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 その日。

 追い出されるように実家を出ていた山梨家の長男、智紀は、実に四年ぶりに、その玄関をくぐった。

 あれから、いろいろなことがあった。

 自分でも、成長したなぁ、と振り返ることができるほどだから、よほどの変化だ。

 何より、二年間の海外ボランティアの経験が、自分を大きく成長させていた。肉体的にも、精神的にも、だ。

 本来ならば、智紀は実家から勘当同然に追い出されているのだから、今更顔を見せられる立場ではない。
 だが、海外遠征中に亡くなった祖父の三回忌という節目に当たり、特別に呼び出されたわけである。

 したがって、実家ではお客さん扱いを覚悟していた。

 住所は東京都内ながらも、西の端の方であるこの街は、交通の不便さも手伝って、過疎化・高齢化が進んでいる。
 実家の周囲は未だに雑木林が多く、敷地の広い旧家と割りあい新しい家が隣接し、西側は見渡す限り山ばかり。ご近所づきあいも難しくなっている。

 そこに、実家は二世帯で同居していた。祖父母と両親と、智紀の弟が一人。

 その祖父が、一昨年、亡くなっていたのだ。不義理をしたものだ、と反省の念にさいなまれる。

 古い引き戸の玄関には、たくさんの黒い靴が並んでいた。
 都心部へ出て行った叔父や叔母、遠い親戚たちも集まってきているのだろう。
 一応、東京の片田舎に広い庭と裏の畑とを敷地に持つ旧街道沿いの本家である。このくらいの人数には集まってもらわないと、体裁が保てない。

 家の中に声を掛けると、エプロン姿の恰幅の良い叔母が台所から顔を出した。

「あらぁ、智紀くんじゃない。見違えちゃったわ。おかえりなさい」

 昔から明るいだけが取り得のような明るい叔母は、まだその明るさも顕在だったらしい。
 その叔母の声に、台所から祖母も顔を出す。

「おかえり、智紀。まずはお祖父さんに、ご挨拶していらっしゃい」

「はい」

 ずっと同居している祖母である。口うるさい母親と、扱いはほぼ同じだ。

 実家を追い出される原因となった事件のことも、祖母とて他人の顔をしてくれていたわけではない。
 それなりに、まだわだかまりが残っているらしい。智紀を見る表情が硬い。

 どうしたの?何かあったの?と、実の母に尋ねながら、叔母は祖母とともに台所へ戻っていく。

 智紀も、脱いだ靴をそろえて端に置くと、仏間の方へ向かった。

 仏間には、すでに親戚の主なメンバーが顔をそろえていた。

 久しぶりに顔を見せた放蕩息子に、誰もが親しげに声を掛けてくる。

 そんな中、ただ一人他人の態度で接したのが、実の父親であった。

「爺さんが、お前が海外から仕事を終えて帰ってきたら呼ぶように、と遺言を残していたから呼んだまでだ。法事が終わったら帰れ。いつまでもその顔を見ていたくはない」

「わかってます。ご迷惑をおかけしました」

 到底親子の会話とは思えないそれに、周りの親戚一同が注目する。
 深々と頭を下げた智紀に、父親すらも驚いたらしい。目を見張った表情で息子の動きを見つめていた。

 写真の中で気難しげに笑っている祖父に、言い知れぬ懐かしさを感じて、智紀はそっと目を閉じた。

 やがて、檀家になっている近くの寺院から、住職とその息子がやってきた。
 智紀の姿を見て、息子は驚いたらしい。それは、智紀とは同学年で机を隣に勉強していた相手であるから、智紀も挨拶するように軽く笑って返す。

 すぐに、法要は始まった。

 親戚たちに前に進むように勧められるのを適度に交わしつつ、列の最後尾に座って、智紀は手を合わせる。
 子供の頃は眠くなって仕方がなかった読経の声も、今の智紀には何故だか神聖なものに聞こえるから不思議だ。

 しばらくして、ふと、智紀はその参列者を見回した。
 そして、やっと首を傾げる。

 そこに、いるべきはずの人が一人、足りないのだ。

 自分の、血を分けた弟の姿が、見当たらない。一体どうしてしまったのか。

 しかし、周りの人たちが全員、さも当然のように振舞っているので、探しに行くこともできず、じっとそこで読経が終わるのを待った。

 経典も終わりに近づいた頃、台所に続く襖を開けて、食事の支度をしていた女性たちがそこに姿を現した。
 母のそばには、弟の姿もあって、女たちに混じってそこに座るのに、ほっとする。

 が、盗み見るように弟を見ていて、またも智紀は首を傾げることになった。

 これは、今まで培った経験の力だろう。直感的に、おかしい、とわかる。

 恐怖心が手に取るようにわかる。
 そっと母親に寄り添って、まるですがりつかんばかりで、それでも懸命に耐えていた。
 膝に乗せられた手が震えている。

 一体、自分がいない間に何があったのか。

 それは、弟を目に入れても痛くないほどに可愛がっていた智紀だからこそ、心配で心配で仕方がない、庇護欲を掻き立てる、そんな姿だった。

 法要を終えた住職は、女たちに先導されて客間へ移動して行った。
 その列から抜け出して、いつの間にか親の跡を継いでいた幼馴染が近寄ってきた。

「久しぶりだなぁ。元気だったか? なんか、歳以上に落ち着いちまってんじゃねぇか。昔は手が付けられないくらい荒れてたくせによ」

「昔ってどのくらい前だよ」

 何だか懐かしい声に、思わず智紀の顔にも笑みが浮かぶ。
 それを、本当に懐かしそうに彼は見つめていた。
 それから、ふいに真面目な顔をする。

「お前、両親に聞いてるのか? 和樹君のこと」

「和樹の?」

 聞き返す。
 檀家ともなれば、その家族の事情にも自然と詳しくなる。
 そこには、当然守秘義務が存在し、相談に乗ることも珍しくない。
 だから、彼もきっと詳しく知っているのだろう。

 先ほど少しだけやってきて、法要が終わる前に席を立っていった弟の様子が、智紀には気になって仕方がない。
 だが、この家では智紀と和樹が接触することは御法度だ。顔を見に行きたくとも、それができる立場ではない。

 ならば、知っている相手に聞こうというのも当然のことだった。

「聞いてないのか。じゃあ、俺も言えないな」

「何だよ。気になるじゃないか」

 言いかけて口をつぐむなよ、と指摘すると、彼は少し悩んで、それから意を決したようにまた口を開く。

「まぁ、血を分けた兄貴だから、良いだろ。実はな……」

 そう言って、声を潜める。
 彼が打ち明けるその話は、智紀をショックで叩きのめすのには十分な、とんでもない話であった。





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