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side ユウ


 最近、俺は自宅の庭の隅のほうで、向日葵を育てている。

 夜にしか行動できない俺だけれど、俺という存在がある事実を、こうして実際に昼間にも残るものとして、残したかった。

 弓弦と違って、俺は昼間の記憶も持っている。感覚でいうと……夢を見ている感じ、かな。弓弦が毎日を面白く生きていこうと頑張っている姿を、中から見守ってる。

 本当は、このままユウという人格が消えていくことが、一番望ましいことなんだと思う。

 他の多重人格者はどうか知らないけれど、俺は弓弦を傷つけたくないし、俺が生まれた原因もこの世にはすでにいないから、俺の存在意義もなくなったし。

 俺はね。弓弦を守るために、この世に生を受けた。その事を、俺はまったく恨んでいない。むしろ、弓弦のガーディアンであることを、誇りにさえ思っていた。それは、俺に気付いた弓弦が、俺を拒否しないでくれたおかげだろう。

 俺がどうしてここにいるのか、弓弦はたぶん、薄々気付いている。ただ、それを直視したくないだけなんだろう。

 俺を生み出したのは、もちろん、主人格である弓弦だけれど。生み出さざるを得ない状況を作ったのは、弓弦の意思ではない。むしろ、弓弦は被害者だった。

 叔父が、すべての原因だ。

 あの人は、子供の頃から弓弦を「ユウちゃん」といって可愛がった。一つ年下の柚子葉には目もくれずに。

 柚子葉以上に弓弦を可愛がる叔父に、弓弦も両親ももっと早く気付いていたら、こんなことにはならなかったのだろう。

 中学にあがった弓弦を、一緒に住んでいた叔父は強引に自室に連れ込むと、なだめすかしながら、そのがっしりとしたワイルドな大人の身体の下に組み敷いた。泣いて嫌がる弓弦を縛り上げ、愛してる、なんて押し付けがましい言葉で弓弦の抵抗力を奪い。

 それは、弓弦にとっては何事にも耐え難い地獄だった。いつもは優しい叔父が、夜になると急変する。それはもう、毎晩のように。

 その頃から、弓弦は学校で塞ぎこむようになり、友達もいなくなり、本当に孤独になってしまった。

 だから、俺が生み出されたんだ。夜の叔父の相手は、この世には存在しない「ユウ」という人格に任せる。そうすることで、昼間の弓弦を守ったんだよ。

 そうして逃げ出した弓弦を、俺は責めることができなかった。だって、一ヵ月も、彼は自分で精一杯頑張ったんだよ。でも、ダメだったんだ。その、最後の手段が俺だった。だから、俺には弓弦を責められない。どうして自分で背負わなかったんだ、って、言えない。頑張って、歯を食いしばって、それでもダメだったんだから。

 そうして、二つの人格を作った弓弦に、叔父は気付かなかった。その頃の叔父は、毎日昼間は仕事のために東京に出かけていて、夜にしか帰ってこないからね。つまり、「ユウ」である俺にしか会わなかったんだから。

 その事件が起こったのは、俺が生み出されて半年も経った頃だった。

 珍しく、日曜日に叔父が家にいたんだ。そして、珍しく、昼間のうちから弓弦に関係を迫った。

 もちろん、半年もの間、ほとんど毎日抱かれていたことなんて、弓弦はまったく知らなかったから。激しく抵抗したんだ。

 ベッドサイドに置かれていた、叔父の大事なカメラが手に触れて。おもいっきり、その頭に叩きつけて。

 それが、叔父の死因だった。

 弓弦は、その日のことをまったく覚えていない。

 そしてその日、弓弦の両親は、はじめて弓弦が二重人格になっていることに気づいたんだ。だって、俺に押し付けて忘れてしまったから何も答えられなかった弓弦に代わって、その一部始終を両親に語ったのは、俺だったから。

 結局、こんなややこしい事態を作り出した叔父は、こんな事態になっている事実をまったく知らないまま、この世から姿を消してしまい、弓弦と俺が、この一つの身体に共存したまま残されてしまった。それは、いまだに何も変わっていない。

