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 結局、改めて鏡を見てその痣を確認して、山梨氏はため息と一緒に今日のバイトをあきらめた。三ヵ所ほど電話をして、シフトを変わってくれる人を見つけたらしい。悪い、頼む、と頭を下げていた。申し訳ないことだ。

 彼は、孝虎の誘いを断りきれず、三人で一緒に夕飯を食べることになった。これまた駅のそばの、少し寂れた飲み屋に場所を移動する。ここの定食がおいしくて、孝虎はすでに常連客だし、俺も二度ほど連れてきてもらっている。

 とりあえずそれぞれに飲み物を手にすると、孝虎はまたもや、深く頭を下げた。

「本当に、すまなかった。まだ痛むか?」

「いや、もうだいぶ痛みは引いた。ガキの頃は日常茶飯事だったしな」

 それは、なんとも見かけによらない返事で、少しびっくりしたけれど。驚いたのは孝虎も同じらしくて、へぇ、と感心して返した。

「その割には、落ち着いてるな」

「高校に入る前に、足洗ったし。ちょっと生まれが複雑でな。運命には負けたくなくて、意地でも大学出てやる、って頑張ったから」

「今は、何を?」

「大学病院で、カウンセラーの助手みたいなこと。臨床心理士目指して猛勉強中さ」

「それで、大学院に?」

「そ。院卒じゃないと、受験できないからな。国家試験ってのは、厄介で困るよ」

 それだったら、大学を卒業したときにそのまま大学院に進んでしまえばよかったのに、と俺なんかは思うけど。受験のわずらわしさも、入学金とかも、一般受験よりは優遇されているはずだ。まぁ、きっと何か理由があるんだろうけれど。

「へぇ。それで寝る間も惜しんでバイトしてるのか。えらいな、あんた」

「いや、それほどでも。……俺のことより、あんただよ、住吉さん。駄目だって、こんな精神的に弱い恋人放っといちゃ」

 おせっかい焼きなのか、心配性なのか、ただ単に照れ屋なのか。自分の話は早々に切り上げて、そうやって話を蒸し返した。俺は返す言葉も無く、思わずうつむいてしまう。孝虎の返事は、わかっている、というような、相槌だった。

「あぁ。そうだな」

「じゃなくて。はるかさんを不安にさせた理由はなんなわけ? 事と次第によっちゃ、俺もおせっかい焼いちゃうよ?」

 今でもすでに十分おせっかいは焼いているのだが。そんな脅し文句で山梨氏は孝虎に詰め寄った。それは、立場を考えれば、かなり無謀な行為だが。地面にめり込むほど反省している孝虎は、それを不快に思う余裕も無く、肩を落とす。

「まさか、春賀が帰ってくるとは思って無くてな。春賀、連絡しないで帰ってくるしよ。だから、昨日は実家に泊まってきた。ちょうど、親父に決済出してもらう用事もあったし」

 ほらね。ふたを開けてみれば、どうせ理由はそんなところ。俺の取り越し苦労なのは、良くわかってるんだ。だから、帰ってくるなら連絡しろって、と苦笑する孝虎に、俺はちょっとうなだれてうつむいたのに。そうやって軽く叱った孝虎に、山梨氏はさらに呆れたようにため息をついてみせ、軽く睨んだ。

「住吉さん、あんたも反省してるか? 確かに、連絡しなかったはるかさんも悪いんだろうよ。けど、この長期連休に帰ってこないと思うほうが甘いだろ。……っていうか、はるかさん、どっか行ってるのか?」

「弁護士の卵でね。研修中」

「泊り込みで? それは大変だ。っていうか、はるかさんって、見かけによらずエリートなんだなぁ。ちょっとびっくり」

 うーん。そこはびっくりするところではないと思うんだけどな。そもそも、彼の話は話題がぽんぽん変わって、ついていくのがちょっと大変。きっと、頭が良いんだろう。話題が飛ぶ割に、話しやすいし。

「とにかくね、住吉さん。あんたが悪いよ。この人、不安にさせちゃ駄目だって。死なれてから後悔しても遅いんだよ?」

「あぁ、わかってる。春賀とは、話し合うよ。悪かったな、他人のあんたに余計な心配をさせた」

「いや、まぁ、おせっかいなのは性分だし。んでさ。親父さんに決済をもらうってことは、あれ? 住吉さんって意外とボン?」

 悪かった、とまたもや頭を下げられて、山梨氏は照れ隠しにそんな風に話題を変える。ボン、というのは、きっと、どこかの御曹司、という意味なのだろう。まぁ、間違ってはいないけれど。そんな問いに、孝虎も隠そうともせずにぶっきらぼうに答えてしまうし。

「住吉の若頭」

「あぁ、そっちのボン。それは失礼しました。でも、へぇ。若頭の恋人が弁護士か。これ以上ない最強カップルだね。おこぼれに預かっても良い?」

「そんなもんで償いになるならな」

「償いなんて、要求する気も無いって。住吉さんがはるかさんを幸せにしてやることくらいだよ、俺が望むのは」

 あははっと、山梨氏は軽く笑って返してくれた。その頬の真っ赤な痣は、明日にも赤黒く腫れて、バイトにならないはずなのだが。ガーゼでも張るつもりだろうか?





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