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「和樹……」

 母が、呆然と息子の名を呼ぶ。
 父は、ばつの悪そうな顔で口をつぐんだ。
 智紀は、その両親に背を向け、和樹を見上げる。和樹に対して、迎え入れるように大きく手を広げた。

「おいで、和樹」

 自分が泣いているのに、気づいていないのだろう。不安そうに、目が兄に問いかけている。それに対して、智紀は大きく頷いた。

「良いんだ。ここへおいで」

 もう一度、呼ばれて、恐る恐る近寄ってきた。そうして、智紀の目の前にぺたんとしゃがみこむ。
 抱き寄せられて、頭を預けた。涙をぬぐってもらって、やっと泣いていたことがわかり、びっくりする。

「ほらほら、そんなに泣かないの。怒られてたわけじゃないから、心配するな。ちゃんと飯食ったか?」

 それにしては早い時間なので、まだなのはわかるが、そう問いかける。問いかけてやるのも、リハビリのうちだ。自分で考えて答えを導く、そんな癖がつく。

 ふるふる、と首を振るのに、智紀は笑った。一緒に、ぐぅ、と和樹の腹が鳴る。

「あぁあ。腹減ったって言ってるぞ、和樹の腹。何だよ、迎えに来てくれたのか?」

 こくん。そう、頷いた。

 ちゃんと、二人の間に会話が成立している。
 しゃべっているのは一方だけなのに、意思の疎通ができている。
 それは、和樹と今まで生活してきて自分たちにはできなかったからこそ、驚いてしまうことで。

「よし。じゃあ、飯にしよう。和樹が腹減りすぎて死んじまったら大変だ」

 冗談っぽくそう言って、ぽんぽん、と和樹の肩を叩く。
 そうして、智紀は両親に一度視線を投げかけ、和樹を促してそこから立ち上がった。
 和樹は、智紀から離れまいとしてぎゅっと抱きつく。

「何だ、どうした? 和樹は甘えんぼさんか?」

 ふるふる。
 うつむいたまま、智紀からも離れずに、ただ首を振る。
 表情も見えないので、智紀もさすがにその意味がわからないかと思った両親だったが、智紀は優しい笑みを絶やすことなく、和樹のふわふわの髪をなでた。

「大丈夫だよ。兄ちゃんはどこにも行かないから。そんなにくっつくと、飯食いに行けないぞ」

 言われて、渋々離れる。
 そうして、寂しそうに見上げるのに、反対に智紀の方から肩を引き寄せてやった。

「そうだな。離れたくないよな」

 こくん。
 そうやって頷く和樹に、両親は顔を見合わせた。
 母親が、耐え切れずに口を挟む。

「和樹。そんな、血の繋がった弟にいたずらしようとするお兄ちゃんを、本当に信用できるの?」

 呼ばれて、問われて、何を言われたのかわからなかったのだろう。
 首を傾げた。
 それから、助けを求めるように兄を見上げる。
 それは、どうやら通訳を依頼されたらしい。
 そう受け取って、智紀はさすがに悩んだ。何と噛み砕いたらよいのやら、だ。

「和樹とエッチしたがってる兄ちゃんで良いのか?ってさ」

 それも、訳し方としてはどうかと思うが、他に言葉が思いつかない。

 それは、実は智紀も心配にはなっていることなので、答えを待ってしまう。
 家族三人に囲まれて、和樹は困って首をかしげた。
 それから、智紀に抱きつき、頭を押し付ける。
 ぎゅうっと引っ張られたのでかがんでやると、その唇にキスをされた。

「え?」

 それは、智紀としても思ってもいなかった答えだ。
 拒否しないことは、先ほど確かめたとおりだが、まさか和樹から行動するとは思っていなかったのだ。

「かずきっ」

 あまりの驚きように、母の声がひっくり返る。

 ぎゅっと兄の首に抱きつく和樹を、智紀は驚いて呆然と抱いていたが、それから、だんだんと感動が湧き上がって来る。

「本当にっ?」

 こくん。
 あまりに感動してしまって、声を抑えるのを忘れた智紀に、和樹は抱きついたまま頷く。
 兄が何故そんなに興奮しているのかわからない様子で、和樹はぼんやりと周りの様子を眺めている。
 抱きついた兄からは離れる気がないらしい。

「和樹。お前……」

 とうとう、父もその先の言葉が出なくなってしまった。
 両親は大変なショックに茫然自失となり、智紀は感動のあまり和樹を抱きしめて固まっている。

 しばらくはされるままになっていた和樹だが、それから、とんとん、と兄の背を叩いた。
 少し力を緩めてもらって、自分のお腹を抱える仕草をしてみせる。

「あぁ、悪い。腹減ってたんだよな」

 仕草を見て、答えて、反芻して、驚いた。
 自分にすがり付いている弟を、まじまじと見返した。
 何故そんなに驚くのかわからない和樹が、あんまり食事を焦らすのにぷっとふくれる。

 今、和樹は、言葉という媒介はないものの、自分の思いを身体で表現したのである。
 ふくれるくらいなら、それは感情を表す仕草で、まだ「まんま」も言えない赤ん坊でさえすることなので、驚くほどのものではない。
 が、その前にして見せた仕草は、自分は腹が減ったのだ、という意思表示だった。
 こうすれば相手に伝わる、というだけの判断力が戻っている証拠だ。
 言葉を紡ぐまでには至らなくとも、相手にどうやったら伝わるのかを考えることができたのだ。
 これは、驚くに値する、大きな前進だ。

 お腹すいたよぉ、と訴えるようにばたばたとその場で足踏みをする和樹に、大きな感動からはっと我に返った智紀は、それから苦笑をして見せた。

「ごめんごめん。お待たせ。飯にしよう」

 先に行きな、と促して背を押してやると、和樹は不安そうに目を潤ませて、ふるふると首を振り、それから智紀に抱きついた。
 あくまで、離れる気はないらしい。
 引き離されそうな不安を与えてしまった直後だ。それも仕方のない話である。

 首にかじりついたまま離れようとしない和樹に困って、智紀は和樹を抱き上げる。それから、そのまま部屋を出た。
 すぐあとを、両親が追いかけてくる。





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