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side 弓弦


 芝田っちに、俺の二重人格を知られてから、一週間が経っていた。

 四時限目に日本史の授業がある木曜日。芝田っちが教室を出る間際、俺をちょいちょいと呼び出して、耳元に囁いた言葉に、俺は自分の耳を疑った。

『特に用がなかったら、弁当もって準備室においで』

 それって、つまり、私的な呼び出しってことだよな? 俺の用事の都合を聞くんだから。

 何か、話したいことでもあるんだろうか。それが気になって、いつもは一緒に昼食をとる園江たちに断って、俺は昼飯の入ったコンビニの袋を手に、芝田っちの後を追いかけた。

 横に立つと、芝田っちは俺が持ってきたコンビニの袋の中身を覗き込み、少し眉をひそめた。

「お前、おにぎり二つで足りるのか?」

 そう。今日のお昼は、コンビニで買ってきたおにぎりが二つ。駅に入っているコンビニでいつも買ってくるんだけど、今日は寝坊をしてしまって、いつもより一分遅く家を出てきたから、電車の発車時刻ギリギリだったんだ。だから、おにぎりを適当に二つ掴んで大慌てで会計を済ませて、ダッシュで電車に乗った、ってわけ。

「いつもコンビニなのか?」

「うん」

 問いかけながら社会科準備室の扉を開け、俺を中へ促した。ここまでついてきて拒む理由もないから、俺も素直に従う。

 扉を閉めた芝田っちは、そのままガチャンと鍵をかけた。途端、俺の身体はとんでもない想像に勝手に身を震わせた。だって、密室で、知らない仲ではない二人が、二人きりになるなんて。

「昨日は結構早めに家に帰したはずなんだけどなぁ。寝るのが早すぎて睡眠リズムが狂ったか?」

 ははっ、と芝田っちは軽く笑っていて、特になんでもない態度で俺の横を通り過ぎ、自前の弁当箱を取り出した。座れよ、と示されたのは、背中合わせの誰かの席。回転椅子に座布団が乗っていて、学生の木の椅子に比べたら雲泥の差だ。

 っていうか、え? ちょっと待って。

「……昨日? 芝田っち、昨日も俺に会ったの?」

 そう問い返したことの、どこに驚いたのか。芝田っちは俺を見つめ返し、きょとん、とした表情を見せた。それから、かっこ良くセットされた髪をぼさぼさと掻き回して、苦笑してみせる。

「そっか。昼のお前は、夜のことは覚えてないんだっけ」

 そっか、ってことは、つまり、忘れてた?

「何で?」

「いや、ユウは昼間のことも覚えてるからな。うーん、まだ慣れてないな。顔が同じだから、同じ奴だと錯覚しちまう」

 いったいどういうこと〜?と、俺の頭はパニック状態だった。だって、まぁたしかに、俺が二重人格であることは打ち明けたけどさ。また夜の俺に会うなんて、思ってなかったよ、俺。

 って、あれ? 今、なんて言った?

「ユウ?」

「そう。夜の加賀見の名前。加賀見、って呼ぶとな、昼のお前と混同して嫌なんだと」

「それ、亡くなった叔父が俺を呼ぶときの名前……」

「あぁ、だから、ユウなのか。なるほどな」

 俺、芝田っちにはまだ、叔父の話はしていないはずだ。なのに、彼はごく自然に納得して見せた。まるで、叔父と俺の間に何があったのかを知っているように。

 え? 叔父と俺の間に、何かあったっけ?

 えーと……?

「加賀見。無理に思い出すことないぞ。忘れていることは、そのまま忘れておけ。事実だけなら、俺が教えてやるから」

 事実だけなら、ってことは、それは、芝田っちは知ってる、ってことだよね? 俺も知らないことを、どうやって?

「夜の俺に、聞いたの?」

「そう。最初の頃は嫌がってたけどな。ここ二、三日は、いろいろ教えてくれる。先週、夜にお前に会ったって言ったろ? あれから、毎晩会ってるんだよ。最近、身体辛くないだろ?」

「……芝田っちが、相手してくれてるの?」

「一人に絞れ、って言ったんだよ。不特定多数が相手じゃ、危ないから。俺なら、お前だって安心できるだろ?」

 そりゃ、まぁ、俺も知っている人なら、不安はちょっとは減るけど。

「迷惑じゃ、ない?」

「俺から提案したんだぞ? 迷惑なら、そんなこと引き受けたりしないって」

 ほらほら、ぼんやりしないで飯食えよ、って、芝田っちは平気な顔で笑った。促されて、おにぎりを一つ手に取るけど。

 手に持ったまま、それをもてあそんでいると、弁当箱を左手に、箸を右手にそれぞれ持って、芝田っちはまた、こちらを振り返った。

「あのな、加賀見。お前、ユウを受け入れてやれよ。お前たちの病気を治すのには、加賀見の意識を変えることが、たぶん必要なんだ。何で、ユウが毎晩毎晩男に抱かれると思う? 別に、淫乱なわけじゃないんだぞ」

 弁当を食べながらするような軽い話じゃないと思うんだけど。芝田っちはそこまで口にして、ご飯とおかずを口の中に放り込んだ。もぐもぐと噛み下し、話を続ける。

「加賀見は、ユウが生まれた原因を、知ってるか?」

「……知らない」

「叔父さんなんだって。無理やり、叔父さんに乱暴されて、一ヵ月毎晩され続けて、お前の心がそれを拒否したんだよ。代わりに叔父さんの相手を引き受けたのが、ユウだ。それ以来、ユウはお前を守り続けてる」

 それは、他人の口から聞くと、気の毒などこかの誰かの話のようで。真摯に話を続ける芝田っちの言葉を、俺は真剣に聞いていた。聞き入っていた。

 話は、昼休み中続いて、予鈴がなっても終わりそうになくて。

 叔父に、乱暴されていた話。叔父を殺してしまった話。その後の、身体の変調。すべてを、ユウは俺の代わりに被ってくれていた。それは、あまりにも残酷な、悲劇の顛末だった。

 俺も、芝田っちも、結局ほとんど昼飯を食べることが出来なかった。話は途中で遮ることが出来なくて。三年前よりも、身体と一緒に心も成長した今だから、ちゃんと受け止めたかったし、事実、ちゃんと受け止めていた。

 話が現在に及んで、芝田っちがユウのセフレになってくれた話まで終わったとき。

 俺の頬を涙が伝っていた。

 俺は今まで、夜に人格が入れ替わった俺を、軽蔑していた。夜な夜な街を徘徊して、男を漁って、誰にでも身体を開いて。そんなユウを、最低な淫売だって、心のどこかで思っていた。それは、母が事あるごとにそうやって蔑むせいだったけれど。俺自身もそれを鵜呑みにしてしまっていた。

 ちゃんと、そうしなくちゃいけない事情があったんだ。心のない、ただのセックス人形なわけではなくて。そんな形容はとんでもないくらい。俺を守ってくれていた。昼間の俺が、ちゃんと人間らしい生活をできるように。

 謝らなくちゃ。

 そう、思ったんだ。

「俺は、こうやってユウを引き受けたからね。出来ることなら、加賀見、お前も一緒に引き受けてやりたい。絶対に出会うことは出来ないお前たちの、橋渡しになってやりたいよ」

