13
だから、春賀が悪戯っぽく笑って、それに対して孝虎が幸せそうに苦笑を浮かべるこの姿は、当人たちには実に自然だ、というわけだ。
「そんなに渋るほど、難しいことなのか?」
「うぅん。孝虎は、『わかった』って言うだけ」
「じゃあ、良いじゃねぇか。言えって」
促されて、人ごみの間をすり抜けるように歩いていた春賀が、そこに立ち止まる。歩道のど真ん中。一歩後ろを守っていた孝虎が、つまずきかけて背中に抱きつく。
「急に立ち止まるなって」
「あのね、孝虎」
孝虎の抗議と、春賀が話しかけるのとは、ほぼ同時だった。
突然立ち止まった二人を、後ろを歩いていた三人のコギャルが、迷惑そうに眉間に皺を寄せて、追い越していく。
雑踏に取り残される二人は、波の間に埋もれてしまえば、その辺りに飛び出している看板と同じく、流れていく人々の意識から消え去った。
「絶対に、『わかった』って言って」
「……おう。何だよ」
さすがにしつこかったか、孝虎の口調に苛立ちが混じる。春賀に、気にした様子はない。ただ、少し俯いているのみだ。
それから、春賀が口にした言葉は、まるで呟きのようで。しかし、背中に抱きついている孝虎には、聞き逃すことすら出来なかった。
「試験が終わったら、俺を抱いて」
「……え?」
それは、こんな至近距離で聞こえなかったはずはないから、聞こえなかったわけではなく、とっさに理解が出来なかっただけのはずだ。孝虎の表情は、困惑で満たされている。
聞き返されて、春賀はそれには答えず、さらに言い募った。聞き返されたことで、かえって堰が切れたように。
「俺に、ちゃんと、好きだって言って。お前が欲しい、って。抱きたいって」
「……春賀?」
「違わないでしょ? 俺のこと、好きでしょ? だったら、言って。俺を、好きだ、って」
それは、孝虎にとってはまさに青天の霹靂だったのだろう。春賀の言葉に戸惑って、え、あ、と口ごもってしまっている。そんな彼を、春賀は自分の好きなだけ攻め立てて、ふふっ、と笑った。
「ほら。『わかった』は?」
「……いいのか?」
「『わかった』」
「……わかった」
請求されるままに、求められた言葉を繰り返す。そして、抱いたままだったその細い身体を、ぎゅっと抱きしめた。若干背の低い彼の肩口に、頬を寄せる。
「知ってたのか?」
「孝虎、隠すの下手だもん。わかったのは去年の夏。決心したのは今年の夏休み。ここまで引っ張ったのは、司法試験に受かって自分の足元を固めてから、って思ったから。それと、今日言ったのは、孝虎が手伝えることはないかって聞いたからだからね。自分へのご褒美の準備。理由はこんなところ」
すらすら、と説明して、春賀はイジワルそうなニヤリとした笑みを見せた。一方、隠し事がとうに暴かれていたと知った孝虎は、ガックリと肩を落としている。
「俺、自分に自信なくしたかも」
「恋愛感情は、隠し事が難しいからね。そう悲観したものでもないよ。それに、俺は孝虎は少し素直なほうが好き」
明らかに孝虎をからかっているのだが、わかっていて、孝虎は腹を立てることもない。そう?と問い返して、春賀の耳元で困ったように笑った。
笑いはしたが、だからと言って安心したかというとそうでもなく、ふと真面目な表情に戻ってしまう。
「無理、してないか?」
「もう三年も経つんだよ、あれから。それとも、孝虎はイヤ? どこの誰ともわからない男のお手つきじゃ」
「バカ。イヤなら惚れねぇだろ。そうじゃねぇよ。そんなことじゃなくて、理性の効かない根っこのトコで、吹っ切れてるのか、って心配してるんだ、俺は」
「それこそ、理性に支配されている今の俺には、判りようがないけど?」
「……だな」
改めて突っ込まれれば、確かにその通りで、孝虎は軽く肩をすくめる。そうして、ようやく抱いたその手を離した。
「何時にどこに迎えに行けばいい?」
「終わるのは日曜の夜だよ?」
「こういう時くらい、仕事もサボるさ。いつも休日なしで働きづめなんだ。一日くらい大目に見てくれるだろ」
「じゃ、七時にうちのアパート」
「OK。せっかくのご褒美だ。大盤振る舞いで労ってやるから、全力で頑張って来いよ」
「了解」
歩き出した孝虎に手を引かれて、春賀もまたその後を追いかけていく。
そうしてまた人の波に流されれば、雑踏に巻き込まれて群集の一部に紛れ込む。
二人の姿は、今までそこに立ち止まっていたことが嘘のように、人々の影にかき消されて、その場から見えなくなった。
[ 13/49 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]戻る