7
side 弓弦
芝田っちとおそろいの弁当を、毎日社会科準備室で堪能しているうちに、いつのまにか、園江、井上、遠野の三人が押しかけてきて、俺たちの昼食場所が移動した。
芝田っちは、少し迷惑そうにしながらも、それはそれで内心は楽しんでるんじゃないかと思う。三人と一緒にふざけている俺が楽しそうに笑っているから、安心するんだろう。実際、彼らといると、あれこれ悩む自分がなりを潜める。
昨夜。ユウは結局、家を出なかったらしい。俺が意識を失ってから、三十分くらい間を空けて、その後はずっとネットゲームをしていたらしいログが、パソコンに残っていた。
さすがに、三十分で街に出て男引っ掛けて戻ってくるのは無茶だから、きっと自分自身でどうにかしたんだろう。
それに、今朝、柚子葉が上機嫌で俺に報告してきた。夜のお兄ちゃんも昼間のお兄ちゃんと同じくらい、優しかったよ、って。芝田っちの太鼓判もあったから、心配はしていなかったけれど。なんか、安心した。
芝田っちと出会ってから、ユウは確実に変わっている。街に出ないし、家でおとなしくしているし、俺からユウに切り替わる瞬間が優しくなってきた。今まではいつの間にか切り替わっていたけれど、今はなんとなくわかるんだ。ユウが、俺を気遣ってくれているのが。
まぁ、街に出て行かないのは、芝田っち以外に抱かれたくなくなったせいなのかもしれないけど。一ヵ月も続くなんて、思ってなかったよ、俺も。
昼休み、いつものように三人引き連れて社会科準備室に行くと、芝田っちはどうやら昨日飲みすぎたらしく、具合の悪そうな顔で頭を押さえていた。
「どうしたの? 芝田っち。二日酔い?」
「……浮かれて飲みすぎた」
「何かいいことあったの?」
浮かれて、なんて言うから、俺は「良かったね」という意味でそう尋ねたんだけど。芝田っちからは、なんとも複雑な表情で見返されてしまった。
それでも、ちゃんとお弁当を作ってきてくれるところは、尊敬してしまう。
「おぉ。二日酔いでも愛妻弁当は忘れないんだ」
ちゃんと二人分、大判のハンカチで包んで用意していて、片方を俺の手に乗せてくれる。二日酔いで頭はガンガンだろうに。申し訳ないと思う。
「ありがとう」
「今日は本当に適当だからな」
そんな風に言って、芝田っちは隣でからかった井上の言葉はあっさり無視をした。まぁ、からかわれるのも無視をするのも、いつものことだ。
食後、午後の授業の予鈴が鳴って、みんなと一緒に社会科準備室を出かけた俺は、ちょっと手伝ってほしい、と芝田っちに呼び止められて、そこに残った。先に行ってる、と園江が俺に手を振る。
見送って、芝田っちはまた、扉にガチャンと鍵をかけた。つまり、手伝ってほしいこと、というのは建前で、折り入って話があるらしい。前もこんなシチュエーションだったから、今回はそんなに怯えることもない。
呼び止めて悪かった、と謝りながら、椅子をすすめる芝田っちにしたがって、素直にそこに座って。
「五時限目は、弓弦のクラス、自習だから。先生にも、断ってあるから気兼ね不要だよ」
「っていうか、それって、職権乱用」
「ははっ。まぁな」
あまりに準備万端で、ちょっと薄気味悪いくらいなんだけど、本人は軽く苦笑する程度の反応しかない。それから、芝田っちの自宅で飲むコーヒーに比べたらずいぶん安物な味のするコーヒーをもらって。
「あのな、弓弦」
椅子に座って俺の正面にかしこまって、改めて芝田っちは俺に話しかけてくる。あまりにも改まるから、俺も自然に姿勢を正した。
「はい?」
「一度しか言わないからな」
何を?と、俺は不思議に思って目を見張る。いつもなら、その表情がおもしろい、と笑ってくれる芝田っちは、今日はなぜかものすごく緊張していて、ごほん、と咳払いまでした。
「弓弦が、好きだ」
……はい?
「弓弦も、ユウも、二人とも好きだよ」
……えぇと。それをそれだけ改まって緊張して言うということは、父性愛とか友情とかいう話じゃないってことだ、よね?
「……何かの冗談?」
「冗談でこんなこと言えるか、バカ。好きなんだよ。愛してる」
「男、だよ?」
「んなことは、とうに知ってるよ。毎日抱いてるんだから」
はい、そうでした。でも、じゃあ?
