Accident in GoldenWeek 1
もちろん、わかっていなかったわけではないんだ。
俺の恋人は、夜の住人で、しかも休日は稼ぎ時だから、ゴールデンウィークなんて俺に付き合ってる暇はないんだって。
でもさ。意外に忙しい司法研修の貴重な大型連休だよ。帰ってこないと考えるほうがおかしいだろ。
今年のゴールデンウィークは、見事に平日のみの三連休で、埼玉の合宿所から大田のマンションに帰ったのは二日月曜日の夜。
もちろん、孝虎はいないと分かっていた。だって、孝虎の勤務時間って、夕方から明け方までだもの。いるわけがない。
ところが。
その晩、孝虎は結局帰ってこなかったんだ。
そりゃね、帰るよ、って連絡しなかった俺も悪いよ。でも、家に帰って来ないなんて、思わないじゃない。
それが、昨日。つまり、今日は五月三日で、全国的に休日。
一晩明かして次の日のお昼になっても孝虎は帰ってこないから、俺は置手紙をして部屋を出てきた。
行き先なんてないから、その辺をぶらぶらしようと思って。
ホントに、散歩程度のつもりだったんだけどね。
気がついたら、駅のプラットホームに立っていた。
そうそう。どうせ孝虎がいないなら、埼玉に帰ろうって、思ったんだ。何考えてんだろう。着替えとか入ってる荷物は、部屋に置きっぱなしなのに。
気がついて、でも、なんだか引き返す気にならなくて。
京浜東北線の電車が、ひっきりなしに停まっては発車し、通り過ぎていく。それを、ぼんやりと眺めていた。
そういえば、一人でこんな風にぼんやりするのは、何年ぶりだろう。
もう、精神状態はきっと最悪で、何も考えたくなくて、将来のことなんて脳裏をよぎったりすれば、もう、何もかもどうでも良くなって来て。
きっと、大型連休真っ只中で、忙しいんだと思う。だって、今年は、月曜日と金曜日を有給休暇なんかで休めば、十連休。今日は丁度真ん中。忙しいならそれもピークを迎えている頃だろう。
でもね。相手は孝虎なんだ。
信用していないわけじゃない。きっと、何か事情があるとは思う。
けど、あの人は、休みの日にまでそんなにがむしゃらに働く人ではないんだ。
だから、思わず勘繰りの虫が騒ぐ。
もしかして、俺がいないのを良いことに、本当は大好きな女の子とイチャイチャしてるんじゃないか、とか。
俺自身が浮気なんじゃないか、って不安も、実はいまだに消えてはいない。
だって、ホントに、元はノーマルな人なんだよ。男もイケるけど、女のほうがより良い、って。
そんなことを言うと、孝虎は本気で怒るから、言わないようにしてるんだけどね。
ただでさえ、一ヵ月離れて暮らしているから、だんだん不安になってくる。元々、悲観癖がついてるもんだから、余計にね。
孝虎には、楽観的だって言われるけど、それはきっと、自分自身が努力してそうしているだけなんだ。だって、俺の思考って、放っておくとどんどん暗い方へ突き進んでいってしまうから。
そして、そんな暗い自分に酔えるんだよね。最悪なことに。
今だって。
こうして電車に乗るでもなくプラットホームに立って、やってきては通り過ぎていく電車を眺めていると、時間の感覚がなくなっていく。四、五分おきにやってくる電車が、あまりにも一定間隔だから、余計に自分の立っている場所がわからなくなってくる。
そうしてぼんやりしていて、どのくらい経ったのだろう。
駅の構内にだんだんと人が増えてきて、俺の前や後ろを通り過ぎていく人が、波になってきた頃。
どん、と背中を押された。きっと、後ろを通った人の荷物が当たっただけだ。けど、とにかく無防備だった俺は、押されたまま前によろけてしまったんだ。
危ない、って自分で思うけど、立ち止まる気力がなくて。
「危ないっ!」
耳元で、男の叫ぶ声が聞こえた。ついで、腕と肩をぐいっと掴まれ、引き戻される。
よほど慌てたのか、引っ張る力が強すぎて、助けてくれた男性ともども、しりもちをつく。
うーん。ちょっと痛い。
「おい、あんた。大丈夫か?」
耳元で尋ねてきたのは、助けてくれた男性の声だった。その顔を見れば、思ったより若い外見をしていた。大学生くらいかな?と思う。のは、その格好がカジュアルな普段着だったから。もしかしたら、フリーターなのかもしれないけど、それにしては落ち着いた雰囲気だ。
「おーい。聞こえてるか?」
「……すみません。ありがとうございます」
俺の反応がないのが心配になったのか、それにしても、彼は現代人にしてはだいぶ親切な人だ。
俺がお礼を言ったのに、何がおかしかったのかわからないけれど、なぜか彼は、ぷっと笑い出した。っていうか、そこで笑うか?
「……何ですか?」
「いや。なんか反応がちぐはぐだと思って。まぁ、聞こえてるのはわかったから良いけどよ」
あ、そうか、っていまさら気がつく俺って、やっぱりぼんやりしてるんだよね。困った。見知らぬ人にまで笑われてしまった。
ちょっと自己嫌悪に陥っていたら、その彼は、またも笑った。よく笑う人だ。
「なんか、心ここにあらずだなぁ。まぁ、とにかく、こんなとこに尻餅ついてると邪魔だぜ」
その年齢でその体格なら掛け声などいらなさそうなのに、彼はよっこらせと掛け声をかけて立ち上がると、俺に手を差し出してきた。それはつまり、つかまって立て、ということだろう。
拒む理由もないので、素直に従う。
促されたのは、駅のベンチ。座った俺の隣にどさっと置かれた彼の荷物は、見た目相応に重そうで、開いた口から何冊かの分厚い本が覗いていた。児童心理学の本がいくつかと、折り紙の本が一冊。なぜそこに折り紙の本が混じっているのか、ちょっとわからない。
「俺、山梨智紀。あんたは?」
それは、俺の名前を聞くためにはまず自分から、を実践しているらしい自己紹介で、問いかけて首をかしげた。命の恩人に隠すほどの名前ではないから、俺も素直に答えることにする。
「橘春賀です。あの、助けてくれてありがとう」
「いやぁ、なんのなんの。人助けは趣味みたいなもんだ。でもさ、あんた、気をつけなよ。そのぼんやり、なんとかしないと、そのうち本当に命落とすよ?」
彼は、本当に行きずりの俺に対して、そんな助言をした。本気で心配そうな表情でそう言われて、なんか嬉しくなってしまう。人に親切にされるのは、思い返してみれば、孝虎に拾われたとき以来かもしれない。
嬉しい気持ちのまま、にこりと笑って見せれば、彼もまた、ようやくほっとしたらしく、穏やかに笑ってくれた。この歳でこんな表情が出来るなんて、いったいどんな苦労をしてきた人なのか。ちょっと興味が湧いてしまった。
「なぁ、はるかさん。あんた、アレだけぼんやりしてたってことは、暇だろ? 一緒に夕飯なんてどう? 次のバイトまでの時間、付き合ってよ」
なんだか、微妙に強引。でも、なんか、この人に付き合ってると寂しさがまぎれそうで。気付けば、俺は無意識のうちに頷いていた。
俺が無意識で自分の行動を決めてしまうなんて、前代未聞。それだけの吸引力を、彼はきっと生まれながらに持ち合わせているのだろう。もしくは、俺との相性が抜群に良いに違いない。
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