6



side ユウ


 初めて一之が弓弦を自宅に招いて以来、一之は弓弦を家に連れて帰り、俺が一之の目の前で入れ替わって、夜遅くに送ってもらう、という生活がずっと続いている。

 さすがに一週間連続が限界だった一之だが、挿れてはくれなくても、手とか口とか玩具とか、考えられる手段を使って俺を満足させてくれる。

 一番衝撃だったのは、前を弄らずに前立腺刺激だけでイケちゃったことかな。しかもちゃんと、異常に盛り上がってしまう性欲が落ち着いた。まぁ、あの時は、そこに至る前戯が長くて執拗だったおかげで、身体はすっかり準備万端になっていたせいもあるんだけれど。

 そんなこんなで、気付けば、一之と小田原の街でばったり遭遇してから、丸々一ヵ月が経っていた。

 正直に言って、こんなに長く続くとは思ってなかった。

 弓弦の、一之と一緒にお昼、も続いている。一之は、なかなか料理上手だ。冷凍品と簡単な野菜炒めだけなのに、冷凍品には一手間加えられていて、余計な脂分は抑えてより美味しく仕上げてみせる。それを、毎日欠かさないからすごい。

 弓弦は、母の味というものを知らない。

 もちろん、あの事件が起こるまでは母の手料理を毎日食べて大きくなったんだけど。俺と弓弦に別れてからは、そもそも自宅で食事というものをしたことがないんだ。夜は俺に交代してしまうしね。

 俺自身、夕飯はあまり食べていない。引っ掛けたおじさまが優しい人だったりすると、一緒に御飯も食べてくれるから、ご馳走になることもあるけれど。それ以外の場合では、食べないことが多い。たまにお腹が空くと、コンビニでおにぎりかパンを一つ買うくらい。

 中学は給食だったから、助かった。そうでなかったら、弓弦は今頃きっと、精神の病よりも、栄養失調で倒れている。

 母は、弓弦に弁当を用意してくれない。それは、朝食も、休みの日の昼食も、もちろん夕食も。

 嫌われてるんだ。俺と一緒に、弓弦も。

 父は、たまに見かねて小遣いをくれて、何か食え、と送り出してくれる。妹も、母に何度か抗議してくれたらしい。けれど、それも三年続けば、いい加減諦めてしまうもので。

 別に、それも構わないとは思う。別に何か買いたいものがあって売春しているわけではなく、ただ「お金が欲しい」という体裁を保つための身売りだから、お金は溜まる一方でね。預金が、ちょっとびっくりするくらいあるんだ。一年は平気で遊んで暮らせるよ。だから、日常の食費なんて、どうということはない。

 銀行口座を作るのは、さすがに苦労した。だって、俺は夜しかいられないし、銀行は昼間しか開いていないんだから。

 結局、悩みに悩んだ結果、父にお願いした。うちの家族は、母以外は俺に優しい。父はたぶん、自分の弟が、という罪悪感からだし、妹はボーイズラブなる分野の大ファンで男同士であることに違和感を感じていないからだ。こんな父と妹がいなかったら、弓弦か俺か、どちらかが自殺に走っていることだろう。

 俺がこっそり育てている向日葵は、今年の雨の多い梅雨のおかげで、手をかけずとも順調に成長している。

 弓弦の育てている月下美人は、今年も花が咲きそうだった。

 二週間後に期末試験、という六月のある日。

 英語教師の水口先生が産休に入って、臨時の新しい先生が来るということで、一之に歓送迎会の予定が入っていた。で、弓弦は珍しく、夕方家に帰った。

 昨夜の内に、その宴会の予定を聞いていたし、そのとき一之は、一之の家で待ってろ、って言ってくれたんだけど。俺は一人で紛らわすことにもそろそろ慣れなくちゃって思い始めていたところだったから、家に帰る、って断ったんだ。その代わり、終わったら連絡をくれる約束をして。

 家に帰ったら、ちょうど玄関脇の和室から出てきた母に出くわした。母は、いつものように冷たい目で弓弦を一瞥し、帰ってたの、なんて冷たい言葉をかけて、居間から新聞を取って和室に戻っていった。っていうか、毎度毎度、同じ行動を繰り返す母に、少し呆れてしまう。だったら、最初から多めに和室に置いておけば良いのに。

 最近は、放課後から朝に移動した弓弦の日課は、放課後に帰れば、やはり日課として行われるものらしい。私服に着替えて仏間へ行って、仏壇の前で手を合わせたまま、しばらく動かない。朝はこんなにのんびり座っていられないから、こうしてじっと拝んでいるのも久しぶりだ。

 やがて、兄の靴を発見したのか、妹が仏間の戸を開けて、声をかけながら入ってくる。それもまた、普段と変わらない光景だった。

「お兄ちゃん、やっぱりここにいる。たまに帰ってきた時くらい、拝むのやめたら良いのに」

 うん、柚子葉の言うとおり。俺もそう思うよ。拝んだって、死者は還って来やしないし、弓弦の心の傷が癒えるわけでもないんだから。

 弓弦は、何も言い返せず、ただ苦笑を返すのみ。弓弦の心の中にも、何の言葉もなかった。

「宿題?」

「うぅん、それは自分でやる。お兄ちゃん、最近全然帰ってこなかったから、自分でやる癖がついたの」

「そりゃ、良かったな」

 っていうか。夜遊びに出掛けて行って俺より遅く帰ってくる柚子葉に、宿題をする時間なんてあるのかどうか、実に不思議だ。いつやってるんだろう。

「別に、夜俺が家にいるときなら、声かけてきて良いんだぞ? ユウだって、宿題くらい手伝ってくれるだろうし」

 え?

 その言葉に、目の前にいる妹も驚いていたが、中にいて傍観している俺もまた、驚いた。だって、それって、俺をもう一人の弓弦として、もしくは双子みたいな感覚で、認めてくれたってことなんだ。夜間の「兄」という立場を、俺に譲ってくれる意味だから、そういうことだよね?

「でも、私、夜のお兄ちゃんとしゃべったこと、ないし」

「だったら、話してみたら良い。夜の俺だって、俺に変わりはないんだから、怖くはないよ」

 いつのまにか、一之を通した目で見る俺は、弓弦にとって、恐怖や嫌悪感を感じる対象ではなくなっていたらしい。

 それは、とてもうれしいことだった。俺だって、身体を張って、っていうか身体は共有だけど、俺が身代わりになってでも、守ってきた相手に、いつまでも避けられているのは結構辛い。その辛い気持ちを、もう抱えなくて良いんだ。対等の立場に立って、彼を守ってあげられるなら、それだけやる気も増すというものだよ。

「ただし、夜出かけて帰って来てからじゃないと、まともに相手してあげられないからね」

 はい。すみません。って、それだって、この身体がもう少し落ち着けば、大丈夫になるって。

 落ち着くことが今後将来あるのかどうかが、また問題だけどさ。

「えぇ? どうして?」

「まぁ、いろいろと、事情があるんだよ」

 そう、いろいろと事情があるから、二重人格なんてややこしいことになってるんだし。

 むぅ、と少し不貞腐れて頬を膨らました柚子葉は、しかし、ね、と念を押した弓弦に、渋々頷いて返した。

 後は、俺の対処に託されたわけだ。オーケー。任されましょ。家族にも、協力者がいてくれたほうが心強いしね。




 結局、やっぱり夜遊びに出かけていった妹を見送って、弓弦は自分の部屋に閉じこもった。時刻はまだ夕方。一之に御飯に連れて行ってもらえないから、仕方なく自分で調理したチャーハンを持って。

