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 橘春賀の現在の住まいは、湯島の年代物のアパートである。

 孝虎は、休日になると決まって十時に春賀のアパートを訪ねる。若の一人歩きは大変危険で、それだけはやめてくれ、と他の幹部たちに泣きつかれているので、中村も常に同行している。地下鉄を乗り継いで、駅から徒歩十五分の道のりを、飽きもせずに通いつめるのだから、よっぽどのことだ。

 春賀は、平日の夜は近所のコンビニでアルバイトをしていて、孝虎と会えるのは土日だけなので、いつの間にか、土日は一緒に遊びに行く日、と双方に暗黙の了解になっていた。

 出来れば夜まで遊び倒したいのだろうが、土曜日といえば孝虎管轄の系列店は軒並み稼ぎ時で、夜は仕事で各店を回らなければならず、こうして健全に、昼間だけ遊びに出かけていた。

 今日は、どうやら横浜の方まで足を伸ばすらしい。質素なカジュアルスタイルの春賀を連れて、同じようにカジュアルな格好をした孝虎は、再び地下鉄駅へ向かった。少し離れて、常にスーツ姿の中村が追いかける。ほとんど、刑事の尾行状態だ。

 駅前には、専属運転手付きの孝虎のシーマが停まっていた。

「目立つかな?」

「シーマ自体は普通なんだけどね。ゴツイ運転手付きだからな。何様?って感じかも」

 二人は、その立場と身の危険よりも、目立つことの方が気になるらしく、のんきにそんな会話をしている。常々、自分の立場をわきまえて行動してくれ、と頼んでいる中村にとっては頭の痛い話だ。ここでチンピラにでも襲われたら、無事でいられる保証はないというのに。

 完璧なエスコートぶりで後部座席のドアを開け、まず春賀を中に入れる。自分もそのドアから乗ったところを見ると、どうやら詰めさせたらしい。女の子相手なら、自分は反対側のドアから乗るところだから、そのあたりは同性の友達の扱いだ。

 二人が乗り込んだシーマは、交差点の斜め向かいに佇む中村の側に寄せてきて、自然にそのスーツ姿を引き込む。そして、首都高速に向かって走り出した。

 後部座席では、そろそろこんな特異な状況にも慣れてきた春賀が、少しだけ緊張した表情で運転席の後ろに座っていて、話しかけてくる孝虎に笑う。孝虎の表情は、多種多様な女の子たちと付き合ってきた中でも、とびきりの幸せそうなゆるみ顔だ。中村の口から、思わずため息が漏れる。

「へぇ。春賀、免許取るんだ」

「もうすぐ夏休みでしょ? バイトしばらく休んで、合宿で取ってこようと思って。孝虎は? 持ってる?」

「持ってる、っちゃあ、持ってるけどさ。ペーパーなんだよ、いつも運転してもらってるから」

 あぁ、そうかもねぇ、と春賀が相槌を打った。

 それにしても、この人を名前で呼び捨てに出来るとは。他の組員たちがこの会話を耳にしたら、怒るより先に驚きで卒倒するかもしれない。そんな風に勝手に想像する中村である。それだけ、孝虎は恐がられている。こんなに温和な性格をしているのにもかかわらず。

 こんなほのぼのした会話を聞いていて、運転手の勝元が、珍しく、くっと喉を鳴らした。どうやら笑ったらしい。

 何しろ、自分がいるせいで若がペーパードライバーになっている事実は、今更確認するまでもなく事実であり、だから免許など取らなければ良いのに、と言われたほどなのだ。それを改めてしみじみと言われては、笑うなという方が無理である。

 前の二人が二人しておかしそうに笑っているのに気づいたのだろう。何だよ、と不機嫌そうな声を出して、孝虎は助手席を蹴飛ばした。その行動が子供っぽくて、春賀も隣で笑い出す。

 笑っているときの春賀は、孝虎でなくとも、変な気を起こしてしまいそうになるほど、実はかなり色っぽい。ただでさえ端正な顔立ちをしていて微妙に女顔でもあるので、ありていに言えば、美人なのである。それは、笑うことでさらに際立つらしい。開けっぴろげでなく、あくまでも上品に笑うせいかもしれない。

 思わず、そんな表情に見とれてしまう中村である。それで、あとで嫉妬した孝虎に虐められてしまうのはわかっていても、目を奪われてしまうのは仕方がないのだ。

 この三年、春賀を誘っては日帰りで遊びに行く孝虎に従っていて、勝元は東京の時間別渋滞事情を把握したらしい。本来ならば日中はモグラのように日の当たらない場所にこもっているこの業界にあって、おそらく最も昼の東京の道を知り尽くした男だ。

 横浜への道も、激しい渋滞には巻き込まれずに、比較的スムーズに走っていた。下手に小さな混雑を避けて大渋滞にハマるよりは、とりあえず流れる道を選んでいくのが最も所要時間の短い経路の取り方であるらしい。

 土曜日の昼間では首都高速も目立った渋滞はなく、楽に湾岸線へ抜けていく。目指す先は本牧ふ頭だそうだ。そんなところに何の用があるのか、不思議ではあるのだが。





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