2
駅を出ると、俺たちは同時に立ち止まった。
「何食いたい?」
立ち止まった理由はそれらしい。そう言われても、まだ時間が早いせいで、全く食欲がないから、思いつかないけど。
そう思って困っていたら、山梨氏はその間も周りを見回していたらしく、お、と声をあげた。
「あそこ、行こうぜ。定食屋。うまいし安いし量がある」
その選択は、本気でこの誘いに他意が無いことを証明していた。定食屋なんて、飯を食う以上の意義は無い。
「次のバイトって?」
歩き出しながら、俺はさっきの会話で引っかかったところを問いかける。質問の意味を一瞬考えて、山梨氏は初対面の俺にはぐらかしもせずに答えてくれる。
「ん? あぁ、えぇと。七時から。この近くの居酒屋でホール係だよ。まだはじめたばかりで慣れないんだけどな。一緒に働いてる連中も、いまいち仕事に身が入ってなくて、職場環境がよくないし。良いバイト先、ないかなぁ? 実入りがよくて、夜からの数時間だけのバイト」
「難しい相談だね」
「まぁな。でも、稼がなきゃいけないし、毎朝六時起きだから日が変わる頃には家にいたいしな」
「昼からの仕事にすれば?」
「だめ。昼の仕事メインだから。それだけじゃ、収入が心もとないんだよ。大学院に行きたいから、金稼いでんの」
「大学院? それはすごい」
「だろ? 奨学金も考えたんだけどなぁ。あれって、返さなきゃいけないじゃん? 将来わかんないから、それも不安なんだよなぁ」
まるで世間話のように、彼は自分の将来を語った。もしかしたら、行きずりの相手だからこそ、なのかもしれない。
駅の入り口からターミナルを挟んだ反対側の定食屋にたどり着いて、彼がその自動ドアのプッシュボタンに手を伸ばしたときだった。
「春賀っ」
少し離れたところから、聞きなれた人の声。幾分焦った様子で、小走りにこちらへかけてくる。
俺の名が呼ばれたことで、それが知り合いであることは察しがついたのだろう。店に入りかけていた山梨氏も、こちらに戻ってきた。
「知り合い?」
「……同居人」
「なんだ。彼氏がいるのか。だったら、死のうとなんてするなって」
「気持ち悪い、って思わないの?」
「俺自身が男に惚れてりゃあな。……にしても、怖い雰囲気の彼氏だなぁ。遊ばれてんじゃないの?」
なんだかもう、問題発言と爆弾発言を連発しつつ、彼はテンポよく俺と掛け合いをする。その最後の方を、孝虎も聞きつけたらしい。まったく、運の悪いことに。
「てめぇ、何モンだよ。春賀に手ぇ出してんじゃねぇっ」
どかっ。走ってきた勢いとともに、孝虎の拳が山梨氏の頬にめり込んだ。あまりに突然のことで、俺が制止に入る隙もなかった。山梨氏は殴られたまま、後方に吹っ飛ばされる。
「えっ、ちょっと、孝虎っ! 何してるのっ!?」
尻餅をついた山梨氏に馬乗りになって、さらに殴ろうと拳を振り上げるから、俺はようやく、大慌てでその振り上げた腕を押さえ込んだ。
今更ながら、孝虎の力強さを思い知る。腕一本を、俺は両手で抱え込んで、それでも振り払われそうになる。守られているときは心底安心できる強さも、こうやって怒りに箍が外れてしまうと、脅威でしかない。
「離せ、春賀。お前も、こんなやに下がった奴に口説かれて嬉しそうにしてんじゃねぇ」
「そんなんじゃないって。落ち着いてよ、孝虎。その人は、恩人なのっ。恩をあだで返す気っ!?」
どんなに頭に血が上っていても、決して俺には暴力を振るわない孝虎は、腕を振って俺を振り落とそうとしていた。が、恩人の一言に、はたとわれに返ってくれる。
「……恩人?」
「そう。ホームから線路に落ちそうになってたのを助けてくれたのっ」
動きを止めた孝虎に、俺はそう、畳み掛ける。疑わしげな表情を、孝虎は俺ではなく自分が殴り飛ばした相手に向けた。つまり、俺の言うことは100%信用することができないという意味だろう。失礼な奴。俺が孝虎に嘘なんて言うわけが無いのに。
「本当か?」
「……無気力な自殺に近かったな」
「……すまん。立てるか?」
「立てるから、とりあえずそこをどいてくれ」
何で、俺の言葉よりも初対面の人の言葉を信用するのかな、孝虎は。ちょっと、納得がいかない。
さすがに自分を殴った相手の手を借りる気は無かったようで、山梨氏は自力で立ち上がり、ズボンについた土ぼこりを払った。その頬にはくっきりと真っ赤に殴られた痕がある。これじゃ、居酒屋のホール係は無理だろう。
「あぁ、痛ぇ。力いっぱい殴られるなんて、いつ以来だろう」
「本当に、すまない。この落とし前はつけさせてもらう。何でも、請求してくれ」
似合わないくらいに深々と孝虎は頭を下げ、山梨氏はそんな詫びの入れように苦笑で返した。
「んなことはいいけどよ。とりあえず、移動しねぇ? こんなところにいたら、店に迷惑だろ」
こんな状況でも、山梨氏の言葉は実に現実的だった。
[ 42/49 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]戻る