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案内された喫茶店は、路地裏にあって客もまばらな小さな喫茶店だった。戸を開けるとドアベルが鳴り、マスターがこちらに顔を向ける。店内はコーヒーの香りに満たされていた。
ただ、ドアの片隅に家紋らしいシールが張られていたのが気になるが。ここは、地元のヤクザの出入りがある店だということなのか。
「こんにちは、マスター」
「あぁ、ハルちゃん。いらっしゃい。久しぶりだねぇ。夏休みかい?」
気さくに話しかけてきたマスターは、おそらく現役を引退しての道楽商売なのであろう、老齢の男であった。ただ、左目を巻き込んだ大きな傷が、額から顎にかけて走っていて、おかげで左目は閉じられたままなのが、目立つ。
その老人は、春賀の連れの男を見るなり、実に鋭い視線を送ってきた。
「ハルちゃん?」
「ん? あぁ、中村さんのこと? 大丈夫だよ。去年話した友達の、付き人さん」
「それにしちゃ、アレだがなぁ?」
「うん、幹部さんだしね」
警戒をあらわにするマスターに対し、春賀の態度は実に軽い。態度も口調も軽い。が、言っていることはとんでもないことだ。
幹部、と聞いて、マスターの表情はいっそう険しくなった。そんなマスターに、春賀はケラケラと笑って返す。
「ダメだよ、マスター。おやっさんに告げ口しちゃ」
「……ハルちゃんがそれで良いなら、ハマグリのように口を閉じてはいるけどな。心配しているんだよ?」
「わかってる。ごめんね、余計な心労かけて」
悪いとなどまったく思っていないのは聞けば分かる口ぶりなのだが、そう言うと、春賀は中村を店の隅のテーブルに案内した。空いた椅子に少し重そうな荷物を降ろし、本人はカウンターへ行ってしまう。
戻ってきたとき、両手に氷水を持っていた。
「ここのブレンド、美味しいんですよ。コーヒー、大丈夫ですよね?」
「えぇ。すみません、お手数をおかけします」
肩をこわばらせて恐縮して見せると、春賀は笑って手を振った。
「気にされないでください。好きでしてますから」
高校生のときはここでバイトしてたんですよ、などと明かして、春賀は不器用にウインクしてみせる。それから、自分も席に座りなおした。
それで、と問いかけた春賀に、中村もそこに姿勢を正した。
それから、何の前触れもなく、深々と頭を下げた。
「橘さん。お願いします。うちの、姐に納まっていただけませんか」
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