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しばらくまた迷っていた和樹だったが、どうやら震えの収まっている自分に気づいたらしい。
少しだけ、近寄る。
「和樹は、兄ちゃんが恐いか?」
訪ねた途端、きょとん、とした表情になり、それから、何度も瞬きを繰り返す。
無意識なのであれば、本気で驚いていることになる。
そんな反応に、智紀は自分の質問を反芻して、苦笑した。
「んー。質問が難しかったか。じゃあ、変えよう。和樹は、兄ちゃんのこと、好き?」
これには、はっきりした頷きが返ってきた。
迷わないということは、それは間違いないということだろう。
純粋に、嬉しかった。
今の和樹は、自分の意思がまとめられなくて、伝えられなくて、苦しんでいる。
その相手が、はっきり答えてくれるのだ。
これ以上の幸せは、おそらく、ない。
和樹の目元に笑みが浮かんでいて、智紀もまた自分の気持ちをはっきりと表情に表す。
抱きしめたい衝動を必死にこらえた。
「お父さんも好きだよな?」
うん。また、頷く。
母親のことも、祖母のことも、同じように頷いて返した。
ならば、家族には問題ない。
「なぁ、和樹。兄ちゃんがずっとそばにいたら、嬉しい?」
ぴくっ。
頷きかけて、とどまる。
それから、今度は何故か、激しく首を振った。
好き、は肯定したのに、そばにいるのは嫌がる。
これは一体、どういう意味か。
友人の告白を聞きながら頭に浮かんだ最悪のイメージが、はっきりと肯定された感じだった。
彼は、兄に知られたくない何かに、おびえているのだ。
知られたら嫌われる、という恐怖心が根付いてしまっている。
おそらく、ここまで心に傷を追ってしまった原因も、同じだろう。
だから、智紀は深いため息をつく。
「和樹。
お前を助けてやりたい。
だから、きっとお前には酷なことかもしれないけど、先に知らせておく。
俺のいない間にお前に何があったのか、大体のことはもう聞いたから。
でも、それは、俺がお前を嫌う理由にはならないんだよ。
逆なんだ。
聞いたからこそ、助けてあげたい。
以前の和樹に戻してあげたい。
心から笑わせてあげたいんだ」
びくっと震えたのは、目の端に意識していた。だが、智紀が言葉を切ることはなかった。
それは、和樹に、どこまで理解できるのかはわからないが、話しておかなければならないことであり、話すことでその頑なな心を溶かしてあげることができるかもしれないことだったからだ。
案の定、智紀が熱心に語りかけるのに、和樹はじっと耳を傾けてくれていた。兄に、嫌われていないのが、その熱心さから伝わったのだ。
「親父に勘当同然に追い出されたときには、もう和樹に会えないことも覚悟したけど、でも、今でも俺は和樹が好きだ。
愛してるよ、心から。
だから、お前には笑っていて欲しい」
本当に?
そう、尋ねられているようだった。
涙に潤んだ目で、首を傾げて智紀を見つめる。
それに、智紀は大きく頷いてみせる。
「和樹の心を凍らせている病気は、俺が 治してあげる。
ゆっくりで良い。
あせらなくていいから。
ずっとそばにいるから。
そっとそっと、大事に、治していこう?
一緒に頑張ろう?」
な? 問いかけられ、また、和樹はじっと押し黙った。
うまくまとめられない頭で、それでも理解しようと一生懸命なのだ。
それがちゃんとわかるから、焦らせないようにゆっくりと返事を待つ。
しばらくして、首をかしげたのは、考えがまとまらなくなってしまったのか、どうしたら良いのかわからないのか。
どちらにしても、その先を促してやるのが、智紀の役目だ。
「頑張れる?」
簡単な質問なら、答えを出すのも簡単だ。選択肢は三つしかない。頷くか、首を傾げるか、首を振るか。
和樹が返した答えは、頷きだった。
その答えは、智紀を感動させるのに十分すぎるもので。
今までこらえてきたのを開放して、和樹を抱き寄せる。
鍛えられたおかげでより逞しくなった胸板は、和樹の全体重を支えてやるにも十分で、頼りがいが増していて、すがりつきたくなるもので。
抱き寄せられて身を固くした和樹だったが、そこに下心が全くない、家族愛を感じられる抱擁なのに気づいて、そっと力を弱める。
そして、拒否するように胸を押し返していた手を、反対にすがりつかせた。
見つめられて、その目が自分の唇を盗み見ているのに気づき、智紀は誘われるまま、和樹の唇にそっと口付ける。
その唇が拒否をしないのに、嬉しくなって微笑んだ。
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