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智紀が、とっくにショックを受ける時期を通り過ぎていることに、祖母は少し寂しそうに肩を落とし、それから、可愛い孫たちを見やる。
お互いに、自然に相手を思いやっている二人が、今の立場や状況はどうであれ、なんだか誇らしい。
誇らしく感じるからこそ、祖母は、もう一度智紀に問いかけた。
「智紀。和樹を愛していると言う言葉に、二言はないね?」
「ありません。男で、子供で、弟を好きになったんです。覚悟なら、とっくについてます」
何の覚悟と言って、世間の荒波から恋人を守る覚悟だ。
両親、親戚、社会など、ありとあらゆる対抗要素が立ちふさがっている。それらの攻撃から、自分を犠牲にしても恋人を守ろうと言うのだから、並大抵の覚悟ではない。
大人の男だからこそ、すでに社会に出て自活している人間だからこそ、実感している問題だ。強敵に立ち向かう男の目は、祖母の疑いなど一瞬にして吹き飛ばしてしまう。
隣の和樹だけが、不安そうに兄を見上げた。
強い視線での答えを受けて、祖母は深いため息を一つつくと、久しぶりに背筋をピンと伸ばした。
「いいだろう。じゃあ、爺様の遺言を教えてあげよう」
「遺言?」
聞き返して、首を傾げる。それは、両親ですら初耳なのだろう。全員が驚いたような目で祖母に注目した。
祖母が、神妙に頷く。
「亡くなる直前に、私に言い残した言葉だよ。智紀。あんたに宛てたものだ。よくお聞き」
智紀を名指しで宛てた遺言と聞いて、両親が顔を見合わせる。智紀も、その場に座りなおした。
「この遺言は、あんたが爺様の法事に戻ってきて、それでも和樹を愛し続けていたなら、という条件付で私に託されたもんだ。
智紀。お前の覚悟が一生を誓えるほどのものであるならば、和樹を全身全霊をもって守り抜きなさい。そのために資金が必要なら、土地も合わせてわずかしかないが、遺産の半分を息子であるお前に預けよう。
それが、私が引き受けた、半分だよ」
財産分与としては、配偶者に半分、残りの半分を兄弟で分ける、という話に落ち着いたはずの話だ。
遺産相続にはいろいろと揉め事も起こした。それを蒸し返そうというのか、と父が腰を浮かす。
反対に、全く寝耳に水だった智紀は、それを呆然と聞いていた。
和樹は和樹で、まだ遺産などという話はよくわからず、祖父が兄を『息子』と呼んだことに、嬉しそうに顔をほころばせる。
一息に語って、祖母は疲れたように背筋を丸めた。ほう、とため息をつく。
「私が受け取った遺産は、ほとんどがバブル時代に爺様が土地運用と乗せられて作ったアパートやマンション、それとわずかな株券だからね。
必要なら、いつでも売り払って換金してやれるもんだ。相続税はとうに私の分として払ってある。本当に必要なら、智紀、お前にあげるよ」
そうはいっても、かなりの額だ。広かった雑木林や近所の土地を叔父や叔母と三人で分けても残ったのが、この広い家なのだから、その三倍となると相当の金額になる。
これが、祖父の遺言とはいえ、そっくり智紀のものになるというのだ。にわかには信じられない話である。
さらに、祖母は続けて言う。
「和樹や。お前、本当に一生を智紀に預けて良いのかい? 後悔しないかい?」
話が自分に振られてきて、和樹はびっくりしたらしい。祖母を見返し、目を丸くする。
それから、何故か首を振った。
「一生なんて、わかんない。でも、今兄ちゃんの手を離したら、後悔すると思う」
だって、もう後悔したんだから。それは、確信にも似た予測で。
泣きそうになりながら、それでも頑張る。認めてもらわなくてはいけないから、泣いている場合ではないのだ。
はっきりと答えたことで、祖母はすっきりしたのだろう。満足そうに頷いた。
この先のことは、二人で考えていくことだ。老い先短い自分が口を出すべき場所ではない。
「わかった。だったら、二人で頑張りなさい。男同士であることも、和樹がまだ子供であることも、心配の種ではあるが、私はあんたたちの味方をしよう。それが、死んだ爺様の意思でもあるからね」
今までは大人組として反対の立場を取っていた祖母の、突然の方向転換に、和樹は智紀の顔を見上げた。智紀も、和樹を見下ろす。そして、確かめるように祖母を見返した。
「本当に、良いの? 祖母ちゃん」
「良いも何も、反対したって聞かないんだろう?あんたたちは」
その返事は、半ば諦めたようにも聞こえたが、それでも認めてくれたことには変わりなくて、和樹の表情がみるみる笑顔に変わっていく。そして、嬉しそうに智紀に抱きついた。智紀もまた、和樹を抱き寄せる。
信じられないのは、父である。
実の母が、突然手のひらを返したのだ。しかも、亡き父親も、生前のうちに認めていたというのだ。そんな非常識なことが、認められて良いはずはない。
「冗談じゃない。誰が認めるか」
バン。重く固い座卓を思いっきり平手で叩き、勢いよく立ち上がると、彼はそのままずかずかと居間を出て行く。
「あなたっ」
旦那を呼び止めて、母もその後を追った。
残されて、和樹は両親を見送り、再び智紀を見上げて、おどけたように肩をすくめる。
「行っちゃった」
「先は長いぞ、和樹」
「いざとなったら、駆け落ちしてもいいけど?」
「ダメ。認めてもらえるまで、頑張るんだろ?」
そうだけど、と言いつつも口を尖らせた、子供っぽい仕草をする和樹に、智紀は優しく笑う。
それから、実は義理の兄にあたる両親が出て行った戸口を振り返り、困ったように肩をすくめた。
「せっかく和樹がしゃべれるようになった記念日なんだから、お祝いしたかったな」
「何言ってんだい。今日は、誰が何と言おうと、ご馳走を作ってお祝いするんだよ。ほら、二人とも。お母さんの分まで手伝いなさい」
ほらほら、と二人の孫を追い立てて、祖母は立ち上がり、台所へ入っていく。
智紀と和樹は、認めると決めた途端に、今まで通り二人を同じ孫として扱ってくれる祖母に、顔を見合わせて笑い合った。
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