向日葵と月下美人 1
side 弓弦
高校の二年生になって、俺には好きな人ができた。
小石睦月といって、同じクラスの男子生徒。
別に、男子校というわけではなくて、女子も半分くらいいるんだから、普通に女子に恋人を探せば良いのにさ。何故か、好きになったのは男だった。
俺にとっては、初恋。
今までは、女の子しか目に入らなかったし、男を性的な対象として見ることに、まぁいろいろあって、ものすごい抵抗があるものだから、最初にそれを自覚したときには、強烈にショックだった。
とは言っても、気になるのは気になるわけでね。
人見知りするのか、クラスにいてもなんだか浮いた存在になってしまっていて、それを自覚しているのか、普段からとてもおとなしい。おとなしいというよりは、何事も一歩下がって他者に功績を譲ってしまうところが、歯痒く感じるくらい、自分を影に追いやる人だった。
かつての自分がそうだったからさ。余計に気になるんだよね。
俺も、中学時代は小石のように、自分を抑えて生活していた。功績は他者に譲って、とにかく目立たないように。これ以上、自分の心を傷つけられるくらいなら、何も変化のない日常にいたくて。人の意識に触れなければ、誰も俺に干渉してこないからね、傷つけられる心配もない、っていうわけで。
でもさ、それってとても、寂しいんだよ。
誰もいない無人島に一人でいるなら、もしかしたらここまで寂しくならないかもしれない。けれど、俺がいるのは周りにクラスメイトが大勢いる、集団生活を余儀なくされる学校という場所。こんなところで一人でいると、自分が一人だということを否応なく実感させられてしまう。だから、余計に寂しくなってしまうんだ。
それに、気付いたのが中学卒業間際で。
高校に入ってからは、積極的に人と関わるようになった。とはいえ、小さい頃から精神的に弱っている俺は、他者と深く関わりあうことを怖がってしまうから、本当に表面だけの付き合いでとどめる。学校にいる間は、友達と楽しくおしゃべりをするけれど、プライベートな話題は避けるし、自分のことはまず話したことがない。
この生活でも十分いけるじゃん、って手ごたえを感じたのは、一年間そうして頑張ってみた成果だった。
学年があがるときに、この学校では必ずクラス替えがある。選択教科のせいだ。俺の場合、普段ふざけあっていた友達はみんなばらばらになってしまっていた。
それを、俺は、好都合だと思ったんだけどね。だって、長く付き合ってると、どうしても個人的な深い話とかもするようになるじゃない。それを、避けていたんだから。
その、クラス替えになった新しい教室で、俺は初めて小石に会った。
第一印象から、小石は何か深い傷を抱えているのはわかっていた。それはきっと、水恐怖症のせいではないんだ。だって、水が怖い、という話は、比較的早いうちから聞いていたからね。彼の口から。
彼が気になってしまうのは、同類を見つけた嬉しさのせいだと、自分で分析している。それはきっと、間違いないんだろう。だから、これはきっと恋じゃない。それも、初恋を自覚して結構すぐの頃にわかっていた。
それでもね。気になるものは気になるんだよね。
彼は、普段からずっと独りでいるんだけれど。うちの学校は何かというと集団行動をさせる上に、必ずその集団は五人組を組まされる。俺は、園江、井上、遠野の三人グループに混ぜてもらって一緒に行動していたから、一人でいる小石を誘うにはちょうど良くて。グループ行動のときは、いつも小石を入れた五人組。
でも、そうやっていつも同じ五人組なのに、小石は俺たちに打ち解けようとはしないんだ。なんだか、いつも申し訳なさそうに縮こまっている。
それを、園江も井上も遠野も、気にかけているらしい。いつも一緒にいてくれたら良いのに、って誰かが言っていた。もしかしたら、全員かな?
