32
ふ、と時が戻る。
二人分の荒い息が、部屋の中に満たされていく。
と、部屋の外から、ドタドタドタッ、という、ものすごい音が響いてきた。
それはおそらく、この古い家の階段を駆け上がる音だ。
続いて、短い廊下を五歩分、走り寄る足音が聞こえ、さらに、バタン、と聞こえたのは、この部屋のドア。
重い沈黙が、さっきまで天国と化していた部屋に、割り込んでくる。
空気が、押しつぶされていく。せっかくの、幸せな時が、ぶち壊されていく。
突然の侵入者に、智紀と和樹は抱き合ったまま、戸口を見やって固まった。
「と、ともきっ。てめぇという奴はっ」
「きゃあっ」
それは、父親の怒鳴り声と、母親の悲鳴。
だが、駆け寄ってくる父親の足を止めたのは、和樹の制止の声だった。
「来るなっ。この、バカ親父っ」
ぎゅっと兄を守るように抱きしめて、和樹は目を怒らせ、侵入者を怒鳴りつけた。
まだ正常に戻らない息が、和樹の肺を苦しめているのに、侵入者への怒りがそれを凌駕する。
殴りつけたいほどの怒りを胸に押し込めて、目にその怒りを凝縮させ、相手を黙らせる。
「出てけ」
「かずき……」
今まで懸命に守ってきた息子に、当然のように助けに入ったはずの相手に、そんな風に睨まれて、父親は息を呑む。
いかにも絶頂を迎えた直後な二人の姿も、彼の目にはほとんど入っていない。
「出てけっ」
悲鳴のような和樹の叫び声に、彼らは抵抗できるはずもなかった。追い立てられるまま、一歩、二歩、あとずさる。
「早くっ」
駄目押しの一言に、慌てて部屋を飛び出した。思いっきり開けたドアもそのままに、両親揃って階段を転げ下りていく。
誰もいなくなった戸口をしばらく眺めていて、和樹は智紀と顔を見合わせ、やがて、くすっと笑った。
笑った和樹につられて、智紀も苦笑を浮かべる。
「あぁあ。もう。台無し」
「父さんたち、かわいそうに」
「良いの。せっかく幸せだったのに、邪魔するんだから」
ぷんぷん、と怒る和樹に、和樹が怒ってくれるからこそ、智紀は何故か冷静でいられた。そっと、唇を寄せる。
「良かった?」
「うん」
お互いに、相手の快感が手に取るようにわかったから、確かめるため、というよりは、気分を元に戻すための問いかけだ。それに、和樹は素直に頷いた。
そうして、自分の腹の上に散った、白濁色の液体を、混ぜ合わせる。自分の分と、恋人の分と。
「くすぐったい」
「お風呂、行こうか。ちゃんときれいにしなくちゃ。ごわごわになっちゃうよ」
「続きは?」
「また明日」
えぇ?と、不満そうな声を上げる和樹に、智紀は思わず笑ってしまった。なだめるように頭を撫でて、言い聞かせるように顔を覗き込む。
「ゴムと、潤滑剤、用意してないからね。和樹を出来るだけ傷つけたくないから。明日、買ってくる」
「そんなの、なくても良いのに」
「ダメ」
それは、年上の恋人として、当然の義務だ。愛しているからこそ、身体に負担をかけたくない。
和樹よりは長く生きている分、同性を愛してしまった友人がいる分、知識量もちゃんとあって、気を遣わないのは、大人の男として、自分が許せない。
「慌てなくても、俺はいなくならないよ?」
「わかってるけど……」
やっと思いが遂げられたから、焦ってしまう。
そんな和樹の気持ちがわかるから、智紀は大人の余裕で和樹を包み込む。
おでこを合わせて、恋人を見つめ、くすりと笑って見せる。
「勢いで突き進めるほど、簡単じゃないんだから。落ち着いてからにしよう。明日も、ずっとそばにいるんだろ?」
「うん」
納得はしていないのだろうが、渋々頷く和樹に、智紀は誉めるように頭を撫でた。頬を寄せ、キスをする。
乾きかけたそれの後始末をして、申し訳程度に服を身につけて、智紀は和樹を抱き上げた。
自分で歩ける、という和樹に笑って誤魔化して、お姫様抱っこで部屋を出る。
しがみついて、和樹はその肩に頭を乗せ、幸せそうに笑った。
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