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「へ?」

 その言い方は、まるで智紀は息子として愛されていないことを当然のように受け止めているようで、和樹は驚いて聞き返す。
 智紀とて、確かに実の弟に恋心を抱くという人間としてあるまじきと考えられていることをした人間ではあったとしても、彼らの息子であるはずなのだ。そういう意味では、和樹と対等な立場のはずなのに。

「どういうこと?」

 そんな断言をする兄が、不思議で仕方がない。目を丸くして、和樹は兄を見つめる。

 智紀は、自分の身の上を省みて、苦笑を浮かべる。

「俺は、和樹の本当の兄貴じゃないんだ。父さんと母さんの子供じゃないから、扶養義務もない歳だし、だから簡単に家を追い出した。
 でも、和樹は二人の実の息子だからね。滅多なことがあったとしても、追い出されたりなんかしないよ」

 だから、大丈夫だ。そう、智紀は和樹を元気付けるように頭を撫でる。

 智紀にとっては、それは既知の事実であるらしい。まったく気にしている様子もなく、当然のことのように言ってのける。
 だが、和樹はそんな事実は初耳だ。実の兄と恋をしたことであんなにも悩んだのに、その大前提が根底から覆された、とんでもなくショッキングな告白なのだ。あんまり驚いて、声も出ない。

 しばらく、あんぐりと口を開けたまま兄を見つめて、ふと我に返る。

「どういうこと? 兄ちゃんは、じゃあ、誰?」

「さぁな。本当の親が誰なのかは、俺も知らない。
 でも、戸籍上は、俺の両親は祖父ちゃんと祖母ちゃんだし、俺は養子だってことになってる。
 そういう意味で言うと、和樹は俺にとっては義理の甥っ子だな」

 実は複雑な家庭環境を、一息に説明して、泣きそうな顔で自分を見つめている弟を見返す。それから、小さくため息をつく。目元だけを、無理に微笑ませて。

「本当の兄ちゃんじゃない俺は、嫌い?」

「そんなことないっ」

 ふるふるふる。勢い良く首を振って、はっきり否定して、それから兄をすがるような目で見つめた。ぎゅっと抱きつき、頭を押し付ける。

「じゃあ、近親相姦にはならないんだね? いけないこと、一つ消えたんだよね?」

「そうだなぁ。血はどこかで繋がってるんだろうけど、同じ親から生まれた兄弟でないことは確かだね。なんだ。それも気にしてたのか?」

 だったら、もっと早く教えてやればよかったな。そう言って、智紀は苦笑を浮かべた。
 智紀にとっては重大な問題だろうに、すでに解決したこととして扱っていた。気にしていないのか、気にしないように務めているのか、そのあたりは定かではないが、軽口で返せる程度には吹っ切れているらしい。

 そんな兄が、何故か和樹には辛かった。兄が自分の生い立ちに涙を見せない分、和樹が泣き出してしまう。わけもなく悲しくて、切なくて、胸が痛くなる。

 どう考えても、祖父母は兄の祖父母として振舞っていたし、両親も兄の両親として振舞っていたから、きっと両者の間で話し合いの場を持ったことはないのだろう。
 何かのきっかけで知った生い立ちを、彼は家族に問い詰めようとはしなかったらしい。でなければ、兄と両親とのあの温度差は、ありえない。

「そんなに泣かないで。和樹。俺の生い立ちなんて、大したことじゃないから。家族には違いないだろう? 気にしなくて良いんだよ?」

 泣き出した弟に、智紀は困ってしまって、なだめるように頭を撫でる。額にキスをして、胸に抱きしめる。そのふわふわでさらさらで、触り心地の良い髪に、頬擦りをする。

「俺は、和樹にとっては、良い兄ちゃんでいられていない?」

「そんなことないっ。兄ちゃん、大好きだもん」

 智紀の不安をかき消すように強く否定して、和樹は泣いたまま、智紀を抱きしめる。抱きつくだけではない。まるで守るように、智紀の心を覆うように、抱き寄せた。

 そんな仕草が、智紀の凍らせた心までも溶かしだし、涙を誘う。
 ずっと昔に、自分の生い立ちを知った時に、それでも家族だから、と自分に言い聞かせて、何も考えないように頭の片隅に閉じ込めて、事実としてだけ認識していた。それは、自分の心と家族の心を守るためだったが、それでも、凍らせなければならないほどにはショックだったのだ。

 智紀までもが涙を見せたのに、和樹は兄を気遣うように優しく微笑む。

「兄ちゃん。大好きだよ」

 慈しむように抱きしめられ、耳元に甘い声で囁かれて、智紀は自分を抑えられなかった。
 心が弱くなっているところに、甘い言葉を吐く和樹がいけないのだ、と無理やり自分に言い訳をする。
 和樹に反対にすがりつき、そのままベッドに押し倒す。嫌がることなく受け止めてくれる和樹の胸に、顔をうずめた。

 和樹が嫌がらないことに調子に乗って、その華奢な首筋に唇を押し付ける。せっかく着たシャツのボタンに手を伸ばす。

 二つほどはずして、はっと手を止めた。
 いけない。こんな状態で和樹を傷つけるわけにはいかないのだ。我に返った。慌てて、身体を起こす。

 その行動を止めたのは、和樹だった。智紀の首に腕を絡めて、それ以上身体を起こせないように抱き寄せる。

「和樹?」

「良いの。ねぇ、兄ちゃん。しよ?」

 目元や耳たぶを桜色に染めて、恥ずかしそうに視線をはずしながら、和樹は甘えるように兄に囁く。そうして、ちょうど胸の上にある頭を、大事そうに抱えた。

 和樹に抱き寄せられるまま、シャツをはだけた胸元に、唇を寄せる。
 はぁっ、と気持ち良さそうなため息が聞こえてきて、また、我を忘れかける。
 だが、まだ、理性を失うわけにはいかない。今の波立った感情のまま和樹を抱いても、和樹を傷つけてしまう気がするのだ。

「本当に、良いのか?」

「兄ちゃんのためじゃない。ぼくのために、抱いて? もう、二度と、後悔したくない。兄ちゃんにもしてもらえないままは、もう嫌なの」

 お願い、と囁いて、また、和樹は涙を流す。
 兄にも抱かれないままに他の男に抱かれてしまった記憶は、思い出すだけでも深く和樹の心を傷つけ、塞ぎかかった傷を押し開いていく。
 だからこそ、和樹は兄の手を求めた。

「お願い。ぼくの記憶を、すり替えて。兄ちゃんを、ぼくの一番最初にして」

 そんなことは、きっと無理なのだろうけれど。
 わかってはいるけれど。
 自分を騙すためにも、愛する人の記憶がどうしても必要だ。
 まだ、心は弱いままだから。
 しゃべれるようになっただけで、本調子に戻ったわけではないのだから。
 いや、本調子に戻ったとしても、その辛い記憶だけは、治すことが出来ないから。
 せめて、誤魔化せるように。

「痛いよ?」

「大丈夫。優しくしてくれるでしょ?」

「……自信、ない」

 正直に自分の余裕のなさを白状する兄に、和樹はくすくすと嬉しそうに笑った。





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