しばらく彼らと行動していて、俺は園江が小石に惚れているのに気がついた。行動も、目線もね、俺を見てくれ〜って、猛アピールしているのが、傍目で見てわかりやすいくらいにわかるんだよ。
そのときには、これは恋じゃない、って気付いていたからね。同類の彼に、俺の分までに幸せになって欲しい、って思った。だから、小石じゃなくて、園江にちょっかいを出し始めたわけ。
「俺さぁ。小石のこと、好きなんだよねぇ。協力してくれない?」
そんな風に、本当はもうとっくにそんな風には思っていないことを、さも困った風に言ってみせた。それは、園江がまだ、自分の気持ちにも気付いていないみたいだったから。
その時、案の定、な答えが返ってきた。それはもう、笑っちゃうくらいに予想通りの。
「え? だって、小石、男だぞ?」
「いいじゃん、男同士だって。好きなもんは好きなの。だって、あんなに美人で儚げなんだよ。守ってやりたくなるじゃない?」
お前だってそう思ってるんだろ? 自覚しろよ。
そんな思いをこめて。
俺の作戦に、園江はまんまと引っかかった。その日から、園江の小石を見る目が明らかに変わってたんだ。「心配する友人」ではなく「恋する男」の目に、ね。
ホント、園江って素直な奴。
小石と園江が、このまま幸せになってくれたら良いなぁって。そんな風に思ってから、俺ははたと気付いたんだ。こんなにも、人に深く関わったのは、初めてだった。そしてそれは、そんなに悪い感覚ではなかったんだ。むしろ、大変好意的。
俺、この二人、好きなんだなぁ。そう、改めて実感した瞬間だった。
家に帰れば、毎日の日課が待っている。
家は小田原の新幹線口に程近い、昔は高級住宅地といわれていたところにある。高校は、そこから電車に乗って三十分はかかる、松田の方。東名のインターとかが近い。
小田原からそんな遠くまで通っている人は、そう多くはない。
地元から離れて、誰も知っている奴がいないところに進学したくてね。あえてそこを選んだんだ。
学力を考えたら、もっと違う、進学ベースの高校に通うべきだって、いろいろな人に言われた。でもその高校を選んだのは、何より駅に近かったせいだ。駅を降りてから、便の悪いバスに揺られてしばらく移動するなんて、ちょっと嫌だった。そんなくらいなら、進学の勉強を自分で通信教育かなんかで頑張ってでも、楽な学校に通いたかったんだ。
今では、正解だったと思っている。実にのんびりした校風でね。不良やら落ちこぼれやらに分類される生徒もいなくて。比較すれば、勉強も運動もできる方に振り分けられる俺だから、本当にのんびりした学校生活を送っている。
ただし、家に帰るのがその分億劫ではあるけれどね。
「あら、弓弦。帰ってたのね」
ただいま、も言わずに玄関を入った俺を見つけて、母は玄関脇の和室から偶然出てきて俺を見つけ、そう言った。仕方がないので、ただいま、と挨拶する。
今日もまた、お客が来ている。
母は、自宅で生け花の教室を開いている。その生徒さんが、毎日入れ替わり立ち替わりやってくるのだ。和室はおかげで、花の匂いで充満していて、俺にとっては地獄に等しい。花の香りって、きついものはすごく強烈でね。頭痛までする。
母はどうやら、新聞紙を取りにきただけだったらしい。俺の目の前を通って居間へ行き、新聞紙を持ってまた和室に戻っていった。
部屋に戻って制服を私服に着替えたら、俺はすぐに仏間へ降りていく。これが、俺の日課。
ここに、代々のご先祖と共に、叔父が眠っている。子供の頃から俺を可愛がってくれた叔父は、俺が中学一年生の暮れ頃に亡くなった。死因は、俺は知らない。誰も教えてくれないんだ。
叔父は、俺をユウと呼んで可愛がってくれた。
その世界では名の知れた、動物写真家でね。俺の本棚には、彼が撮影した動物の写真集が三冊並んでいる。被写体は、街に住むペットや野良、それに、日本の里山に出没する野生の動物たち。北海道とか沖縄とか、日本国内ならどこへだって出かけていって写真を撮る叔父は、それでも海外へ行くことは結局一度もなくて、家族全員が安心して送り出していた。心配といえば熊に襲われるくらいだから、確率はそんなに高くないから。
本が出ると俺に必ずプレゼントしてくれた叔父に、俺もかなり懐いていた。そんな記憶がある。
けれど、やはり死者は日々に疎くなるのか、思い出はもうほとんどかすれてしまっていた。その優しい笑顔だけが、唯一写真を通して思い出せる。
別に、毎日叔父に線香をあげることを、誰かに強要されているわけではない。けれど、俺自身がそうしないといられない強迫観念にとらわれている。
まぁ、そうした方が心穏やかでいられるのだから、深く考えるのはやめよう。
「あ、やっぱりここだ」
後ろから声をかけられて、俺は正座を仏壇に向けたまま、頭だけ振り返った。
そこに、制服のスカートを膝上20センチくらいに上げて、その格好で仁王立ちする妹がいた。
っていうか、妹よ。見えてるぞ、中の勝負下着みたいな派手派手のパンツ。
今更、妹の下着覗いたって、どうってことはないけれどね。慣れたし。
「お兄ちゃん、やっぱ、変。なんで仏壇の前に30分も座ってられるわけ? わけわかんない」
そんなこと言われてもなぁ。俺自身わかっていないのに、答えられるわけがないだろうが。
「何だよ、柚子葉」
「宿題♪ お願い、お兄ちゃん」
「たまには自分でやれよ。先生たちの期待の星なんだろ?」
「人の期待なんてどうでも良いの。宿題なんて、めんどくさいだけなんだもん。お兄ちゃん、私の宿題やるの、勉強になって良いって言ってたじゃない?」
「まぁ、困るのは俺じゃないし、良いけどな」
こんな時ばかり俺に甘えてみせる妹に、俺は苦笑を返し、仏壇の前を後にする。後ろ髪を引かれて、振り向けば、叔父の位牌が少し翳って見えた気がした。
居間で、妹が差し出した高校一年生の数学の教科書と彼女のノートを受け取り、それを広げる。それは、俺が去年学習した教科書よりも数段レベルの高い教科書で、用意されている練習問題も難易度が上がっている。だから、俺にとっては復習をかねてより高いレベルの勉強ができるわけで、妹の宿題を代わりにやってやるのも、あまり苦ではない。妹の学力向上のためには良くないんだけどな。
始めてしまえば黙々と問題を解いていく俺に、それでも少しは悪いと思っているのか、コーヒーを淹れてくれる。まぁ、自分の分も淹れて、ついでにお菓子まで食いながら俺の手元を見つめるところを見ると、そのコーヒーも自分の分のついでなのだろうけれど。
「ねぇ、お兄ちゃん」
しばらく黙って俺を眺めていた妹が、突然声をかけてきた。普段なら、自分のおやつの時間が終わると、後はよろしく、なんて押し付けて遊びに行ってしまうような妹だから、珍しい。
「ん?」
「お兄ちゃんの月下美人。今年も咲くかな?」
なんだか感慨深げにそう言われて、俺は一瞬、言葉に詰まった。
俺の月下美人、というのは、言葉のとおり、俺が育てている月下美人の鉢植えのこと。中学一年生の時から育てていて、毎年夏になると、一晩だけ見事な花をつける。その、一年に一度しか咲かない、七夕みたいな花を、俺は丹精こめて育てている。誰の手も借りずに。
「咲くだろ。枯れてないし」
せいぜい興味なさそうに装って、俺は簡潔にそう答えた。それを知ってか知らずか、妹はにっこりと笑う。
「今年こそ、お兄ちゃんも見られると良いね」
「……そうだな」
本当に。俺も、この目で見たいよ。俺が育てた月下美人の花を。
「柚子葉」
「ん?」
「今年も、写真、頼むな」
「おっけ〜。任しといて。今年はビデオもばっちり撮っておくからね♪」
楽しそうに請け負ってもらって、俺は少し苦笑を返す。そして、それからまた、宿題に戻った。
しばらくは俺の手元を見ていた妹だったが、ふと時計を見上げ、やだ、もうこんな時間、とか言いながら出かける準備をすると、いつものように宿題を俺に任せっきりにして、家を出て行った。
あれで、九時くらいまで帰ってこない妹を振り返り、俺は少し呆れてため息をつく。
まぁ、月下美人は夜中咲いているはずだから、写真を撮り損ねることはないだろうけどね。
実は、せっせと育てている月下美人の花を、俺は見られない。いや、夜に咲く月下美人を見られたら、きっとこの病気も治るはず、ってそう思って育てているんだけれどね。
俺には、もう一つの人格があるらしい。そう気付いたのが、月下美人を育てようと思ったその年だった。
夜になると現れる、二つ目の人格。その俺は、必ず家を出て行き、夜中にそっと帰ってきて早々に寝てしまうそうで、妹からは、いつの間にかいなくなっていつの間にか帰ってきてるのよねぇ、と言われていた。
気付いたその年から、俺はいままでずっと、定期的に精神科に通って、カウンセリングを受けている。だって、夜に人格が交代してしまうということは、学生のうちは昼間だけだから良いけれど、社会人になったときにどうするんだよ、って焦ったから。仕事を途中で投げ出すわけにはいかないし、残業しないわけにはいかないだろうし。
カウンセリングに通い始めて三年経っても、症状は一向に改善せず、夜になれば記憶を無くす。
それは、もちろんその間に何が起こっているのかわからない不安をずっと抱えているのだけれど、反対に、もう一つの人格も俺に危害を加えようとはしないから、いい加減慣れはじめてもいて。
ずっとこのままでも良いかなぁ、なんて投げやりになっている自分がわかって、ちょっと複雑だったりするのだ。
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