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放課後。結局、二人は連れ立って銀座にやってきた。
一度家に帰って服を着替えてきている。もうすぐ夏なので薄手の格好だが、体中傷だらけの隆久は、決まって2サイズ大きなダブダブのTシャツを着ていた。冬はおしゃれも上手に楽しむ彼も、夏は選択肢がないらしい。
二人並んで歩くと、特にスポーツをしているわけではないのにガタイの大きな隆久と、どんなにワイルドな格好をしても華奢な線は隠しようもない美少年の和樹は、見る人から見ると、仲の良いカップルにすら見えてしまう。実際、学内では噂の二人だ。
二人は、銀座の中でも高級クラブが立ち並ぶ界隈に、堂々と紛れ込んでいき、その一角にひょいと吸い込まれていった。
知る人ぞ知る名店、なこの店は、重厚な扉の横に小さな看板があるだけの、ひっそりとした佇まいをしていた。
店の名前は『橘』という。ママの苗字だそうだ。一点、扉の隅に家紋のようなシールが張られている他は、普通のクラブだ。
ただし、ここの従業員は全員男である。ママをはじめとして美人揃いなので、一見してゲイバーであるとは見られない。ホステスに横に付かれて、ようやくその声で、男か、とわかる客もいるのだという。
だが、まだ開店前の時間帯だ。看板に明かりも点っていないし、人の気配もしない。
扉を開くと、鍵は閉まっておらず、重い扉が音もなく開く。
「まだ開店前ですよ〜」
店の従業員は、全員裏口から出入りする。だから、この扉を開けるのは客だけのはずだ。
扉が開いたのがわかったらしく、明るいテノールの声がそう言った。その相手は、二人にとっても知っている人だ。
「明菜さん、こんばんわ」
「……あら、和樹君にタカちゃん。いらっしゃい」
それは、ママに代わって店を切り盛りする権限を与えられた、この店のナンバーワンホステスだった。
ママはオーナーのモノなので、うちはナンバーワンが欠員なのよ、とは、この明菜の言葉だ。実際、確かに美人の明菜だが、これでもママの美貌にはかなわないのは、自他共に認める事実だったりする。
どうやら、ママのはるかも出勤しているらしい。明菜は甘ったるい声で「ママぁ、カワイイお客さぁん」と奥に声をかけてくれた。ついでに、入っておいで、と手招きをされる。
奥の厨房で、はるかはお通しの調理中だった。今日は海草の酢の物らしい。甘酸っぱい匂いが漂ってくる。
「あら、和樹君に隆久君。どうしたの?」
「カズのことで、智紀さんに話があって。まだ来てないですか?」
「ん。ちょっと待ってて。さっきごみを捨てに行ったから、すぐ戻ってくると思うの」
その辺に座ってて、とはるかはカウンターのスツールを二人に勧めた。
確かに、智紀はそれからすぐに戻ってきた。二人揃って来ていることに驚いた智紀だったが、その理由にすぐに思い当たったのだろう。はるかに少し時間をくれるよう頼んで、カウンターに入ってくる。
「タカ。ちょっと舌貸して」
「俺、未成年だよ?」
「ノンアルコールだよ。高校生に酒なんか飲ませるか。もったいない」
軽快にやり取りをして、智紀はシェーカーを振り始める。さすがに丸2年も振り続けていれば様にもなるらしく、立ち姿が絵になっている。うっとりとして、和樹がそんな兄を見つめていて、隆久は肩をすくめた。
隆久の舌は、意外にも、かなり正確に味覚を表現できる。料理評論家になったらどうだ、とからかったのは、智紀と『橘』のオーナーだ。そのオーナーも、立場上舌が肥えている人なので、その人すらも認めていることに、少し気分を良くしている。
したがって、智紀は新作のカクテルを考案すると、まず真っ先に隆久に味見をさせた。今まではオーナーが味を見ていたのだが、ノンアルコールは飲む気が起きない、とすげなくあしらわれて困っていたところだったので、渡りに船だ。
カクテルグラスに注いだそれを、智紀は二人の前に差し出す。ハワイアンブルーを基調とした夏らしい色合いだ。
「題は?」
「考え中」
「何だよ、それ」
「いや、二つ考えていて、迷ってるんだ。サマーブルーか、シーブルーか」
「どっちでも良いや」
印象として、あまり変わらない題だ。面白みがない。そんな兄と親友のやり取りに、和樹はくすくすと笑っている。
一口舐めて、こくりと飲み込んで、隆久はきょとん、と目を丸くした。
どうやら、見た目と味の印象が違ったらしい。反応が、美味いでも不味いでもなく、智紀はその判定を待つ。
「へぇ。意外な味」
「不味いか?」
「いや、イケルよ。なんか、意表をついた味だった。せっかくだから、名前も意表をついていこうよ」
何が良いかなぁ、と言いながら、隆久はスツールを降りると、グラスを持って厨房へ行ってしまう。どうやら、はるかに味見をさせて知恵をもらおうという魂胆らしい。
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