Happy! Happy! Valentine's Day 1




 最近、若に恋仲の相手ができたらしい。

 そんな噂が、組の間に広まりだしている。

 ちなみに、この組で『若』といえば、俺のことだ。なにしろ、組長の一人息子だから、疑いようがない。

 噂が持ち上がるのは構わないのだが、できれば年度が明けるまでは、その相手に対してはおとなしくしていて欲しいと思う。

 大体、東大生がヤクザの情人だなんて、世間様にバレでもしたら恋人が大変なことになってしまう。卒業するまでは大人しくしててくれ、ってところだ。

 まぁ、卒業したら3ヶ月は司法研修が待っているから、その間も問題を起こしたくないわけだが。実は、そっちはあまり心配していない。3ヶ月みっちりの寮生活で、俺と会う時間もなさそうだからな。

 しかし、まぁ、この俺を捕まえて、恋人の一人や二人できたくらいで騒ぎになるとは。ちょっと油断していた。

 そういや、あいつと会ってから今まで3年間、彼女いない歴を更新していたんだった。

 で、今現在。この寒さもピークの2月のある土曜日。俺はいつものように、湯島の古い住宅街を歩いていた。

 珍しく、一人だ。50メートル後ろに、うちの若いのが一人見えるが、とりあえず身の回りには誰もいない。

 この開放感がありがたいよ。いつも誰かの視線を意識しながら生活していると、息が詰まる。

 恋人が住む場所は、湯島にある年代もののおんぼろアパートだ。風呂トイレがついているだけいくらかマシだそうだ。

 当然、壁は薄く、隣の住人のいびきが聞こえるくらいだから、あんな場所で愛の行為には至れないわけで。

 今日はどこへ行こうかな。

 ちょっとワクワクの俺だった。




 珍しいことに、この家にはチャイムがついていない。ピンポンダッシュがないからありがたい、と、他人事ならひたすらプラス思考の恋人は言うが、不便だろうと思う。ま、卒業したらうちに来る予定だから、あと2ヶ月の辛抱だけどな。

 なので、ドアの前に到着して、俺はそのドアをノックした。

『はーい』

 答えてくるのは、透き通ったテノールのやわらかい男の声。そう、俺の恋人は同性なのだ。

 何? 今流行りの同性愛か、って?

 結果的にはそうだけどな。俺が惚れたのは、あいつの心意気に、だ。性別は関係ねぇよ。

 ま、女にあいつほどの心意気があるやつは珍しいだろうけどな。

「お待たせ」

 そんなに待った覚えもないんだが、今日もまた可愛くカジュアルに決めて、彼、橘春賀は、その扉から飛び出してきた。平日はこれに不細工な伊達メガネがつくのだが、俺と一緒の時は、そんな邪魔なものも無しだ。

 その伊達メガネ、もともと生まれついた美貌隠しのためだった。実際、俺の目の前にいる彼は、街を歩けばきっと、モデルやらホストクラブやらのスカウトの目に留まること間違いない。ま、一緒にいるときはそんな目にあったことはないが、きっと俺の強面のおかげだ。

 俺が先に立って、階段を下りると、その耳になにやら聞き慣れない音が聞こえてきて、俺は後ろを振り返る。

 ついて来る彼の手に、小さな紙袋が提げられていた。

「何だ? それ」

「ん。明後日は何の日でしょう?」

「明後日? 14日か? 春賀の誕生日は来月だし、俺は秋だし……」

「……孝虎。本気で言ってる? 2月14日は何の日?」

「あぁ。バレンタインか」

 そういや、そんなイベント事もあった気がする。ここ数年女っ気のない生活をしていたせいで、すっかり忘れていたが。

「何? 用意してくれてたのか?」

「もう。そんな意地悪言うと、一人で食べちゃうよ」

 本気で驚いて問い返した俺に、春賀はぷっとふくれて、唇を尖らせる。そんな仕草がまだ可愛いのは、俺の目が節穴なのか、今年22歳になる春賀がらしくないのか。

 うーん。前者だな、たぶん。

「今日は、俺がエスコートするからね。っていっても、孝虎から見れば大したことないんだろうけどさ」

 なんだか嬉しい言葉を、不要な言い訳まで付け足して、似合わない押し付け口調で言う春賀が、俺にはめちゃくちゃ可愛く見える。

 俺のためにしてくれることなら、何だって嬉しいのに、春賀は自分にできる最大限の贅沢をしてくれるのだ。これが嬉しくなくて何だというのか。

「で、行き先は?」

「日本橋」

 二人、肩を並べて地下鉄駅に向かう。現在時刻、午前11時。日本橋についたころには、ちょうどランチタイムになっていることだろう。楽しみだ。

 少し緊張しているらしい春賀の肩を抱き、俺は知らず知らず、にんまりと笑っていた。





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