「ユウを、じゃないの?」
「お前を好きになるのに、ユウ一人だけでどうするんだよ。丸ごと好きだ、って言ってるんだ。意味、お前ならわかるだろ?」
丸ごと、だって。そんな風に言われて、わかるだろ、なんて判断を任されて、噛み締めて。
俺自身の意思に反して、目尻を涙が伝っていった。喉の奥が、きゅうっと締め付けられる感覚と一緒に、涙があふれてくる。止められなかった。
だって、二重人格の俺を、どちらの俺も、そのまま丸ごと、好きだって言ってくれたんだ。二つの人格が混在することで、他人に愛されることを諦めていたから、それこそ、青天の霹靂といっておかしくない衝撃で。
だから、なんだかんだと否定の言葉を並べてみたんだよ。信じられなかったから。
そんな俺を、すっと立ち上がった芝田っちは、優しく抱き寄せてくれた。
「嫌か?」
その、意外と着痩せするらしいしっかりしたお腹に涙で濡れた顔を埋めて、頭の上から降ってきた優しい声に、声も出せなくて首を振る。
嫌なわけ、ないんだ。もうすでに、気持ちはすっかり芝田っちを信用していて、いつの間にか寄りかかってしまっていたから。社会人だから持ち得る大人の信頼感に、身を預けてしまっていたから。自分でも信じられないくらい、全面的に。
「恋人に、なってくれるか?」
少し不安そうな、そして、俺を気遣ってくれる声色で、囁くように問いかけられる。
悩むまでもなくて。こくっと頷いた。そして、その腰に両手を回して、しがみついた。
頭を撫でてくれる、彼の大きな手が、気持ち良い。
「もう、そろそろ泣き止めよ。後で俺がユウに怒られるんだから」
「自業自得だよ。急にそんなこと言うなんて。反則だ」
っていうか、もう少しここで泣いていたくて。その大きな手で撫でていて欲しくて、思わず彼に言いがかりをつけてしまった。その本心が、きっとわかったのだろう。くっくっと笑うから、くっついているお腹がぴくぴくと動いた。
「じゃあ、そのままで聞いてろ。本当は、な。昨日の内に、ユウには言ったんだ」
「……ユウが、好きだ、って?」
「二人とも、だってば。まぁ、酔った勢いで、ってヤツだ。予定では、先に弓弦に言うはずだったんだよ。二人に同時に言いたかったし」
ユウが、というところに、相変わらず俺が拘ると、芝田っちはさすがに困ったように笑った。
思った以上に、俺ってユウに嫉妬してるらしい。いつもは、自分を卑下するような真似、しないんだから。ただ、ユウと芝田っちの仲が、もうとっくに恋人同士みたいに良いから、それにだけ、気になってる。
でも、芝田っちは、二人一緒、というところに、気を使ってくれているんだ。必ずそこを強調するから。
「そうしたら、ユウが、言うんだよ。弓弦に聞けって。自分には決定権はないからってさ」
「それで、俺に聞いたの?」
「いや。ちゃんとユウの気持ちも聞いた。まぁ、嫌われているとは思ってなかったし、自信はあったからな。嬉しい、ってさ」
「良かったね」
「良かったよ、って、あのな、弓弦。他人事じゃないぞ? お前のことなんだから」
別にそんなつもりはなかったけれど、まるで他人事のようにそう祝って見せたら、呆れたような声が返ってきた。そして、俺の肩に手を載せたまま、膝を折って俺の足元に跪き、その肩に頭を抱き寄せてくれる。片方の手は頭に、片方の手は背中に。その手が暖かくて、幸せで。
「キス、しても良いか?」
「うん」
頷いて目を閉じる。ユウと違って慣れてないから、どうしたら良いのかわからなくて、彼にお任せで。
唇に触れた、やわらかい触感に少し驚いて、目を開く。優しい目で俺を見つめていた彼は、俺が目を開けたのもちゃんと気づいていて、その大きな手で目元を覆い、俺の視界をそっと遮った。
この日、晴れて恋人同士になった俺と一之は、その後急速に距離を縮めていった。
昼は初々しい俺と、夜は妖艶なユウと、一之は一日中イチャイチャできて、なかなかご満悦なご様子。相変わらず、夜はユウの性欲処理に付き合っているけど、そんなお題目以上に楽しんでいるらしい。
俺は、といえば。土日祝日と夕方の帰りが早い日には、一之のベッドに横たわってすごしている。夜にはユウの相手をして、そんな余裕はすべて吸い取られているはずの一之に、敏感に出来ているらしい肌をやらしい仕草で撫でられたりする。これがかなり、気持ちが良い。
ただ、どうやら昼間の俺は性的な欲求を感じることが出来ないらしく、身体が何の反応も示さない。それが、寂しかった。
少しずつ慣らしていこう、って一之は宥めてくれるけど。
俺も、ユウみたいに愛して欲しい。恋人を、この淫らな身体の奥深くで感じてみたい。
なんて、叔父の暴力からユウにすべて押し付けて逃げた俺には、分不相応なわがままなのかな?
そうそう。
ユウが育てていた向日葵は、夜に水を与えられるという変則的な育ち方をしながらも、無事に大輪の花をつけた。
そして、俺が育てていた月下美人も、今年も無事に花を咲かせたらしい。
俺は確かに、その花を見ることは出来ないけど。今年はユウが、柚子葉と一緒に写真やビデオを撮ってくれた。
俺の意識がない夜も、ちゃんと普通に生活している自分を写真で見て、ちょっとだけ幸せな気持ちになった。
確かに、一つの身体に二つの人格は不便だけど。
これはこれで、このままでも良いかな、って。最近は思うんだ。
fin.
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