
「つか、居酒屋かよ?」
井上のツッコミもさもありなん。まさに居酒屋メニューだ。
「そのためにお酒大量に買い込んで来たんだもん。そういえば、空き缶あったなぁ。昨日の存在を忘れてたよ。まだ残ってる?」
「あの量を飲み干せるわけないだろ。ユウは昨日のポン酒限定だったしな」
自分の許容量が異常なんだといい加減気付いてくれ、ってなもんだ。
じゃあ良っか、とあっさりした反応で片付けて弓弦も席につくと、揃うまで大人しくおあずけ状態を耐えた全員が揃って合掌した。
『いただきます』
「召し上がれ」
一人でこれだけのメニューを作り上げた弓弦が、ニコニコ笑って答えた。
俺も料理は好きな方だから普段から一緒に台所に立つのだが、やっぱり弓弦の料理センスは特筆ものだと思う。ユウでもここまでの手際の良さは望めない。せいぜい同時に2品が良いところだ。
料理センスというよりは、効率化の問題だろうか。
しっかり自分の飲み物を確保した弓弦は、昨日一升瓶の三分の一をユウが減らしたその続きを嬉しそうに飲んでいる。日中しか表にいない弓弦が酒を味わう機会などそう多くないから、格別なのだろう。
そういえば、弓弦のうちに聞いておくことがあった。
「弓弦。車に突っ込んであった焼酎は飲んで良いのか?」
「良いよ。万が一足りなかったら、な保険で持って来たんだ」
「足りるだろ。弓弦が飲み過ぎ」
「ユウでしょ?」
「両方だ」
俺はそんなに飲まないよ、と弓弦が抗議の声をあげるが、これに聞く耳はいらないだろう。
俺が弓弦を呼んで弓弦が答えるから、これはまだ弓弦なのだろうと判断したらしく、隣に座った遠野が弓弦の顔を覗きこんだ。片手には昨夜覚えたばかりのビールを入れたグラスを握っている。
「加賀見は二重人格自覚してるんだろ? 治そうとか考えてねぇの?」
「治す気はあるけど、方法がわからないからうまく付き合う方向を選んだってとこ。それに、一之はユウを好きになってくれたんだし、消しちゃうのは申し訳ないって思う」
む。それは聞き捨てならないぞ。
「確かに先に惚れたのはユウだがな。今は二人のどっちが欠けても駄目なくらい惚れ込んでるんだぞ。何度言ったら自信持つんだ、お前は」
「……ね? なんか、申し訳ないでしょ?」
「なるほどな」
何でそっちに完結したのか理由がすぐには理解出来なかった。しまった。今の流れで、どっちが欠けても、は禁句だったか。
「でも、まぁ。芝田っちが惚れ込んでる発言って、ある意味安心だよなぁ」
「いつも冷めてる態度する人にこんな情熱的な口説き文句言われちゃねぇ。ほだされちゃうよねぇ」
羨ましい、と彼氏のいるはずの中井嬢がうっとりそう呟いて、隣で遠野が慌てている。こっちも随分惚れ込んでいるらしい。
「ねぇ、一之。もしもどちらかが消えちゃうとして、どちらかを自分で決められるとしたら、一之はどっちを選ぶ?」
話題がきっかけになったのは分かるが、何でここで究極の選択を迫るんだ。しかも、全員注目ときた。勘弁してくれ。
「選べるわけないだろ。お前が選んだ方を受け入れるだけだ」
「俺が残っても良いの?」
「むしろそっちの方が確率高いだろ。ユウはお前に譲りたがってるんだしな。それに、ユウに替わらない保証があるなら弓弦自身を愛してやれるだろ。それはそれで楽しみなんだ」
おもいっきり際どい言い回しをわざと選んでやるのは、恥ずかしがる弓弦が可愛いのと、気持ちがダウンしてきた弓弦を寝かしてやりたいため。
色気のある話題になると弓弦が逃げ出す特性を逆手に取れるのも付き合いが長いおかげだ。
俺が逃げ出すように追い詰めた、という事実は是非とも内緒の方向で。
ふわりと頬をピンクに染めて俯く弓弦がいつまで経っても初々しくて可愛らしい。ユウの妖艶さとのギャップがたまらないと思う。
「……一之」
「ん? 何だ、ユウ」
「あぁっ! やっぱりわざとだ、もう! 弓弦逃げちゃったじゃないっ!」
いきなり顔を上げて俺に噛みついてくるユウに、俺は予想通りだったからただ苦笑を返し、周りは全員びっくりしていた。
一瞬で鎮まった周囲に気付いて、失敗したと小さく舌を出す。
「てか、芝田っち。何でユウくんに替わったの分かったの?」
声も同じ。俺の呼び名も同じ。判断のきっかけがない。
まぁ、いくら俺でも普段は気付かないから、その疑問は妥当だ。
