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 だから、春賀が悪戯っぽく笑って、それに対して孝虎が幸せそうに苦笑を浮かべるこの姿は、当人たちには実に自然だ、というわけだ。

「そんなに渋るほど、難しいことなのか?」

「うぅん。孝虎は、『わかった』って言うだけ」

「じゃあ、良いじゃねぇか。言えって」

 促されて、人ごみの間をすり抜けるように歩いていた春賀が、そこに立ち止まる。歩道のど真ん中。一歩後ろを守っていた孝虎が、つまずきかけて背中に抱きつく。

「急に立ち止まるなって」

「あのね、孝虎」

 孝虎の抗議と、春賀が話しかけるのとは、ほぼ同時だった。

 突然立ち止まった二人を、後ろを歩いていた三人のコギャルが、迷惑そうに眉間に皺を寄せて、追い越していく。

 雑踏に取り残される二人は、波の間に埋もれてしまえば、その辺りに飛び出している看板と同じく、流れていく人々の意識から消え去った。

「絶対に、『わかった』って言って」

「……おう。何だよ」

 さすがにしつこかったか、孝虎の口調に苛立ちが混じる。春賀に、気にした様子はない。ただ、少し俯いているのみだ。

 それから、春賀が口にした言葉は、まるで呟きのようで。しかし、背中に抱きついている孝虎には、聞き逃すことすら出来なかった。

「試験が終わったら、俺を抱いて」

「……え?」

 それは、こんな至近距離で聞こえなかったはずはないから、聞こえなかったわけではなく、とっさに理解が出来なかっただけのはずだ。孝虎の表情は、困惑で満たされている。

 聞き返されて、春賀はそれには答えず、さらに言い募った。聞き返されたことで、かえって堰が切れたように。

「俺に、ちゃんと、好きだって言って。お前が欲しい、って。抱きたいって」

「……春賀?」

「違わないでしょ? 俺のこと、好きでしょ? だったら、言って。俺を、好きだ、って」

 それは、孝虎にとってはまさに青天の霹靂だったのだろう。春賀の言葉に戸惑って、え、あ、と口ごもってしまっている。そんな彼を、春賀は自分の好きなだけ攻め立てて、ふふっ、と笑った。

「ほら。『わかった』は?」

「……いいのか?」

「『わかった』」

「……わかった」

 請求されるままに、求められた言葉を繰り返す。そして、抱いたままだったその細い身体を、ぎゅっと抱きしめた。若干背の低い彼の肩口に、頬を寄せる。

「知ってたのか?」

「孝虎、隠すの下手だもん。わかったのは去年の夏。決心したのは今年の夏休み。ここまで引っ張ったのは、司法試験に受かって自分の足元を固めてから、って思ったから。それと、今日言ったのは、孝虎が手伝えることはないかって聞いたからだからね。自分へのご褒美の準備。理由はこんなところ」

 すらすら、と説明して、春賀はイジワルそうなニヤリとした笑みを見せた。一方、隠し事がとうに暴かれていたと知った孝虎は、ガックリと肩を落としている。

「俺、自分に自信なくしたかも」

「恋愛感情は、隠し事が難しいからね。そう悲観したものでもないよ。それに、俺は孝虎は少し素直なほうが好き」

 明らかに孝虎をからかっているのだが、わかっていて、孝虎は腹を立てることもない。そう?と問い返して、春賀の耳元で困ったように笑った。

 笑いはしたが、だからと言って安心したかというとそうでもなく、ふと真面目な表情に戻ってしまう。

「無理、してないか?」

「もう三年も経つんだよ、あれから。それとも、孝虎はイヤ? どこの誰ともわからない男のお手つきじゃ」

「バカ。イヤなら惚れねぇだろ。そうじゃねぇよ。そんなことじゃなくて、理性の効かない根っこのトコで、吹っ切れてるのか、って心配してるんだ、俺は」

「それこそ、理性に支配されている今の俺には、判りようがないけど?」

「……だな」

 改めて突っ込まれれば、確かにその通りで、孝虎は軽く肩をすくめる。そうして、ようやく抱いたその手を離した。

「何時にどこに迎えに行けばいい?」

「終わるのは日曜の夜だよ?」

「こういう時くらい、仕事もサボるさ。いつも休日なしで働きづめなんだ。一日くらい大目に見てくれるだろ」

「じゃ、七時にうちのアパート」

「OK。せっかくのご褒美だ。大盤振る舞いで労ってやるから、全力で頑張って来いよ」

「了解」

 歩き出した孝虎に手を引かれて、春賀もまたその後を追いかけていく。

 そうしてまた人の波に流されれば、雑踏に巻き込まれて群集の一部に紛れ込む。

 二人の姿は、今までそこに立ち止まっていたことが嘘のように、人々の影にかき消されて、その場から見えなくなった。





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