 厄介だったのは、その後だった。

 何しろ、叔父は毎日夜になると俺の身体を求めてきたから。それが、条件反射として残ってしまったんだ。

 夜になると、弓弦の身体が性交を求めて疼きだす。弓弦本人はそのつもりがなくても、弓弦の本能は勝手にその感覚から逃げ出してしまうから、そのたびに俺が呼び出されて。

 身体の疼きを癒すためには、自慰だけではどうしようもなくて。俺は毎晩、夜の街を徘徊するようになった。

 夜の街に立っているとね。意外といるもんなんだよ。男の子に声をかける、一見真面目なサラリーマン風の男。もちろん、俺だって、男を漁っている自覚はあるから、売りをやっている雰囲気は出してるんだけれど。本当に、簡単に獲物がかかる。

 身体は、とっくに男を覚えたらしい。最近は、よほど下手くそな相手か、よほど身体の相性が良い相手でもない限り、前の晩の出来事を弓弦に感づかれる事がない。身体に痕跡が残らないから。けど、毎晩記憶をなくしていることはわかっているから、それなりの覚悟もついている。

 本当は、弓弦に俺のことでこんなに悩ませるのを、俺自身が後悔している。本当だったら、この人格をなくして、弓弦がすべてを受け入れられるのが一番良いんだ。でも、そのためにどうしたら良いのか。それは弓弦にも俺にもわからなくて。

 俺はもう、自分という存在がいらないものだと認識している。だから、消してくれてかまわないんだよ。

 そう、誰か、弓弦に伝えて欲しい。

 そのきっかけに、この向日葵がなれば良いと思う。叔父が嫌っていた、太陽の花が。




 それにしても、三年目にして最大の、大失敗をしてしまったものだと思う。

 まさか、学校の先生に見つかってしまうなんてね。

 それが芝田先生だったのは、きっと、不幸中の幸いだ。そう、翌日の昼休みに弓弦に言った彼の言葉から、俺は思った。この人で、良かった、と。

 昨日、芝田先生が小田原駅前にいたのは、いつもその辺をうろうろしている高校の教師と同じ、パトロールのためだったのだろう。ということは、今週中はあの辺に芝田先生がいるはずで。

 俺は、男を求めて疼く身体を持て余しながら、でも、他の男に抱かれる気にはならなくて、芝田先生を探した。

 別に、芝田先生に抱かれたいためじゃなかった。ただ、他の男とホテルに入ったら、芝田先生には会えないから。だから、我慢してた。

 芝田先生が俺とばったり出会ったのは、昨日も声をかけられた、あの場所だった。

「加賀見?」

 それは、でも、本当にもう限界に近いくらい我慢した頃で。俺は、声をかけられたとたんに、芝田先生にしがみついてしまった。

「ど、どうした? 何かあったのか?」

「ちが……。あの、芝田先生。二人きりに、なれませんか?」

 本当に、切羽詰っていたんだ。こんなことになるなら、男を誘っておけばよかった、って後悔するくらい。ここまで切羽詰ったのって、我慢してみようかって頑張ってみた頃以来で。

 俺の真剣な表情に、一体彼は何を思ったのか。

 昨日と同じ場所に停めた彼の車に、連れて行ってもらった。途中、大丈夫か?と気遣われながら。

 ホントに、優しい人だな、って。すごく実感してしまった。

 ワンボックスカーの横開きのドアを開いて、もつれ込むようにそこに座らされて、俺は芝田先生を強引に引きずりこんでいた。説得力は皆無だけど、でも、本当にそんなつもりはなかったんだけれどね。身体が、言うことを聞かないんだ。

「ごめんなさい。ちょっとだけ、協力して」

 昨日の今日で、彼が俺を抱けるとは思っていない。男の身体の仕組みくらい、同じ男だから、俺だってわかってる。叔父も、毎晩俺を求めてきたけれど、毎晩最後まで抱かれたわけではない。使い切った精力は、一晩では元に戻らないんだから、仕方がないんだ。

 迫られて、しかも謝られたことなんて、さすがに今までなかったのだろう。芝田先生は、すがりつく俺を抱きしめて、しばらくは悩んでいたものの、それから、背後のドアを閉め、椅子の背もたれを倒した。

 本当は、その手で俺を煽ってくれるだけでも良かったんだけれど。彼は最後まで俺に付き合ってくれて。昨日ほどの激しさはないけれど、慈しむように俺を抱き、一緒に上り詰めた。

 身体の疼きは、今までが嘘のように、すっと引いていた。

 服を整えて、改めて向き合って。今の切羽詰った態度は一体なんだったんだ、と俺に問いかけた。

 それは、怒っているようには見えなくて。ただ単純に、不思議そうだった。

 俺は、その事をちゃんとこの人に話して、弓弦を助けてもらおうと思っていたから、隠すつもりもなく、すべてを打ち明けた。

 昔、叔父に無理やり暴行されたこと、身体が男を求めて疼くこと、無理に抑えると自傷行為に走ってしまうこと。自分を傷つけないためには、誰かに抱かれるしかなくて。

 そして、本当は、こんなことはやめてしまいたいと思っていることも。

 打ち明けたすべてを聞き終えて、芝田先生は、ゆっくりと俺を抱き寄せた。

「辛かったんだな。よく頑張ってる。偉いよ」

 それは、俺にはとても衝撃だった。だって、偉い、って誉められたこと、俺は一度もないからね。

 母親は、夜家にそっと帰ったときにばったり出会ったりすると、蔑んだ目で俺を見るし。父親は、自分の弟が原因でこんなややこしい状況になってしまっているという罪悪感からか、優しい声はかけてくれるけれど、別に労われたことはないし。

 それを、他人である芝田先生は、なんとも自然に、やってのけてくれたわけで。

 正直に、ありがたいと思う。素直に、嬉しかった。嬉しくて、涙が溢れてくるくらい。

「なぁ、加賀見。その相手って、一人に絞れないのか?」

 心の底から、心配してくれているのだろう。俺の顔をまっすぐに見つめて、彼はそう問いかけてきた。けど、俺は首を振るしかない。それは、無理だから。

「……無理だと思う。俺はできるならそうしたいけど、毎日求められても、そんなに答えられないでしょ?」

「挿れないと、ダメなのか?」

「うん。ダメ」

 はっきり否定したら、そうか、と困ったように彼は俯いた。別に、芝田先生が困ることではないんだけれど。本当に、自分のことのように困ってくれた。なんか、嬉しかった。

「でも、一人に、って?」

「あぁ、うん。本当は、彼氏が良いんだろうけどな。セフレで良ければ、俺がなろうかな、って」

 それは、思ってもみなかった答えだった。芝田先生、そこまで俺を心配してくれてたんだ。俺か、弓弦かはわからないけれど。

「なぁ。ためしに、俺一人に絞ってみないか?」

「ためしに?」

「そう。不特定多数の相手じゃ、それが誰なのかもわからないし、変な性癖持ってる奴とか、病気を持ってる奴とか、そういうのに引っかかる事だってあるだろう? それに、関係を持たずにいられる方法を、今のうちから模索しておかないとな」

 それって、どういう意味だろう? 確かに、前半はわかるし、そういう意味では一人に絞りたいとは思うけど。後半は?

「俺を消す方法も?」

「違うって。今は若いから良いが、後々、毎晩やってたら身体が辛くなる。だから、今のうちから、簡単に紛らわす方法を探しとけ、ってこと」

 たとえば、玩具とかな。そう言って、さすがに少し恥ずかしそうに頬を染め、芝田先生はそっぽを向いた。そこまで考えてくれることが嬉しくて、俺はくすっと笑ってしまったのだけれど。

「なんだよ。笑うなよ」

「だって、先生。言ってることすごく大胆なのに、恥ずかしがってるから」

「恥ずかしいんだよ、実際。でも、加賀見は、恥ずかしがってられる状態じゃないんだろ?」

 そうやって恥ずかしがって見せるのが、何か遠慮がない感じがして、嬉しいんだよ。夜の俺が、嬉しいと感じるなんて。初めての感覚。

 どうせなら、できれば、弓弦とは区別してほしいな。

「ユウだよ」

「……へ?」

「ユウ。俺の名前。加賀見、は弓弦に使ってよ」

「ユウ、か。俺は、一之だよ。芝田一之」

「一之さん?」

「そ。よろしくな、ユウ」

「うん。よろしく」

 セフレ契約、成立。





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