15
夕暮れ時とはいえ、秋も深まったこの時期、すでにとっぷりと日は暮れて、周りに人影もまばらだ。池の周囲は見通しが良いはずなのに、春賀の姿も、電話口から聞こえた泣き叫ぶ声も、聞こえてこない。
「はるかっ!!」
きっと、植え込みの影にいるはずだ。池の周りを、注意深く目を凝らしながら、孝虎は走る。
少し密集して木が植えられているその影に、人の影を見つけた。低木の葉もたわわな枝にしがみつくようにして、横たわる影。
「春賀!」
「……たかとらぁ」
それが、春賀だった。
植え込みの影だったことで、結局最初から最後まで、誰の目にも留まらなかったのだろう。そこに、すでに他の男の影はなく、春賀自身を覆う服は申し訳程度に白い肌を覆っている。
そばに走りよって、迷うことなく、孝虎はその華奢な肢体を抱き寄せた。びくっと春賀の身体が震えても、そんなことでは躊躇することもない。
まだ息も荒く、涙も乾いてはいない。叫びすぎたのか、少し声がしわがれていた。下半身は膝辺りでジーンズがその両足を拘束していて、下着も同じく膝の辺りまで下ろされたままだ。
見るからに、強姦直後の姿だった。
「ごめん。間に合わなかった」
電話をもらってから、すでに五分が経っていた。五分もあれば、人一人押し倒して犯して逃げるのには十分な時間だったのだろう。あと一分早ければ、犯人を捕まえられただろうに、と思うと、悔しくて歯軋りしてしまう。
孝虎に耳元で謝られて、ようやく正気が戻ってきたのか、春賀が突然もがきだした。
「たか……とらっ。はなし、てっ……!」
「良いから、しがみついてろ」
春賀の抵抗する声に、反対に孝虎はほっとした声色で、もがく春賀を抱きしめる。そうやって春賀をあやしながら、片方の手で下着とジーンズを上げてやった。まるで泣きじゃくる子供にするように、その背中を優しく叩く。
「落ち着いたか?」
いつの間にか、抵抗するように孝虎の胸を押し返していた手が、そのジャケットの襟を握り締めている。震えはとうに治まっていて、ただ、黙って孝虎に抱きしめられているだけだった。それから、こくりと頷く。
「ごめんね、孝虎」
その声は、確かに落ち着いてはいるらしい。はっきりとした声ではあった。ただ、それが冷静な判断による言葉であるとは、孝虎にはとても思えなかったが。
「ん?」
「嫌な思い、させちゃった。電話、しなきゃよかったね」
「……何、馬鹿なこと言ってんだ、お前は。電話くれなくちゃ、こうして助けに来られないだろ」
まったく的外れなことを言う春賀に、孝虎は呆れてみせた。そっと、その身体を自分から離し、顔を覗き込む。
「電話くれて、良かったんだよ。惚れた相手を守るのは、男の義務だし、特権だぜ。誰かに譲る気は毛頭ないね」
「孝虎……?」
「もちろん、春賀にも、な」
え?
それが、何がどうなって「もちろん」なのか、春賀には理解できず、聞き返してしまう。が、孝虎はそれには答えずに、ふふん、と鼻で笑った。そして、おもむろに春賀をお姫様抱っこに抱き上げる。
「さ、行こうか」
「……どこに?」
「デート。その約束だろ?」
美味いもん、たらふく食わせてやる。
そんな風に嘯いて、孝虎は春賀を大事に抱き上げたまま、来た方へ戻って歩き出す。
追ってきていて見失っていたのか、それとも遠慮していたのか、勝元がその孝虎を、深く頭をたれて迎えた。
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