 一之ほどじゃないけれど、弓弦も俺も、料理はそこそこできる。夜中にお腹が空いて夜食を作ったり、明け方お腹が空いて目が覚めて朝食を作ったりしていたから。

 今日のチャーハンは、卵チャーハン。塩コショウがばっちり利いた良い匂いがして、食欲がそそられる。ちょうど良く、お腹もぐぅと鳴った。

 昼間の俺は、だいぶ器用で、パソコンなどにも強い。我が家の家庭内LAN環境を無線LANで整えたのも、弓弦だった。

 もちろん、弓弦の部屋にもノートパソコンが一台、置かれている。それで、無料のネットゲームなどをやりながら、チャーハンを食べて、弓弦はいつ俺に変わるかわからない分何もできなくて暇な時間を、適当に潰している。

 そうして二時間も経った頃。

「ん。眠ぃ……」

 自分で呟いたのもわかっていないらしく、すぅっと弓弦の意識が遠のいていき、代わりに俺の順番が回ってくる。ついでに、身体の奥も疼きだす。

 最近気がついたよ。弓弦から俺に変わるきっかけは、日没じゃない。この、身体の疼きなんだ。むずむずと湧き上がってくる感触から、逃げるように、弓弦は意識を手放してしまう。それは、本能ですることだから、弓弦の意思なんてお構い無しに。

 今日は、一之が手伝ってくれられないのは、昨日の段階からわかっていたから、準備は万端なんだ。一之から、エッチな玩具を借りてきてあった。これはユウのものなんだから、勝手に持って行って良いんだ、って言ってたなぁ、そういえば。

 ドアの前に勉強机に付属の椅子を置いてバリケードにして、俺は暑いのは我慢して布団を頭からかぶった。どうしても出てしまう声を、外に漏らさないように。一つ屋根の下にいる家族に感づかれないように。

 スイッチを入れれば、ブン、と低い音がして、それが小刻みに揺れる。片手で胸の飾りを弄りながら、それを自分で知っている弱いところに押し当てて。

「……ん……あぅ……ふ……」

 早く終わらせてしまいたくて、自分で自分の弱いところだけを攻め立てた。玩具を中に突っ込んで、ぐちゅぐちゅと掻き回して。声も、我慢しない。だって、声を出した方が快感が上がるスピードが速い。

 しばらく、布団の中の、むわっと蒸し暑い空間に、俺自身の喘ぎ声と激しい息遣いだけが充満した。

 さすがに、三年も毎日欠かさず自分を追い立ててきただけのことはある。自分で身体を慰めるための、自分の弱いポイントを的確に熟知していた。あっという間に脳内が快感で痺れ、絶頂に達する。

 自分で玩具を使って慰めて、最後までイケてしまった。諦めていただけに、ちょっと感動。

 荒く上がった息を整えて、布団を押しのける。

 今までの苦しさが嘘のように、身体の疼きは消えていた。

 これが毎日だと、さすがにやっぱりまだ耐えられないと思うけれど。一日二日くらいなら、十分ごまかせそうな手ごたえを感じていた。

 やっぱり、協力してくれる人がいるって、すばらしいことだったんだ。一之に、感謝しなくては。三年目にして初めて、希望の光が見えてきた。

 さすがに自慰行為では、情事の後に感じる充足感は長くは続かず、いつもなら十分くらいぼんやりしている頭が、さっさと興味の対象を入れ替えた。

 宴会が引けたら、携帯に連絡をくれると聞いていたから、それまでは暇を潰さなくてはいけない。うちの学校は宿題もないし、っていうか、あっても弓弦にかかればものの二、三分で片付いてしまうから、特にやるべきことは思いつかなくて。

 弓弦がやっていたネットゲームを開いた。

 三十分も遊んだだろうか。午後八時を少し過ぎた時刻に、携帯電話が鳴った。弓弦の携帯の番号なんて、園江、井上、遠野、それに一之くらいしか知らないから、相手は限られていて。