「俺が替わるように仕向けたからな。反応の仕方で大体察しがつく」
「弓弦は色っぽいこと苦手なんだよ。夕方以降ならまず間違いなく逃げちゃう」
「それで夜のお前が表に出るってことは、昼間の加賀見が主導権握ってんのか」
「そうでもないよ。結局は本能の仕業だから、俺にも弓弦にも選択権はないし」
ふぅん、と納得するのは、弓弦とはそれなりの付き合いだというのにユウを知ったのは昨日が初めてという事情からこの二人を知りたいと思ってくれる友情ゆえだろう。
精神的な病を打ち明けられる友人というのは得難いものだ。このまま長く付き合って欲しいと思う。
一歩離れて見守っているスタンスの小石が小さく首を傾げるのが見えて、俺はそちらに視線をやった。
真面目で大人しい小石も、手元にあるのは酒入りのマグカップだ。横から中身が見えないマグカップに水面を隠すように氷をたっぷり入れてようやく手に持てる彼は、それでも必要ない時は自分の視界からずらして置いている徹底ぶりだ。
彼の水恐怖症も一生つきまとうのだろう。気の毒だと思う反面、だからこそお節介焼きの恋人がいて良かったと思える。
不思議そうに首を傾げてそのまま何も言わない小石に、俺も少し不安になった。
「……小石? どうした?」
「三人、仲良し?」
お。さすが、なかなかの着眼点だ。
「睦月、何でそこに引っ掛かったんだ? あからさまに仲良しじゃん」
「だって、昼の加賀見君と夜の加賀見君って面識ないよね?」
会ったこともなく、同じ相手を共有する恋敵。仲良しになれる要素が限定的だ、というわけだ。
これに対してユウは苦笑で返した。
「一番の理由は、俺が弓弦の時間を中で見てることかなぁ。あとは、一之が俺と弓弦の架け橋になってくれてること。俺は自分が弓弦のおまけだって自覚してるから、俺の時間でも弓弦の不利になることは極力避けてるしね。それでも、しばらくは弓弦に嫌われてたんだよ、俺」
あぁ、自覚してたか、というくらいが俺の感想だ。俺がユウのフォローをしたことが弓弦の意識を変えた第一要因だと分かっている。
惚れた相手を本人に好きになって欲しかったんだ。何せ俺の気を先に惹いたのはユウだったからな。いまだに変わりないんだが、俺はユウにはベタ惚れなんだ。
「少し前までは、早く消えたいってくらいには思ってたんだけどね。今は少し惜しいかなって思う。弓弦か俺のどちらか残すなら迷いなく弓弦を選ぶけど、選択肢に現状維持があるなら迷うなぁ」
少し困ったような独白は、先ほどの弓弦に提示された究極の選択のことらしい。
迷ってくれるのが嬉しい。恋人の心の病に治らないで欲しいと思うことは許されないと、理性では分かっているが。
「だったら、良いんじゃねぇ? 現状維持」
あっさりとそう言ってのけたのは、俺の向かいにいた園江だった。病気であることは分かっているはずで、だからこそその結論には驚く。病気は治療するべきものだろう。
「だってよ、三人揃って治す気ないじゃん。加賀見はどっちももう片方の存在を認めてて、芝田っちは両方とも大事にしてる。だったら、無理に治そうとしても誰も喜ばねぇと思わねぇ?」
カラカラと氷だけになったグラスを振りながらそう解説してみせる。正直、目から鱗だ。
「つまり、俺は、どちらも消えるな、と言って良いのか?」
「その方が喜ぶんじゃねぇの? 二人とも」
にまっと変な笑いかたをしながら、園江は俺の戸惑いを吹き飛ばした。顔を見合せたユウに複雑そうな顔をされて、腹をくくる。
「ユウ。消えないでくれ。弓弦も、俺に残して欲しい」
「良い、の?」
「良いんじゃねぇ? 今までもうまく付き合ってきたんだ。無理に治す必要ねぇよ」
俺の言葉を待っていたように、ユウはまるで恥じらう弓弦のようにほんのり頬を染めて俯いた。
あぁ、もう。何でこんなに可愛いんだ、コイツらは。
強引にユウの手を引いて立ち上がり、見上げてくる仲間たちを見回し。
「悪い。少し席をはずす」
「後片付けはしとくから、戻って来なくて良いぞ」
ヒラヒラ手を振って送り出されて、俺は何とも答えようがなく。
「大人がいないからってあんま飲み過ぎんなよ」
と言うのが精一杯だった。
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