 泣き出してしまった俺をそっと抱き寄せて、芝田っちは俺の耳元にそう囁いた。俺は涙と嗚咽で大した返事も出来なくて。ただ、頷いただけだった。

 いつの間にか、五時限目開始のチャイムも鳴っていたらしい。

 ようやく涙を拭いた俺に、芝田っちはちょっとだけ困ったように、問いかけた。

「加賀見、五時限目って、何の授業?」

「……リーダー」

「花村先生か……。ま、後で俺から連絡しておくよ。俺も今日はもう授業はないし。放課後までここにいな」

 どうして?と、口にも出さずに首を傾げて返したら、芝田っちはその俺の表情がよほどおかしかったのか、ぷっと吹き出した。

「その泣きはらした目で教室に帰ったら、みんなに心配されるぞ。お前をここに呼び出したのが俺なのは、園江あたりが知ってるんだろ? 俺が泣かせたみたいじゃないか」

「みたいじゃなくて、そのとおりだけど」

「お、憎まれ口叩けるくらいは回復したな。よしよし」

 からかうように言うものだから、それにつられていつものように返せば、芝田っちはほっとしたように笑って、俺の頭を小さな子供にするように優しく撫でた。それから、ようやく自分の弁当に箸をつける。

「そうだ。お前、いつもコンビニ?」

「芝田っち。お前、じゃなくて、名前で呼んでよ。ユウだけ名前なんて、ずるい」

「ははっ。なんだ、妬いたか? いいぜ、弓弦だろ? 名前で呼んでやるよ。で、いつもコンビニなんだろ? 弁当、弓弦の分も作ってきてやろうか?」

「いいの?」

「おう。俺のと同じでよければな。一人も二人も一緒だ」

 その代わり、毎日ここで食えよ、と、そう言って、芝田っちはけらけらと笑った。それはそれは、楽しそうに。




 放課後。どうせ夜に迎えに行くんだから、うちに一緒に来い、と芝田っちに誘われて、俺は教室に置きっぱなしの荷物を取りに、教室へ戻った。そこに、園江と井上と遠野が三人固まって俺の席を囲んでいて、何かに困っている様子だったけど。

「どうしたの?」

 声をかけたら、三人は同時に振り返った。遠野が、ほっとしたように笑って見せた。その微笑んだ表情は、本当に友達を思う優しい表情で。たぶん、俺たちの中でも遠野が一番、人情味に厚い奴なんだと思う。心が弱っているときは、遠野のそばにいたくなる。

「なんだ、加賀見、いたんだ」

「荷物置いて帰っちゃったのかなと思ってさ。家に持ってってやろうかと思ったんだけど。そういや、俺たち全員、加賀見の家、知らないんだよ」

 それで、困っていたらしい。理由を聞けば、親切な友達を持って、俺って幸せ者、とか思うわけだけれど。

「俺の家、小田原だし。遠いよ?」

「遠っ! 何? 毎日、ここまで通ってるわけ?」

「加賀見、すげ〜。俺じゃ真似できねぇ」

 いや、家は駅まで歩いて五分だし、学校も駅から歩いて十分だし。全然すごくないんだけど。あんまりみんなが感心するから、ちょっと照れくさくなって、俺は苦笑を返す。

「じゃ、加賀見も帰ってきたし、帰るべ」

「あ、俺、部活」

 井上は、今日は部活の日じゃないのか、ごく自然にみんなを帰宅に誘い、園江はそこに手を挙げて一抜ける。

 っていうか、部活があっても俺を心配してくれた園江は、彼もまた付き合いが良いというか、友達思いというか。

 今年は、俺、友達に恵まれてるよなぁ、と実感してしまった。

「加賀見は、新松田?」

 それは、途中まで一緒に帰ろう、という意味だろうけど。この後約束があるから、それは断らなくちゃね。

「小田急だから新松田だけど。ごめん。芝田っちが送ってくれるっていうから」

「そっか。じゃ、また明日。無理すんなよ?」

 どうやら、具合が悪いらしい、と思われたようだ。身体を気遣われて、じゃあな、といってみんなと別れた。

 けど、具合が悪いなら、社会科準備室じゃなくて、保健室だよな、行き先は。そう、内心では冷静に突っ込みを入れたけれど。わざわざそこを気付かせる必要もないわけで、俺はそのまま、胸のうちに仕舞い込んだ。





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