 案の定、一之からだった。

『ユウ?』

 この時間に現れているのは俺だろうと、察しはつけているらしい。確かめるように、質問口調だった。

 一之の電話の向こうは、人の声で騒がしい。酔っ払っているらしく、その声は明らかに呂律が回っていなかった。

「うん。遅くまでお疲れ様」

『ホントに、今日はごめんな。身体、どう?』

 まだ居酒屋にいるようなBGMだから、宴会の途中で心配になってかけてくれたらしいことがわかる。その気遣いが嬉しくて、笑ってしまった。

「大丈夫。今日は、波も収まったみたい。俺のことは気にしないで、楽しんできて」

『そう、良かった。勧められて断れなくて、酒飲んじゃったから、迎えに行けないんだ。明日まで、もちそうか?』

「大丈夫だって。今日は、ホントに気にしないで。明日、楽しみにしてる」

『ははっ。なんか、今すぐ抱きたくなった』

 いやーん、エッチ。って、ふざけて答えながら、俺も今すぐ抱きしめられたくなったけれど。この欲望は、明日まで抑えつけておかなくちゃ。せっかく、暴れウマのように言うことを聞かない欲望が、なりを潜めたのだから。

『ユウ』

 くすくすと、まだ笑いを収めていなかった俺の耳に、一之の低い声が囁く。それは、今のふざけた口調が嘘のように、真剣な声色だった。

「ん?」

『好きだよ、ユウ』

 え?

「……一之?」

『ユウも、弓弦も。好きだから』

 何を言われているのかまったくわからなかった俺は、弓弦の名前を俺の名前と並べて言われた途端、彼の言葉をすっと受け入れていた。俺と弓弦と、一緒に考えてくれるこの人は、ちゃんと、二人一緒じゃなくちゃ俺が納得しないことをわかっているらしい。でなくちゃ、同じ身体を共有しているとはいえ、まったく別の人格である弓弦を、二人同時に、なんて意味合いで並べられないはずだ。それは、本当だったら、二股をかける意味を持っていて、許されることではないのだから。

「……一之。酔ってる?」

『酔ってるよ。素面でなんて言えるか、こんな、ケツの青いガキみたいな告白』

 ふんっ、と酔っ払いらしく開き直られて、そんな態度が可愛く思えて、俺は笑ってしまった。さらに憮然とした唸り声が電話の向こうから聞こえてきたけれど。

『笑うな。返事は?』

「弓弦に聞いてよ。俺にはそれに答える権利がないもの」

『ユウの返事が聞きたいんだ。イエスかノーで良いから』

「……嬉しいよ」

 こんな簡単な返事をするのも、確かに素面では恥ずかしくて言えない、と思うくらい恥ずかしくて。でも、俺がイエスの答えを返した瞬間、一之は嬉しそうに、よっしゃ、と声を上げていた。

『ユウが受け入れてくれるなら、弓弦は俺が全力で口説き落とすさ。任せろ』

「そんなに頑張らなくても、弓弦もオーケーだと思うけど?」

『だったら嬉しいな』

 俺が押した太鼓判に、ほっとしたように答えた一之が、その顔は電話越しにはわからないけれど、俺を抱いた後のあの慈愛に満ちた表情なんだろうな、と想像できて。大人の余裕と、恋情が醸す余裕のなさが入り混じって、一之の声はなんだか微笑ましい。

 電話の向こうでは、どうやら一之の言葉の端々から、恋人とのあま〜い睦言にでも聞こえたのか、一之をからかう声がかかっていた。それを聞いて、一之は大慌てになって言葉をつむぐ。

『じゃあ、明日、学校でな』

「うん。おやすみなさい」

 ゆっくりおやすみ、と言葉をもらって、それがいつもの別れ際の台詞と同じなのに、なんだか嬉しくて。

 ねぇ、弓弦。一之のこと、好きになっても良い? 弓弦も、一之のこと、好きだよね? 同じ、俺なんだから。

 どうせ聞いていないことはわかっている、昼間にだけ目を覚ましているもう一人の俺に、俺はそっと話しかけていた。





[ 18/27 ]

[*prev] [next#]

[mokuji]

[しおりを挟む]


戻る



Copyright(C) 2004-2017 KYMDREAM All Rights Reserved
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -