2




 和樹の誕生日は六月だ。

 梅雨に届かない初夏の穏やかな気候が続き、新人デザイナの和樹は始業三十分前に会社に着いて仕事を始め定時後二時間程度でさくっと作業を終えて帰る日々を送っていた。
 新入社員教育を数週間で終わらせて社会人の心得を叩き込まれてからは、実務教育兼実作業で早々に大きなプロジェクトに組み込まれていて、数日かかる作業を自分のペースで期日までに仕上げるという仕事なので自由が利くのだ。
 多少の残業はあるものの、マイペースで締め切りにしっかり間に合わせるその時間配分能力は高く評価されていたりする。

 忙しいものの実りの大きなこの時期、和樹は実に楽しそうに日々を過ごしていた。
 おかげで、自分の誕生日もおそらくは覚えていないのだろう。

 一方、大学病院の臨床心理士として勤務二年目の智紀もまた、急患が少ない分余裕のある日々を過ごしていた。
 心に爆弾を抱えたままの恋人もここしばらくは安定していて安心できる上、深夜勤務になるバーテンのアルバイトも週三回に減っていて心身共にのんびりしているのだ。
 海外ボランティアから帰国してからずっとバタバタと忙しない時間を過ごしていたせいもあって、余計のんびりして感じられるわけだが。

 おかげで暇を持て余している時間を、智紀はある企みに利用していた。
 仕事を始めてからもオーナー依頼の小物作り作業は続けている和樹は自室に篭ることが多く、智紀が電話をしていてもほとんど気にしていないおかげで居間で堂々とあちらこちらに電話を掛けている。

 企みとはもちろん、和樹の誕生日のことだ。

「どうも、本人はすっかり忘れているようなんですけれどね」

『そうなの。それじゃ、思い出させたくはないわね。良いわ。兄さんの方は私が調整しておくから、任せてちょうだい』

「すみません。本来なら俺がしなくちゃいけないことなのですが」

『あら、智紀君が動いたら和樹君にバレちゃうじゃない。一人で無理しようとしないで使える年長者は頼りなさいな。それで、パーティの準備とかは進んでるのかしら?』

「えぇ。友人が張り切ってくれているので任せてますよ。和樹、女装でもさせられるんじゃないですかねぇ。お姐さま方が楽しそうになにやら企んでますから」

『まあ〜。和樹君なら似合いそうねぇ』

 キャラキャラと楽しそうに笑う叔母の声に、智紀もまた苦笑して返す。
 あの一件以来こうして個人的に相談に乗ってくれて二人と家族の橋渡しを手伝ってくれる気の良い叔母は、仕事柄なのか元々なのか随分と革新的な思考の持ち主だ。
 女装だろうが同性愛だろうがどんと来いなのは大らかというべきだろうか。

 実は今一番智紀が困っているのが実家との約束の件だった。
 和樹が二十歳の誕生日を迎えるまでに智紀との関係を両親に納得させること。出来なければ結婚まで親の言いなりだ。
 実際問題、このことに一番悩まなければならないのは和樹なのだが、この当時の記憶については智紀も触れるのに躊躇してしまう。
 今は安定しているとはいえ、心が脆いのはもうどうにもしようがなく、一番不安定だったこの時期を和樹に思い出させるのは心苦しいのだ。

 そうはいっても、和樹本人のことであるだけに周りだけが勝手に先走っていても意味がないのだが。

『じゃあ、当日現地でね』

 電話の向こうで誰かに呼ばれた叔母は最後にそう言って電話を切った。
 現地で、の目的語はパーティの開催場所のことだろう。

 叔母に頼んだのは、そのパーティに和樹の両親祖母を招待したいという件だった。叔母本人と亡き祖父の元恋人はすでに出席が決定している。
 あの後叔母に紹介された亡き祖父の元恋人が和樹の主治医だったというのは、不思議な運命を感じさせる出来事だったものだ。

 電話を切ってソファに背中を預けた智紀の背中から、するりと細い腕が絡みついてきた。
 同居していて自室に篭っていたはずの恋人の腕だ。ついでに右の肩にさらさらの髪が乗る。

「忘れてたの」

「……ん?」

「高校卒業したばっかじゃない。だから、まだもう一年あると思ってた」

 電話を聞いていたのかふと気がついたのか。
 同じことをずっと悩んでいた智紀だからこそ、主語がなくても通じる。だから、そうか、とだけ答えた。
 そうして、隣に来るようにと手招きをする。ソファをぐるっと回ってすぐ隣に腰を下ろした和樹の肩を、そっと抱き寄せた。

「春賀が随分大規模になんか企画してるから、協力してやって」

「企画?」

「そう。和樹の誕生日にな、成人の祝いも兼ねて何かしたいって、オーナーと大盛り上がりしてるんだ。今更断れないし、どうせ断っても押し切られるから、諦めてくれ」

「本人の意思は無視?」

「俺も聞いたのは一昨日。で、昨日は宿直」

「……はるかさん、こういう時ばっかり強引なんだから」

「まったくだな」

 もうすっかり弁護士稼業一本に移行した親友に責任を押し付けて涼しい顔をした智紀に、和樹はあっさり騙されてくれる。
 元々企画自体は智紀が春賀に相談したところから始まってはいるものの、実行に移しているのは春賀とその恋人で智紀はノータッチだから間違っているわけでもない。

 納得してくれた和樹は、隣に座る元兄で今は恋人な血縁上の従兄弟に擦り寄った。

「お父さん、許してくれるかな」

「どうだろうな。だが、諦める気はないぞ、俺は。和樹ももうすぐ成人だ、自分のことは自分で決めて良い歳だからな」

「……でも、それじゃ……」

「あぁ。そんな究極論は最後の最後の最終手段だ。まずは説得するさ。和樹の実の父親で、俺にとっても血の繋がった伯父なんだ。そう簡単には諦めない」

「うん」

 四年前は随分と両親に遠慮していた智紀の力強い宣言に、和樹はほっとしたように笑ってその腕にすがりついた。
 それから、比べれば小さな手で智紀の手を取り指を絡める。
 何年一緒に暮らしても、やっぱりこうして隣に座って和んでいる時間が幸せだ。少し低い体温が暖かくて心地良い。

 しばらく二人でまったりしていると、智紀の手に持たれたままだった携帯電話が着信音を立てた。サブ画面に表示された名前は『藤堂』。
 おや?と智紀は首を傾げ、発信者の名前を和樹に見せてからその場で電話に出る。

『こんばんは、智紀君』

「こんばんは、先生。どうかなさいましたか?」

『うん。明日の夕飯のお誘いだよ。和樹君の予定を聞いておいてくれないかな。さっき電話したんだけど電話に出れないようだから』

「あぁ、隣にいます」

 代わりましょうか?という智紀の問いに遠慮を返し、待っているよと告げて相手はさっさと電話を切ってしまった。
 どうも直接顔を見て話をする以外のコミュニケーションが苦手な人なのだ。わかっているから智紀も苦笑だけを浮かべて電話を切る。

 それは、和樹の主治医であり亡き祖父の元恋人である、人生の大先輩。
 和樹も隣で電話の内容は聞いていたので、智紀から尋ねられるまでもなく嬉しそうに笑った。
 何故喜ぶかといえば、彼がプロの料理人並みの腕前を誇っているからだ。智紀も和樹も彼の料理の大ファンだったりする。
 その夕飯の誘いは、もちろんそれも目的の一つだが、それ以上に和樹の定期健診を意味しているのだけれど。

 普段は四半期に一度の周期なので、そのペースで考えれば次は来月のはずなのだが、このタイミングなのはパーティの誘いがあったせいなのかもしれない。
 祖母とも和解してわだかまりは解消済みのはずだが、彼の遠慮はまだまだ健在なのだ。

「楽しみだね。明日のご飯は何だろう」

「仕事は大丈夫なのか?」

「僕は大丈夫。切羽詰ってないから融通利くよ」

 だったらお邪魔しようか、と結論を出して、智紀は携帯電話を放り出した。
 予定の変更がないなら折り返しの電話が不要な相手だ。それよりも、可愛い恋人を愛でる方が智紀には重要で。

 急に覆いかぶさってくる恋人に、和樹は嬉しそうに笑ってその肩に手をかけそっと引き寄せた。





[ 50/55 ]

[*prev] [next#]

[mokuji]

[しおりを挟む]


戻る



Copyright(C) 2004-2017 KYMDREAM All Rights Reserved
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -